仕事や、表現の活動、チャーチにまつわる出来事であたふたしていると、少しずつ自分が、軸からずれていくのが分かる。与えられた課題を「すること」だけに追われて、それを「何のために」しているのかを、見失ってしまいそうになる。そんなときは、気持も忙しい。喜び、不安、焦り、期待が、浮かんでは消えていく。
自分も含めた”人”にだけ焦点が当たっているから、他者の顔色をどこかでうかがってしまう。反応が気になる。
今日、この文章を書きながら、ゆっくりと、僕にとっての軸に立ち帰ることができて、嬉しい。軸。それは神様だ。神様を信じられるから、今起きているさまざまな出来事が、ただの偶然ではなく、与えられた大切な課題だと思える。世間一般から見ればたいしたことない生活水準の中で、たいした不満もなく生活できる。自信の無さに押しつぶされそうになる時、それでも1人の人間として生かされてると思える。
だから、何回でも戻ろう。この社会にあって、どれほどマイノリティーであっても、神なんかいないという、多数決の声に吹きさらされても、はじめの愛に留まろう。それを求めよう。世界そのものを創り、すべてのものに染み透る、神様を日々、見出していこう。なぜならそれは、僕にとってのリアルだから。
大げさな営みじゃない。きっと、ねじり鉢巻きで取り組むようなことでも、ない。頭だけでまわる観念でもない。そのリアルは、むしろごくささやかな、手に取れる生活のうちに根ざしている。念入りに仕事をする。誰かと話す。季節を感じる。食べ物を味わう。部屋を片付ける。趣味を楽しむ。花を見つめる。子どもと遊ぶ。僕が自然な僕であり、あなたが自然なあなたであること。
神様が、変わらない軸なのだから、これらのすべてに、神様も共にいてくれるはず。その土台を支えてくれているはず。
僕らが意識していないだけで。
…書きながら思った。じゃあ、「いつも一緒にいる」のを意識しよう、と。自分を取り巻く出来事を、神様と分かち合えば、いいんだ。喜びであれ、不愉快なことであれ、何であれ。隠さないで。
バイブルを開くのも、祈るのも大切だ。けれどその根底にあるのは、「何があるにしても、あなたとずっと一緒にいたい」という、シンプルな、神様からの願いなんだと思う。ご利益やら修行やらを超えて、とにかく、僕らの存在そのものを肯定してくれる、神様からの願い。
なんだか新婚さんみたいな結論ですけどね(笑)
この願いを、受け止めるも受け止めないも、本当に自由だ。僕にも、押し付ける気持はまるきりない。だって選択の自由そのものが天から与えられたプレゼントなんだからさ。お節介はあんまりできないよね。
ただもしこれを読んでいてくれる誰かが、自分の生きる軸を求めていたり、置かれている状況の意味を問いかけていたりしているなら。神様を知ることで、それが見いだせると、僕は信じている。
状況や、人の顔色や、自分の思いさえも超えて、神様が尺度になってくれる。
それってすごい、解放感だ。(僕もまだちゃんとは実感してないけどさ)
なんでかわからないけれど、そんな風に、なっちゃった^^;
そんなことわざわざ声高に言わなくていいじゃん、生き方で示せば、と思われる方もいるだろう。でもこうして、僕が軸についてはっきり話すことで、もしかしたら他の誰かにとっての気づきに繋がるかもしれないと思うと、言わずにいるのはもったいないっす。
そんなわけで今日も、1人でワーワー言うとります(笑)
自分も含めた”人”にだけ焦点が当たっているから、他者の顔色をどこかでうかがってしまう。反応が気になる。
今日、この文章を書きながら、ゆっくりと、僕にとっての軸に立ち帰ることができて、嬉しい。軸。それは神様だ。神様を信じられるから、今起きているさまざまな出来事が、ただの偶然ではなく、与えられた大切な課題だと思える。世間一般から見ればたいしたことない生活水準の中で、たいした不満もなく生活できる。自信の無さに押しつぶされそうになる時、それでも1人の人間として生かされてると思える。
