帯広在住のクリスチャン、Taikaのブログ。形だけでなくジーザスに向かうために日々、模索中。 「明日と、今日は、ちょっとだけ違う」そんな1mmずつの成長を記録していきます。


遅れに遅れた7月の塗り絵カレンダー。
こんなん出ましたけど。
後ろの花みたいな連中が、
奈良の遷都1300年記念キャラクター、
「まんとくん」のパクりっぽいことに、今気づいた^^;
デイで休み時間、カリカリとボールペンを走らせていると、
横目で絵を見た先輩から、「あなたの頭ん中どうなってんの?」と言われる。
どうなってるんでしょう(笑)
毎月イラスト描くたびごとに、何かしら課題が出てくるね。
今回は苦手な”遠近感”に挑戦しようと思い、
奥行きのある花を描こうとするもなーんか平面。
これをきちんと、前後に見えるように描ける人がいるってのがすごいね〜。
尊敬する。
それぞれうまくはなくても、
自分なりにイラストや、ドラムや、写真や文章を追及していこう。
それが神様がくれた贈り物なら、どんどん開けていきたい。

昨日の賛美集会、そして今日の特別礼拝を終えて。
さっき戻ってきたよ。
集会を手放す祈りをして、本当に良かった!
僕は弱いまんまで飛び込んでいったけれど、
本当に祝福された時間になった。
準備の期間も含めて、感じられた数々のことを、
こうしてレポートできるのが嬉しい。
前に栄光教会のユース賛美集会に遊びに行ったとき、
思っていたんだ。
「いつか自分の教会でもこんな賛美ができたらいいな」と。
そんな夢のような祈りに、神様は答えてくれた。
僕らの見たい風景を、望むままに与えてくださるわけじゃないけれど。
ふさわしいものを与えてくださった。
じゃあ残りの力を振り絞って、レポートいきます!
土曜日、僕は夕方まで仕事があった。
あたふたと利用者さんと接しながら、委ねたはずの心はまだ戦ってる(笑)
新しく始まる何かへの期待と不安。せめぎあう。
定時に上がらせてもらい、mizuさんの車で教会へ。
玄関を入ると、洋光台の皆がリハーサルする歌声が聴こえてくる。
きれいなハーモニーだ。
それが終わり、僕らは挨拶する。
教会の玄関ホールに貼ってあった、プロフィールの写真の皆が、
今ここにいる。
本番まで僕らもリハーサルする。
ここで不思議なことに気づいた。
もう、緊張してなかったんだ。
ドラム…叩けてる!自分のリズムがどうこうっていうより、
大きな賛美の流れにただ身を任せてる感じがする。
それは上手というわけではないんだ。
でも、「できなかったらどうしよう」という気持がなぜかそこで薄れたんだ。
開始の7時がやってくる。
会場に、身知った顔、知らない顔の人々が集い始める。
全員で祈り、神様に栄光を返す約束をした。
始まりだ。
僕はMCも兼ねていたので、ともかく話す。自分をオフにして神様の自動操縦を待つ。
そして賛美する。
「ホザナ」「ひとすじの光」「主のつばさに乗って」…。
会堂の皆とは、グロの「感謝の心」を。
ここで帯広ユースはいったんおしまい。
洋光台の蛭川先生からのショートメッセージ。
それからは洋光台ユースに引き継ぐ。



ハーモニーが、本当にきれいだ。何度聴いても。
練習の深さが、伝わってくる。
メンバーの証を織り交ぜながら、たくさん賛美してくれた。
メンバーの何人かが、途中から涙を流していたのが印象的だった。
心に神様が触れてくれてるんだと思った。
アンコールの曲が終わり、一番最後に、
「その日全世界が」を歌う。
ドラムを叩きながら、様々な想いがよぎった。
直前まで緊張してた、不安だった。
その中で期待してた、神様に賭けたかった。
そして神様は…想いを遙かにこえる時間をくれた。
集会が終わった。一気に力が抜けた(笑)
まずは、駆け抜けたよ。
そして2日目の今日は、特別礼拝。
まず驚いたのは、栄光教会ゴスペルクワイア「シスターズ」の
メンバーが3人も来てくれたこと。
礼拝の後に、うちの教会で練習が控えているとはいえ、
こんなに早く来てくれるとは思わなかった、嬉しい。
シスターズに、うちのユースのnanoが加わっていることもあり、
これから不定期にこの教会も練習場所になっていくみたいだ。
繋がっていくね!
礼拝では、洋光台の皆が数曲賛美してくれて、証のシェアもしてくれた。
この集会にあたっての準備で、いろいろな葛藤を覚えたりもしたけれど、
それを通して互いの絆が深まったこと。
そして「痛み」の中に働いてくれ、
それを一緒に引き受けてくれるジーザスのこと。
ユースを見つめる蛭川先生

