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Hold Me Jesus 2

北海道在住のジーザスフォロワー・taikaのブログ。CFNJ聖書学院にて研がれる日々。

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本日のものすごく小さな奇跡。

甘いものが好きで、ここ最近、菓子パンを食べることがけっこう多かった。でもあるときから、「食パンに何か塗った方がお得」と気づいて、チョコのクリームを買い始めた。確かに正解だった。

ただ部屋にはスプーンが無くて、箸でクリームを塗っていた。それだけがささやかに残念だった。

今日の午後、図書館に本を借りに行ったついでに、セブンイレブンに寄った。例によって食パンとチョコクリームを手に取ったわけだけど、とっさに「スプーンもらおうかなあ」と迷った。あればたいそう塗りやすい、でも、わざわざ言うのもちょっと照れくさい。結局は「まあいいや」と諦めてレジへ向かった。

レジにいたのは「おっかさん」という感じのおばさんで、接客もフレンドリーだ。「袋いらないです」と僕が言うと、「じゃあテープ貼っとくね!」と笑顔で返してくれた。

何事もなくお会計が済むかと思ったそのとき、おばさんが彗星のような一言を放った。

「チョコ塗るためのスプーン、いる??」

それそれ、それですよ!と思った。チョコ+食パン=スプーンの公式を、どこからおばさんが導き出したかは知らないけれど、ともかくシンクロぶりに驚いた。あと年期に。

おばさんはカレー用のスプーンを「大きすぎて悪いねえ」と渡してくれた。何をおっしゃいますやら。ありがたく頂戴した。

帰ってさっそくパンを食べた。クリームはものすごく塗りやすかった。

たかがスプーン。でも、神様はこんな小さなことまで、気にかけてくれるんだね、なんて。



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2011.08.11 22:11 | CFNJ聖書学院 | トラックバック(-) | コメント(0) |
夏休みです!
時間が少しできたので、先日、卒業生のためにつくったオリジナルソングの歌詞を載せます~。
ちなみにFBでの動画はこちらです。

「光となる」


「光となる」

渇いた土地を 潤すために
命の水を たずさえて
開かれた 戸をくぐり
あなたを待つ場所へ 今 行く

そしてあなたは 光となる
暗闇を照らすひとすじの
あなたにしか 行けない場所で
輝き放つ 光となる

飢え渇く人を 満たすために
主イエスの御手に ふれられて
砕かれた あなたの魂は
誰かに優しく そっと寄り添う

そしてあなたは 光となる
暗闇を照らすひとすじの
あなたにしか 行けない場所で
輝き放つ 光となる

輝き放つ 光となる






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2011.07.09 06:29 | CFNJ聖書学院 | トラックバック(-) | コメント(0) |


ミンちゃん、関西に向けてとうとう旅立ちましたね。
昨日の朝、バス停で見送ってから、部屋に戻ると、
やっぱり涙が出ました。

それから2時間ぐらい雪かきをしました^^。


…ちょうど1年と1ヶ月の間、
本当にありがとうございました。
お世話になりました。
同い年で、韓国人で、一緒にイエス様を見上げられる
友達が、できるとは思っていませんでした。

学院生活も、教会生活も、あなたがいてくれたから、
不器用な僕は、随分守られました。

ミンちゃんはお茶目で、人への配慮があり、
神様へのまっすぐな信仰を持っています。
だから誰からも好かれていたよね。
その調子で、関西でもモテモテでいてください。

僕の写真の専属モデルとしても、
付き合ってくれて感謝です。
鹿の角まで快くかぶってくれる人は
なかなかいないからさ。
サングラスもかけて(笑)。

3学期…あなたが進路について
壁にぶつかって悩んでいる時、
近くにいるのに何もしてあげられず、
もどかしかったです。
でも学院生活の最後で、その壁を乗り越えた姿に
とても励まされました。
神様とサシで向き合っていた姿に。

これから、場所は離れるけれど、
僕らは全く同じ神様の御手の中にいます。
それぞれの場所で、与えられた使命を、
果たしていきたいね。

ミンちゃん。

イエス様から、いつまでも変わらない方から、
たくさんの愛を受け取ってください。
周りの人、これまで出会った仲間、
これから出会う人からも、
たくさんの愛を受け取ってください。

そしてそれを、次の人に手渡してください。

日本に来てくれて、ありがとう。
友達でいてくれて、ありがとう。


taikaより




(皆様へ)
コメント欄をもう一度開きました^^
2011.04.03 03:58 | CFNJ聖書学院 | トラックバック(-) | コメント(0) |

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☆ ここ石狩に来て、昨日3/1でちょうど1年になった。
イエス様を信じていなかったら、聖書学院に導かれることも
なかったし、ここまで色々なことを乗り切れることも
なかったと思う。

クリスチャンとしての流れが完全に変わった1年だった。

明後日は卒業式で、同期のクラスメイトを送ることになる。
この人たちをクラスメイトと呼べるのが嬉しい。



…と、今日はあまり時間が無いので、
想い出話は次回にして、本題へ。

僕の学院生活1周年を感謝して、
皆様にプレゼントを差し上げたいと思います^^
今回は、絵です。
あなたのために、1枚、絵を描きます。

卒業式関係で色々絵を描いたのが楽しかったので。
それで人に喜んでもらうのも嬉しかったので。


生意気なようですが、流れは以下のような感じで
お願いします。

1、このブログのメールフォーム、あるいは
ツィッター、Facebook、ミクシイなどで
お知り合いの方は、そこを通じてご連絡ください。
期間は3/10までとします。