だから、何回でも戻ろう。この社会にあって、どれほどマイノリティーであっても、神なんかいないという、多数決の声に吹きさらされても、はじめの愛に留まろう。それを求めよう。世界そのものを創り、すべてのものに染み透る、神様を日々、見出していこう。なぜならそれは、僕にとってのリアルだから。
大げさな営みじゃない。きっと、ねじり鉢巻きで取り組むようなことでも、ない。頭だけでまわる観念でもない。そのリアルは、むしろごくささやかな、手に取れる生活のうちに根ざしている。念入りに仕事をする。誰かと話す。季節を感じる。食べ物を味わう。部屋を片付ける。趣味を楽しむ。花を見つめる。子どもと遊ぶ。僕が自然な僕であり、あなたが自然なあなたであること。
神様が、変わらない軸なのだから、これらのすべてに、神様も共にいてくれるはず。その土台を支えてくれているはず。
僕らが意識していないだけで。
…書きながら思った。じゃあ、「いつも一緒にいる」のを意識しよう、と。自分を取り巻く出来事を、神様と分かち合えば、いいんだ。喜びであれ、不愉快なことであれ、何であれ。隠さないで。
バイブルを開くのも、祈るのも大切だ。けれどその根底にあるのは、「何があるにしても、あなたとずっと一緒にいたい」という、シンプルな、神様からの願いなんだと思う。ご利益やら修行やらを超えて、とにかく、僕らの存在そのものを肯定してくれる、神様からの願い。
なんだか新婚さんみたいな結論ですけどね(笑)
この願いを、受け止めるも受け止めないも、本当に自由だ。僕にも、押し付ける気持はまるきりない。だって選択の自由そのものが天から与えられたプレゼントなんだからさ。お節介はあんまりできないよね。
ただもしこれを読んでいてくれる誰かが、自分の生きる軸を求めていたり、置かれている状況の意味を問いかけていたりしているなら。神様を知ることで、それが見いだせると、僕は信じている。
状況や、人の顔色や、自分の思いさえも超えて、神様が尺度になってくれる。
それってすごい、解放感だ。(僕もまだちゃんとは実感してないけどさ)
なんでかわからないけれど、そんな風に、なっちゃった^^;
そんなことわざわざ声高に言わなくていいじゃん、生き方で示せば、と思われる方もいるだろう。でもこうして、僕が軸についてはっきり話すことで、もしかしたら他の誰かにとっての気づきに繋がるかもしれないと思うと、言わずにいるのはもったいないっす。
そんなわけで今日も、1人でワーワー言うとります(笑)
自分のモチベーションは、つくづく「人から喜ばれること」にあると、最近気づいた。写真や、パンフレット作り、塗り絵カレンダーを描くこと。デイサービスの仕事や、このブログもそう。お仕着せではなく、ただ個人的にやりたくて追及しているものを、腕や出来はともかく誰かが”喜んで”くれる。これはもう、今まで感じたことがないくらいの嬉しさだ。もっと頑張ろう、と素直に思える。
周りの人たちの良い表情を残したい。むちゃな発想で絵を描きたい。こてこてに疲れるけど、利用者さんに「今日も楽しかった」と言ってもらいたい。ブログを通して、たった1人でいいからリアルな神様のことを知ってほしい。(そのために、誰かにおもねるというわけではないけれど)
むくむくとそんな願望が心に浮かぶ。独身で良かったとさえ思う(笑)こんな身勝手な追及、この時期でなくてはできないもの。負け惜しみじゃなくてさ^^;
自分が褒めてもらえたらこんだけやる気でるんだから、周りの人の良い面は、僕も評価しようと思う。適切なコメント力が欲しい。他人の欠点をあげつらうことはある意味でとても簡単だし、何となく自分が偉くなったように気にもなれるけれど、実際のところ、そこにたいした意味はない。本当に建設的なのは、「良い面を見出して、伸ばしていく」ことだと思う。-1を、頑張って0にしても、それはスタート地点でしかないじゃないですか。同じ労力使うなら、0を+1にしたいじゃん。少なくとも、何か新しいことは始まっているわけでさ。