続く蛭川先生のメッセージもタイムリーなものだった。
苦しいとき、大変なとき。それは生きていくうえで尽きることはない。
けれど、クリスチャンはそのプレッシャーの奥に、
神様の意図を感じられる。ただきついだけで終わらない。
それが成長の糧になるんだ。
僕もこの集会にあたって、たくさん葛藤があった。
大きな恵みを信じながら、同時に不安もあった。
それは決して意味のないことじゃ、ないんだね。
礼拝後は羊に縁の深い僕らにふさわしく、
全員でジンギスカンを食べる。

それから洋光台メンバーはフリータイムのドライブへ。
僕は川へ洗濯へ…じゃなくて、
シスターズの練習に加わらせてもらい、ドラムを叩く。
曲に合わせるというより、リズムキープの練習(笑)
クワイアに囲まれてなぜか個人練習(笑)
なにその、贅沢な感じ

これはシスターズのリーダー、Wakkaさんのご好意なんだ。
「歌と合わせた方がドラムも上手くなるだろうから」
そう言ってくれた。
確かにパワフルなゴスペルと、
むっちゃ上手いキーボードに合わせての練習は、
鉄下駄履いてるようなもんで、力はつきそうだ。
ドラム始めてたった1月の僕には余りある光栄っす。
ありがとうございます!
練習が終わり、今度は観光から帰ってきた洋光台メンバーと合流して、
最後に喫茶店で軽食を囲む。
人みしりモード全開のままのわたくし(笑)
でも話すと、普通の明るい女の子たちなんだよね。
その内側にジーザスがいてくれるのが、違いだ。
出発の時間が近づいた。
…駅の前で、皆を見送る。
横浜に帰るころにはもう晩だ。明日はそれぞれの仕事や学校がある。
ものすごいタイトなスケジュールの中、来てくれたんだね。
改めて思った。
本当にありがとう!
お勧めのマンガ「スラムダンク」も、今度読んでみるよ〜(笑)
ありがとうといえば、うちの教会の壮年会・婦人会の皆さんも、
2日間、めっちゃ若者を支えてくれた。送迎から会場のセッティング、
市内観光、食事の用意…。
超強力なバックアップだった。
実は…集会の直前に、教会の中でとても大きな出来事があった。
ここには書けないけれど。
うちの教会の人たちは、集会とその出来事、
両方を大切に向き合ってくれた。
頭が下がる、まじで。
ドラムだなんだとプライドに振り回されてた自分が恥ずかしくなるくらいだ。
大人は、すごい。
そして神様は、すごい!
まじで、神様は、すごい!
弱いまんまで、びびりながら向き合って、良かった。
…すっかり長くなったね。読んでくれてありがとうございます^^
いよいよ明日は、横浜の洋光台教会ユースとの、賛美集会だ。
まずは【告知】!
横浜洋光台教会の伝道チームを迎えて、合同賛美集会やります!
もし時間のある方は、よかったら遊びに来てください!
日時:6/28(土) 19:00〜20:30
会場:帯広バプテスト教会(帯広市東9条南8丁目1番地)
入場はもちろん無料です。
そんなわけで今日のユース祈り会、後半は練習だった。
ピアノ、ギター、ベース、そして。
嗚呼、おいらのドラム……。
ぬおおおおおお…。
リズムキープもよたよたしてるし、フィルも半端な感じ(泣)
2曲とはいえ、ドラム叩きますなんて景気よく言ったのを後悔しそうになる。
できれば皆の前でかっこよく見せたいとか、
演奏失敗して恥かきたくないだとか、
見栄で集会を握りしめてたんだね。実は。
よくわかったよ。
でもさ。
帰りの道のりで、自転車をこぎながらつくづく思った。
これは、僕の集会じゃない。
神様のもの。
ジーザスの愛を少しでも伝えられるように、
神様がゆるしてくれたチャンス。
誰に捧げる賛美なのか。
誰に返す栄光なのか。
思い出した。
そうだ。そうだったよね。
だからまずは、新しい横浜の皆との出会いを、喜ぼう。
9人もの仲間がわざわざ北海道まで来てくれるんだ。
繋がりができるかもしれないんだ。
一緒に賛美できるんだ。
新しい網の目。それって本当にすごいことじゃん!
(ドラムに捉われてその素敵な事実を見過ごしていた僕^^;)
賛美も…今のところの自分で捧げるしかないっしょ。
ドラム始めて一か月の、このスキルで。
歌だってそれほどうまいわけじゃない。
それでも…気持は込めて、大きな声で、神様を褒めたたえたい!
もちろん、スキルが必要ないわけじゃない。
けれどまずは、”心”から始まるんだよね。
間違いなく。
これを書き終えたら、祈ることにする。
「手を放せるように。委ねられるように。
神様、あなたに頼らないと自分達は何にもできないです」
この集会は、僕やユースの仲間に、
それをたたき込んでくれる機会になると信じてる。
洋光台の皆が、明日、無事に着くことができますように!
僕らの賛美を、主が共に聴いていてくださるように!
surrender:
「引き渡す。明け渡す。降参する。身を任せる」
これから書くことは全部、ほんとのこと。
…心に抱えてきた重い荷物を、天の父の前に降ろすことに決めたのは、
随分、前からだったと思う。機会を、待っていた。