2、何かテーマを教えてください。
「秋田犬」でも「地球温暖化」でも
「皇帝アウグスティヌス」でも、
あなたが描いてほしいものを
お伝え下さい。
(僕の解釈で描かせてもらうので、
イメージ通りに仕上がるかは別として・笑)

できあがりには2週間ほどかかります。

3、差し支えなければ、原画をお送りしますので、
お名前やご住所など、連絡先を教えてください。
どうしても抵抗のある方は、
絵を写真に撮って、メールでお送りしますね。

4、描かせていただいた絵は、
こちらも差し支えない場合、facebookなどで
公開させていただきたいと思います。

5、勿論、依頼はそんなに殺到しないと思いますが、
複数の方がご連絡くださった場合、厳選な抽選により、
2名様に決めさせて頂きます。


以上、この学院生活を有形、無形の形で支えてくださった
皆さんへの、せめてものお礼です!
この一年、本当にありがとうございました~!

ご連絡、お待ちしています~~^^



2011.03.03 08:09 | CFNJ聖書学院 | トラックバック(-) | コメント(-) |

☆ 本日金曜日、説教学の時間でお披露目した
メッセージを載せますー。







最初に白旗から挙げてしまいます^^;
今回話させてもらうのは、
まだ、まとめきれてない考えです。
実践、というより実感するのも、
もう少し先になりそうです。ただ、
最近頭からどうしても離れないので、
分かち合えたらと思います。

去年の10月、皆で秋の小旅行に出かけた時のことです。
赤ちゃんを抱く機会がありました。
一緒に来ていたY先生を尋ねて、
ある方がお子さん連れで来てくれたんです。
僕が、赤ちゃんをしっかり抱くのは、
たぶんそれが初めてのことだったと思います。
本当に温かくて、思った以上に重たかった。
ぎこちなくあやしているうちに、
赤ちゃんは指をくわえたまま、寝入ってしまいました。
驚くほど、無防備な姿でした。
全てを委ねて、その時、赤ちゃんはただそこにいました。
人の子供なのに、何故か「この子をほっておけない」
という強い思いが湧いてきました。

御言葉をお読みします。
イザヤ49:15-16「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の生んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ女たちが忘れようとも、
わたしがあなたを忘れることは決してない。
見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける。」

ちなみにリビングバイブルでは
「おまえの名をてのひらに入れ墨した」とあります…
前回に続いてまた極道関連に持っていってすみません(笑)。

人間の赤ちゃんは、何故あんなに無防備なのでしょうか。
無力なのでしょうか。動物の赤ん坊なら、
生まれてそれほど経たないうちから起き上がり、
自分の力で動き出します。

僕はこう思います。
人は、無条件で愛されることを知るために、
何もできないままでも受け入れられることを
感じるために、無力なままで生まれてくるのだと。
本来、家庭や親は、神様の代理として、
子供にそれを伝えるために設けられたもの
じゃないかと思います。
でもこの世には罪があります。
親も完璧ではありません。
ですから、僕たちは、ただそこに「いる」ことに、
十分安心して生きられない面が
あるんじゃないでしょうか。

加えてこの世の価値観では、
人は「何ができるか」で測られます。
「使える」「使えない」で判断されます。
ますます、能力がなければ生きる意味が
ないかのように思わされます。

しかし、神様の中で、僕たちはまず、
ただそこにいることが赦されています。
神様は、自分たちの罪をどうしようもできない、
無力な僕たちのために、
その独り子を十字架につけられました。
僕たちが滅びずに、神様と共に「いる」
ために、イエス様は犠牲になってくれました。
僕たちは神様にとって乳飲み子であり、
決して忘れられていない存在です。
手のひらに刻みつけられています。

確かに、神様は目的をもって1人1人を
創られました。ただそれは、無条件に
「いる」ことを味わってから、
見いだすものではないでしょうか。
「いる」ことから「する」ことが生まれます。
何かを「する」ことから、自分の存在を
心底肯定することは、できません。

何かできなくては神様に愛されない。
せき立てられるように、
僕もそう思っていた者でした。
自分がその場所にいるために、
誰かから認められるために、
懸命に動こうとしていました。
動かない人も裁いていました。
でも、それより先に、
神様の御手の中に飛び込みたいなと、
改めて思いました。
忙しく立ち働くマルタではなくて、
主と共に過ごすことを選んだマリアのように。

人は、ひとつの卵子と無数の精子の中の
ひとつとが結びついて、生まれます。
別の組み合わせからは、
決して「わたし」が生まれることはありません。
そういう意味では、途方もない選択肢から
選び抜かれた存在です。

エペソの信徒への手紙1:4-5の
御言葉を皆で読みましょう。
「すなわち、神は私たちを世界の基の
置かれる前から彼にあって選び、
御前で聖く、傷のない者にしようと
されました。神は、みむねとみこころのままに、
私たちをイエス・キリストによって
ご自分の子にしようと、愛をもって
あらかじめ定めておられました」。


僕たちの存在は、神様から全肯定されています。
それをお互い、はっきりと悟りたいと願います。
そしてそこから、それぞれどのような行動が
生まれてくるか、楽しみにしたいと思います。






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2011.02.04 13:37 | CFNJ聖書学院 | トラックバック(-) | コメント(-) |
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