それにしても、まだよくわからないのは、何が神様にとっての歓びとなるのかってことだ。生きているだけでそうなのか、自分に与えられたスキルという贈り物を育てることなのか。あるいは両方なのか。
それも追及するに値するテーマだよね〜。
追及しようっと(笑)

周りの人たちの良い表情を残したい。むちゃな発想で絵を描きたい。こてこてに疲れるけど、利用者さんに「今日も楽しかった」と言ってもらいたい。ブログを通して、たった1人でいいからリアルな神様のことを知ってほしい。(そのために、誰かにおもねるというわけではないけれど)
むくむくとそんな願望が心に浮かぶ。独身で良かったとさえ思う(笑)こんな身勝手な追及、この時期でなくてはできないもの。負け惜しみじゃなくてさ^^;
自分が褒めてもらえたらこんだけやる気でるんだから、周りの人の良い面は、僕も評価しようと思う。適切なコメント力が欲しい。他人の欠点をあげつらうことはある意味でとても簡単だし、何となく自分が偉くなったように気にもなれるけれど、実際のところ、そこにたいした意味はない。本当に建設的なのは、「良い面を見出して、伸ばしていく」ことだと思う。-1を、頑張って0にしても、それはスタート地点でしかないじゃないですか。同じ労力使うなら、0を+1にしたいじゃん。少なくとも、何か新しいことは始まっているわけでさ。
それにしても、まだよくわからないのは、何が神様にとっての歓びとなるのかってことだ。生きているだけでそうなのか、自分に与えられたスキルという贈り物を育てることなのか。あるいは両方なのか。
それも追及するに値するテーマだよね〜。
追及しようっと(笑)

結婚。まだ全然、リアルに感じられない。自分が好きになった人が、自分のことを好いてくれるなんていう夢みたいな話があるんだろうか…と小学生のような印象さえ抱いている。だったらこんなテーマで書くなよって突っ込みはともかく、なんだか、結婚について考えてみたくなったんだ。
今まで生きてきた中で、何人かの女性とお付き合いした経験はある。でもそれは突き詰めて考えれば、ただの”肉欲”だったんだと思う。とんだオオカミ男でした^^;すいまめん。あとは単純に、誰かと繋がって安心したかったんだろうな。そんな身勝手さだから勿論関わりはうまく運ばなかったし、相手の女性を毎回、傷つける結果となってしまった。僕は間違っていた。
ミソジストにして独身の今、新たな気持でクリスチャンにとっての結婚について知ろうとしている。既婚者の友人のブログや、三浦光世・綾子夫妻の生き方、バイブルや本を通して少しずつ学んでいる。憧れをかきたてられるのと同時に、その責任を感じる。飽きたらポイ、ってわけにはいかんのよ。これが。いやクリスチャンに限ったことではないだろうけど。
自分を満たすことより、相手に献身する。これがクリスチャン同士の結婚の重要ポイントみたいだ。あとはやはり2人を繋ぐ共通の神様を第一にする。神様から見たら、結婚をした2人は「ひとつとなっている」わけで、夫婦って、本当に一丸となって主に向き合っていく共同体なんだね。
他の誰でもない、大切な相手との性の歓びだってあるだろうし、互いを見捨てず支えあえるのも嬉しいことだろう。何といっても人は一人では生きていけないから。「私」は「あなた」を求めるものだから。
そりゃ夢みたいなことだけではなく、いろいろ現実的な困難もあるだろうけれど、誰かと人生を分かち合えるのって、めっちゃ素敵だと思う。思えてきた(笑)
そんな素晴らしい結婚。ではなぜ、僕は積極的にパートナーを求めないのか?