ずっとそれを求めてきた。何年も。
神様を、もっともっと近くに感じたかった。
意志の力の頑張りじゃなくて、心で、信じたかった。
先週の月曜日、仕事が休みの日。
荷物を降ろす祈りをしに、僕は1人で教会に向かった。
何となく、すぐに祈るのを躊躇して、ドラムを叩く。
それでも、想いは自然と祈りへと向かっていく。
意を決して、会堂の脇のテーブルに座る。
目の前にバイブルと、祈りのための資料と、お茶を置く。
バイブルの、ローマ書を読んだ。
神様から離れて、かたくなでいた、罪を抱えた僕らのために、
ジーザスが命をかけてしてくれたこと。
十字架で、その罪を拭い去ってくれて、神様の前で、
咎めるところのない者にしてくれたこと。
神様自身が命をかけてくれた。
それほどまで、神様が僕らを愛してくれた。
そこから僕らを隔てるものは、もう何もない。
目に見える物事が、状況が、どれほどそれを遮ろうとしても。
なぜか、かつてないぐらい、そのことが胸に染みてきた。
頭では理解していたつもりだった。
でも、心でわかってなかった。
自分のことだと、本心では思ってなかったんだ。
それから。
資料にそって、抱えてきた重い荷物の名前を、ひとつひとつ挙げていった。
神様を知る前に。そして知った後にも。
どれだけ自分が神様以外のものに自分自身を譲り渡してきたか、
受け入れるべきではないイメージを、心に蓄えて
そのままにしてきたかを知った。
高慢や、無関心、高ぶり、諦め、情欲、怒り、孤独、盗み…。
神様を知る前、知らずに天の父以外のものを礼拝していたこと。
重さの強弱はあるにしても、ずらずらと出てきた。
「こんなにあるのかよ俺!?」とか思ってけっこうつらかったっすよ(笑)
見栄っ張りの僕には耐えられないぐらいだった。
神様を知ったあとでも、これだけの荷物をあれこれ積んだままにしていたら、
それは動きにくくなるのも当たり前だよね。重いんだもの。
できたリストに従って、神様に話しかけた。
「今からこの荷物を外に出します。あなたの光に照らしてください。
どうなるか全然わかんないけど、どうしてもそうしたいんです」
祈りはじめてしばらくしたら、何故か吐き気が襲ってきた。
それはいったん高まって、じわじわと治まっていった。
「ひえ〜、何これ?」と思いつつ、それでも祈ってみる。
この荷物は、もうジーザスが十字架で引き受けてくれたんですよね?
それを信じていいんですよね?
「俺は人を見下していました。表には出さないように。
俺は諦めていました。人に対しても、あなたに対しても。どこかで。
あなたのことも、信じたいけど信じきれてなかった。
もうそういうの嫌なんです。ほんと。まじで」
etc.etc………。
正確にはわかんないけど、2時間くらいそんな風に取っ組みあってた。
それほど項目は多かった。お恥ずかしい。
その時間のうちに、今まで感じなかった感覚があったんだ。2回ぐらい。
CTスキャンって知ってるよね?
あの、頭の先から足の先まで、トンネルみたいな機械にくぐらす、例のやつ。
あんな感じで、”圧”の中をくぐるような、感覚。
それは全然、嫌な感じはしなかった。
ただそこに、自然な流れで起きていることに思えた。
そして僕は祈り終わった。息をつく。
まずは終わって、ほっとした。
とりあえず、神様に任せられた、良かった、と本当に思った。
この日を境に。
僕が急にホーリーになったとか、そんなことじゃないんだ。
全て解き放たれてルンルンとかじゃなくて。
まだ重すぎて外へ持ち出せなかった荷物は残ってるし。
まだまだまだまだ成長の道のりの中だし。
この先、無数の失敗もするだろうしね。
ただこれから感じるあらゆることを、
神様にはそのまま見せていいんだって、ようやく思えた。
あほのまんまで、行く。
お父さんと思って、神様に甘えていいんだと気づけた。
その姿がどんだけみっともなくても、神様なら受けとめてくれるって。
バイブルも、ちょっとずつ今までと違う目で読めているように思う。
「父さんが話しかけてくれてる」そんな感じで。
おっかない雷親父じゃなくて、優しい父さん。
クリスチャンになって4年目で、やっとこれがスタートラインになったのかな。
えらい長い助走だったわ(笑)、よくぶっ倒れなかったよな。
こんなことを書いてるとさ、正直、「お客さまドン引きになるかも…」とか、
「これって生活感のないただの自分ワールドかも…」とか、
いらんこと思ったりするわけですが(笑)、
でも、この身に起きた本当のことを、やっぱりどうしても書きたくなったんだ。
読んでくれた人、ありがとう。
天のお父さんは、優しいよ。
怒ってなんかいないし、
重い荷物を、引き受けてくれるよ。
だから預けて、いいんだと思う。
委ねて、任せて、いいんだと思う。
いつでも手を広げて、待っててくれるから。
それをただの弱さだと、誰かが責めるとしても。
そんなことは、もう、いいんだ。
いいじゃん、弱くて。
「自分」を握りしめていた手を放して、
びびりながらでも、飛び込んでいこう。