…遠くにいる異性に好意を抱くことが多いからだ。物理的に、身近にいない人に。
ここでぶっちゃける。実は最近また、手の届かない人に想いを寄せ始めていた。遠くで一度会っただけの人。なのになんだかとても気にかかるんだ。
でも、それがどこか現実的でないのは、結局、自分の中だけで想いが完結してしまっているからだ。独り相撲で甘い感情の起伏だけを味わいたがっているというか、相手本人の息づかいが、ない(まあ、相手を知るすべもほとんどないんだけれどさ)。
しばらく祈っているうちに、その身勝手さに気づいた。で、その人のことは諦めなくてはならないと静かに思っている。いざという時に傷つかないように、距離のある人を好きになっているような気もして、その保険めいた考えにも自分自身、納得いかないから。それは神様の示す愛とは違うよね。
けっこうフクザツな男心です(笑)
でも最初の人・アダムでさえ、生涯独身ではなかったんだから、まだまだチャンスも希望もあると信じてる。まずは神様との関係をしっかり築いていくつもりだよ。まあそのうえで、一生独身かもしれないけど、準備はしとく。パートナーを真剣に求めるのは、それから、かなあ。
結婚してる人も、これからの人も。あなたが求めている形って、どんなものですか?

【おまけ】デイの利用者さんが、イラスト塗り絵に色づけしてくれました。嬉しい!!
↓クリック、励みになってます!^^

今まで生きてきた中で、何人かの女性とお付き合いした経験はある。でもそれは突き詰めて考えれば、ただの”肉欲”だったんだと思う。とんだオオカミ男でした^^;すいまめん。あとは単純に、誰かと繋がって安心したかったんだろうな。そんな身勝手さだから勿論関わりはうまく運ばなかったし、相手の女性を毎回、傷つける結果となってしまった。僕は間違っていた。
ミソジストにして独身の今、新たな気持でクリスチャンにとっての結婚について知ろうとしている。既婚者の友人のブログや、三浦光世・綾子夫妻の生き方、バイブルや本を通して少しずつ学んでいる。憧れをかきたてられるのと同時に、その責任を感じる。飽きたらポイ、ってわけにはいかんのよ。これが。いやクリスチャンに限ったことではないだろうけど。
自分を満たすことより、相手に献身する。これがクリスチャン同士の結婚の重要ポイントみたいだ。あとはやはり2人を繋ぐ共通の神様を第一にする。神様から見たら、結婚をした2人は「ひとつとなっている」わけで、夫婦って、本当に一丸となって主に向き合っていく共同体なんだね。
他の誰でもない、大切な相手との性の歓びだってあるだろうし、互いを見捨てず支えあえるのも嬉しいことだろう。何といっても人は一人では生きていけないから。「私」は「あなた」を求めるものだから。
そりゃ夢みたいなことだけではなく、いろいろ現実的な困難もあるだろうけれど、誰かと人生を分かち合えるのって、めっちゃ素敵だと思う。思えてきた(笑)
そんな素晴らしい結婚。ではなぜ、僕は積極的にパートナーを求めないのか?
…遠くにいる異性に好意を抱くことが多いからだ。物理的に、身近にいない人に。
ここでぶっちゃける。実は最近また、手の届かない人に想いを寄せ始めていた。遠くで一度会っただけの人。なのになんだかとても気にかかるんだ。
でも、それがどこか現実的でないのは、結局、自分の中だけで想いが完結してしまっているからだ。独り相撲で甘い感情の起伏だけを味わいたがっているというか、相手本人の息づかいが、ない(まあ、相手を知るすべもほとんどないんだけれどさ)。
しばらく祈っているうちに、その身勝手さに気づいた。で、その人のことは諦めなくてはならないと静かに思っている。いざという時に傷つかないように、距離のある人を好きになっているような気もして、その保険めいた考えにも自分自身、納得いかないから。それは神様の示す愛とは違うよね。
けっこうフクザツな男心です(笑)
でも最初の人・アダムでさえ、生涯独身ではなかったんだから、まだまだチャンスも希望もあると信じてる。まずは神様との関係をしっかり築いていくつもりだよ。まあそのうえで、一生独身かもしれないけど、準備はしとく。パートナーを真剣に求めるのは、それから、かなあ。
結婚してる人も、これからの人も。あなたが求めている形って、どんなものですか?

【おまけ】デイの利用者さんが、イラスト塗り絵に色づけしてくれました。嬉しい!!
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「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。
木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる」(ルカによる福音書6:43〜44)
良い木…、神様に根ざして、幹にはイエス様という芯が通り、
そこから豊かな滋養を得ている木は、どんな実を結ぶんだろう。
それは行いかもしれない。
あるいは、イエス様のような品性かもしれない。
愛や喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制…。
自分とひき比べたら「無理っす!」と
即座に言いたくなるほど距離があるけれど、
少なくとも、先への希望は持てるよね。
実際の木の実が熟すのに時間がかかるように、
こういう行いや品性を身につけるのって、とても時間がかかるはずだから。
「実」があらわすものって、
つまり、「どれほど変えられたか」じゃないかな?
種の姿から、すぐに果実って想像できないじゃないですか。
そこには驚くほどの変化がある。
イエス様も、個人的に係わった人たちを劇的に変えた。180度、変えた。
しかも良い方向に。
目の見えなかった人が、見えるようになった。
歩けなかった人が、歩けるようになった。
反逆者を偉大な弟子につくりかえた。
蔑まれている人たちを、神様の友とした。
誰がそんな変化を想像しただろう。
本人たちにさえ、全く思ってもみなかったことのはずだ。
「それだけはありえない!」って感じで。
でも、ある。イエス様はそういう方なんだ。
そのイエス様が今も生きて、僕らの人生に働かれていると信じる以上、
この、思いがけない変化っていう、
「良い実」を、期待していいんだと思う。
心の雑草を引っこ抜いたり、
乾いた地面に水をやったりする必要はあるだろうけれど、
それはまあ、お手伝いのようなものだ。
大半の仕事は、イエス様がしてくれる。
熟練した園芸家みたいに。
バイブルって、すごいね!
この短い一節からだけでも、めちゃめちゃ考えさせられる。
まじで神様の言葉だわ。
思うに任せないことなんていくらでもあるし、
全然ホーリーでも何でもない自分を垣間見ることもあるけどさ、
なんだか、変えられたい。結ぶ実を、できるなら見てみたいよ。
↓クリック、感謝です^^

木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる」(ルカによる福音書6:43〜44)
良い木…、神様に根ざして、幹にはイエス様という芯が通り、
そこから豊かな滋養を得ている木は、どんな実を結ぶんだろう。
それは行いかもしれない。
あるいは、イエス様のような品性かもしれない。
愛や喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制…。
自分とひき比べたら「無理っす!」と
即座に言いたくなるほど距離があるけれど、
少なくとも、先への希望は持てるよね。
実際の木の実が熟すのに時間がかかるように、
こういう行いや品性を身につけるのって、とても時間がかかるはずだから。
「実」があらわすものって、
つまり、「どれほど変えられたか」じゃないかな?
種の姿から、すぐに果実って想像できないじゃないですか。
そこには驚くほどの変化がある。
イエス様も、個人的に係わった人たちを劇的に変えた。180度、変えた。
しかも良い方向に。
目の見えなかった人が、見えるようになった。
歩けなかった人が、歩けるようになった。
反逆者を偉大な弟子につくりかえた。
蔑まれている人たちを、神様の友とした。
誰がそんな変化を想像しただろう。
本人たちにさえ、全く思ってもみなかったことのはずだ。
「それだけはありえない!」って感じで。
でも、ある。イエス様はそういう方なんだ。
そのイエス様が今も生きて、僕らの人生に働かれていると信じる以上、
この、思いがけない変化っていう、
「良い実」を、期待していいんだと思う。
心の雑草を引っこ抜いたり、
乾いた地面に水をやったりする必要はあるだろうけれど、
それはまあ、お手伝いのようなものだ。
大半の仕事は、イエス様がしてくれる。
熟練した園芸家みたいに。
バイブルって、すごいね!