※愛の思想家・とものブログ、このエントリー必見です!
ぜひ読んでみてください!
シェフの気まぐれ風blog 「日本人クリスチャンの現実」
昨日本当に久しぶりにツタヤに行って、DVDを借りてきた。
前に
ジョシーのブログで、生き方のモデルに挙げられてた、
木村拓哉主演の
『HERO』。劇場版だ。
観たかったんだよね〜。
木村拓哉演じる型破りな検事、久利生公平。
久しぶりに東京地検に帰ってきた彼はある傷害致死事件の担当になる。
容疑者も自白しており、裁判は大きな問題なく進むはずだった。
しかし、その「小さな」はずの事件が、大物政治家の汚職事件と繋がってしまい…、
事態は大きく変貌していく。
ドラマの方はほとんど観たことが無かったので、
人間関係でわからないところもあったけれど、
それでも最後まで全く飽きずに観入ってしまった。
久利生公平、キムタクであるのを抜きにしてもカッコ良すぎ!
何より、そのスタイルが。
彼は誰の顔色もうかがわない。どこまでも自然体で自由。
かといって礼儀がないわけでもない。
限りなく自分自身であり続けて、信念に基づいて動く。
行動の基準は善と悪。
しがらみとか「仕事だから」とか、そんなものは一切関係ない。
パーカーにダウンジャケットみたいなラフな恰好で、
何回も事件の現場へと向かう。
息づかいを肌で感じようとする。書類で物事を終わらせない。
被害者の婚約者を見舞い、元気づける。
弱い立場の人間に、限りなく優しい。
彼は、チャンスが訪れるにもかかわらず、
大物政治家の汚職を暴くことに焦点を当てない。
あくまで、1人の、結婚を控えた青年が命を失った
”傷害致死事件”にこだわる。
それは彼には決して「小さな」事件ではないんだ。
人の命が小さいはずはないから。
人の未来が無残に踏みにじられていいはずはないから。
それを容疑者の心に刻みつけるのが、彼の目的なんだ。
映画を観ている間じゅう、がんがんにジーザスを感じてた。
ラストではほろほろ泣いてしまった。
ジーザスが地上にいた頃も、こんな生き方をしていたに違いないと思った。
大勢の人が彼についていきたくなる理由もわかるよ。
まさにHEROだ。
久利生公平。そしてジーザス。
こういう生き方。カッコいい!憧れる。
顔はともかく(当たり前だっつうの・笑)、
内側の、生き方のモデルにできたらいいよな〜〜。
憧れってばかにできないからね。
『HERO』、今さら遅いけどお勧めします!
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