この短い一節からだけでも、めちゃめちゃ考えさせられる。
まじで神様の言葉だわ。
思うに任せないことなんていくらでもあるし、
全然ホーリーでも何でもない自分を垣間見ることもあるけどさ、
なんだか、変えられたい。結ぶ実を、できるなら見てみたいよ。
↓クリック、感謝です^^
父なる神様が、人の罪を拭い去るために、
その独り子を十字架につけた時、
いったい、どんな気持になったんだろう。
神様には、心がある。感情がある。
喜び、憤り、悲しみ、笑う。
その時、の気持。
胸は引き裂かれ、できるなら自分が息子に代わってやりたいと願い、
それでも、そうすることでしか人を根本から
救うことができないというジレンマで、
神様は苦しまれたんじゃないだろうか。
十字架の上のジーザスと同じくらいに。
その後の、輝かしい復活で、
ジーザスは死から打ち勝つ。
十字架の死は、決して無駄に終わらない。
でも、そんな展開を十分に知りつつも、
今目の前で苦しむ子供の姿を見るのがしのびない…、
それが「親」の気持なんだと思う。
子供のいない僕には、想像になってしまうけれど。
旧約聖書の中で、アブラハムが、
その独り子・イサクを主に捧げようとするシーンがある。
ある時、神様は、アブラハムの信仰を試そうとして、こう命じるんだ。
「あなたの愛する独り子イサクを、
焼き尽くすわたしへの捧げものとしなさい」と。
聞く限りではとんでもない話だ。
年老いたアブラハムに与えられた最愛の子供。
アブラハムも神様と息子との間で死ぬほど悩んだだろう。
自分が死んだほうがましとさえ思ったかもしれない。
しかし結局、彼は息子を捧げる決意をする。
アブラハムは息子を連れて、神様に命じられた場所へ向かう。
そしてそこに祭壇を築き、薪を並べて、息子を縛りその上へと載せる。
刃物をとり、息子を屠ろうとしたその時、天の御使いが彼に呼びかける。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。
あなたが神を畏れる者であることが、今、わかったからだ。
あなたは、自分の独り子である息子すら、
わたしにささげることを惜しまなかった」
神様には、子を想う親の気持がわかっていた。
だからこそ、アブラハムを寸前でくいとめたんだろう。
神様のために全てを捧げようとする彼の信仰を見て、
「もういいよ、十分わかったよ」と言ってくれたんだ。
その神様が…実際にご自分の独り子の命と引き換えに、僕らを助けてくれた。
そうしてまで、神様に背を向けてきた僕らを救おうとしてくれた。
アブラハムにさえ、「しなくていい」と言ったことを。
自分に反抗し、自分を軽んじてきた者のために、我が子を差し出す。
人には到底できないよね。
神様には、どうしてそんなことができたのだろう?
それは…僕らを愛しているから。
だからこそ、最大の犠牲を、払ってくれたんだ。
口先だけではなくて。
愚かな僕はすぐにそのことを忘れそうになる。
変な話だけど、十字架に慣れてしまうというか、
尊い犠牲への感動を失いそうになる。
でも、こうしてまた思い出す。
自分がいることの根本に、どれほどの、神様の想いがあったのかを。
そうまでして、神様は僕らに「生きててほしい」と、呼び掛けているんだ。

その独り子を十字架につけた時、
いったい、どんな気持になったんだろう。
神様には、心がある。感情がある。
喜び、憤り、悲しみ、笑う。
その時、の気持。
胸は引き裂かれ、できるなら自分が息子に代わってやりたいと願い、
それでも、そうすることでしか人を根本から
救うことができないというジレンマで、
神様は苦しまれたんじゃないだろうか。
十字架の上のジーザスと同じくらいに。
その後の、輝かしい復活で、
ジーザスは死から打ち勝つ。
十字架の死は、決して無駄に終わらない。
でも、そんな展開を十分に知りつつも、
今目の前で苦しむ子供の姿を見るのがしのびない…、
それが「親」の気持なんだと思う。
子供のいない僕には、想像になってしまうけれど。
旧約聖書の中で、アブラハムが、
その独り子・イサクを主に捧げようとするシーンがある。
ある時、神様は、アブラハムの信仰を試そうとして、こう命じるんだ。
「あなたの愛する独り子イサクを、
焼き尽くすわたしへの捧げものとしなさい」と。
聞く限りではとんでもない話だ。
年老いたアブラハムに与えられた最愛の子供。
アブラハムも神様と息子との間で死ぬほど悩んだだろう。
自分が死んだほうがましとさえ思ったかもしれない。
しかし結局、彼は息子を捧げる決意をする。
アブラハムは息子を連れて、神様に命じられた場所へ向かう。
そしてそこに祭壇を築き、薪を並べて、息子を縛りその上へと載せる。
刃物をとり、息子を屠ろうとしたその時、天の御使いが彼に呼びかける。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。
あなたが神を畏れる者であることが、今、わかったからだ。
あなたは、自分の独り子である息子すら、
わたしにささげることを惜しまなかった」
神様には、子を想う親の気持がわかっていた。
だからこそ、アブラハムを寸前でくいとめたんだろう。
神様のために全てを捧げようとする彼の信仰を見て、
「もういいよ、十分わかったよ」と言ってくれたんだ。
その神様が…実際にご自分の独り子の命と引き換えに、僕らを助けてくれた。
そうしてまで、神様に背を向けてきた僕らを救おうとしてくれた。
アブラハムにさえ、「しなくていい」と言ったことを。
自分に反抗し、自分を軽んじてきた者のために、我が子を差し出す。
人には到底できないよね。
神様には、どうしてそんなことができたのだろう?
それは…僕らを愛しているから。
だからこそ、最大の犠牲を、払ってくれたんだ。
口先だけではなくて。
愚かな僕はすぐにそのことを忘れそうになる。
変な話だけど、十字架に慣れてしまうというか、
尊い犠牲への感動を失いそうになる。
でも、こうしてまた思い出す。
自分がいることの根本に、どれほどの、神様の想いがあったのかを。
そうまでして、神様は僕らに「生きててほしい」と、呼び掛けているんだ。


一緒にいるのが一番。
すべてそこから始まるね。junykuny「リユニオン」までの軌跡>あり
俺の写真の「効能」を教えてくれてありがとう(笑)
自分じゃわからないもんだねえ^^;
俺もありと一緒にいろいろ準備できて、戸惑っている俺らにたくさんtaikaゆるやかに軸に帰る>yumi☆さん
ね〜?そうだよね?taikaゆるやかに軸に帰るほほほ…(●^o^●)
うんうんyumi☆「リユニオン」までの軌跡そんな風に思ってくれてたんだ。。。ありがとう。
タイカ君の写真は、私にはない繊細さとか、柔らかい空気、どこか人に与える安心感、そんなもので溢れてるよね。
そし有ともとうとう、リユニオン!>あり
まだ夢うつつな感じです^^
ほんとに、見てくださる方がいてなんぼなので、遅ればせながら宣伝がんばります。
言うとおり今度、打ち上げしましょうぜ!^taikaとうとう、リユニオン!おめでとう〜〜!
ついにきたね。私も近かったら顔を出すのになぁ。。。えりんぎ