韓国で神様に出会った話の続き。
それまでの僕の人生は、たくさんの行動が逃避から生まれていたような気がする。
特に両親からの。
両親は特に大きな問題を抱えていたわけじゃない。
少しばかり頭の固いところはあるものの、子供を育てるために一生懸命働いてきた、
どこにでもいる父と母だ。
僕は北海道の室蘭生まれだ。小学2年までそこに暮らし、
それから中央部の十勝へと移ってきた。
思えば、この環境の変化が僕に、あまり好ましくない影響を与えたのだ。
保育所、小学1年まで、僕は日本名を名乗っていた。
(在日韓国人は韓国名と、「通名」と呼ばれる日本名を持っている)
引っ越して、転校してからは韓国名で学校に通った。
「韓国人なんだから、韓国の名前を使うのは当たり前」
両親の気持はそうだったらしい。
だが、家で韓国式に暮らしているわけでもなく、
韓国語を使うわけでもなかったから、
僕のなかで韓国人としてのアイデンティティーは育つはずもなかった。
姿かたちは日本人と変わらないのに、名前だけは妙。
クラスメイトからはあからさまないじめこそなかったものの、
「この子は何か、違うんだ」という、微妙な違和感があった。
自分は他の子と違う。
その気持は距離を生んで、僕はクラスメイトに溶け込めなくなった。
わけもない劣等感が心を苛んだ。
何年か経った。緩やかに始まりつつあった反抗期も相まって、
僕は両親ともうまく話せなくなっていた。
自分には韓国名を使わせるのに、父自身は「仕事の関係で」日本名を使って
いるのも釈然としなかった。
この反抗は本当に長く続いた。今でも余震が残っているほどだ。
僕は高校から親元を離れたんだけど、動機は逃避だった。
混乱した自我が、土台のない場所から成長するのは、難しい。
高校でも、僕はコンプレックスにまみれることとなった。
ただ勉強をするだけなのに耐えきれなかったということもあり、
僕はクリエイティブな活動に力を入れ始めた。
写真、絵、音楽(特にテクノ)を聞くこと、部活の放送部……。
何か先への確証があったわけじゃない。
現実を見たくなかった。先送りしていたかった。
大学は某学校の芸術学部を受けた。見事に落ちた。
僕は1年浪人して、本厚木にある大学の写真学科に入学した。
そこで感じたのも深い劣等感だった。
クラスメイトの多くは、若さゆえの高慢さと、根拠のない自信で、
ものづくりに邁進していた。
でも、自分には何かを生み出すための強い動機がなかった。
親への反発…そんなものに自分を預け渡していながら、
どこかで無条件の評価を求めていたから、
他人の評価に対しても敏感で…すぐに気持を左右された。
批判を聞くとまる1日ふさぎ込み、もう嫌になってしまっていた。
いつのころからか、僕は大学に行かなくなった。
親からの仕送りは本、映画、ゲームに使い果たされ、
時間をつぶすためだけの日々が続いた。
不眠症になり、昼夜は裏返り、
しんしんと冴えた頭と血走った眼で、夜明けを迎え続けた。
東京という街は、弱った心に、けして優しいとは言い難いところだ。
僕は1分1秒を生きることがわからなくなっていた。
両親からは時折電話が来た。僕は自分の苦境について一言も話せなかった。
「平気。何とかやってるよ」この1点張りだった。
荒んだ心は、僕をある行動へと駆り立てた。
万引きだ。
一時期、僕の部屋の本棚は、盗んだ本で溢れ返っていた。
本を買うお金が無かったわけではない。
今から思えば、「気づいてほしかった」んだと思う。
ここに生きていること。
何度となく盗みを繰り返しても、不思議と見つかることはなかった。
そうだろう、と感じた。
俺はコンビニに入っても、いらっしゃいませ一言、
言われたことがない程だから。
しかし、しばらくして。
神保町の大きな書店で、とうとう僕は捕まった。
玄関を出て、警備の人に手首をつかまれたときの感触は、
今でも覚えている。事務所に連れられ、親へ連絡がいった。
身分証明の外国人登録証を見て、係員が言った。
「国に帰らされるぞ」
冗談じゃない。韓国のどこに僕の居場所があるんだ。
そのころ、実は全く人との接触がなかったわけではない。
僕には一人の友人と、彼女がいた。
ただ、結局のところ、僕はこの2人を裏切ってしまう。
友達の方は、友達の彼女が紹介してくれた本屋のバイトで、
店員にも関わらず店の本を盗んだことで。
勿論首になったし、友人との関係にもひびが入った。
彼女との関わりは、ただ単に、肉欲の問題だった。
気持の、深い繋がりなどほとんど無かったから、
ほどなく彼女は去って行った。
僕は遠い国で、放蕩を尽くしていた。

韓国でジーザスを受け入れてから…そのことを思い出すことになった。
過去の情景が、次々と脳裏をよぎり始めた。
バイブルのとある箇所に触れることで。
それは「ルカによる福音書」の15章11節から始まる、
放蕩息子のたとえだ。
ある人に息子が2人いた。弟の方はどうしようもないやつで、
父の財産を生前分与してもらい、すぐさまそれをお金に変えて家を離れ、
遠い国で放蕩の限りを尽した。
お金のあるうちはいい。ただそれは無くなるものだ。
飢饉が起き、しだいに息子は食うにも困るようになってしまった。
ある人のもとに身を置き、豚の世話をしながら暮らし始める。
「豚の餌でさえ食べたい」と思いながら。
しかしある時、息子はこう言う。
「自分には父の家にいるとき、有り余るパンがあった。しかし今はここで飢え死に
しそうだ。父のところへ行って言おう。『お父さん、私は天に対しても、またお父さんに
対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にして
ください』」と。
恐る恐る、息子は家に帰る。自分など赦されるはずはないと思いながら…。
しかし、遠くからやってくる息子を見て、父親は走り寄って首を抱き、口づけた。
服を着替えさせ、子牛を屠り、祝宴を開いた。
畑で働いていた兄の方は面白くない。怒って父親に言った。
「わたしは何年もあなたに仕えてきたのに、あなたはわたしのために子ヤギ一匹くれたことは
ありません。ところが、あの息子(弟)が娼婦たちと身上を食いつぶして帰ってくると、
肥えた子牛を屠っておやりになる」
父はこう返した。
「わたしのものは全ておまえのものだ。だが、あの弟は死んでいたのに生き返った。
いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開くのは当たり前ではないか」
僕には、この放蕩息子が、自分のことのように感じられてならなかった。
親に逆らい、遠い国で放蕩を尽くし、激しく赦しを求めている。
これほどの反抗を繰り返したのだから、
普通なら絶対に赦しなど与えられるはずはないのに。
にもかかわらず、父は息子を赦し、帰還を喜んだ。
自分も許されるのかもしれない…。ほのかな希望が湧いてきた。
肉親の父にも反抗し、自分勝手な道を歩むことで、
神様という天の父にも反逆してきた。
しかしそれでも、天のお父さんは手を広げて僕を迎え入れてくれるのだ。
心のどこかでは「そんなうまい話あるわけないじゃん」と思っていた。
でもまた心のもう一方では、許されること、受け入れられることを激しく求めていた。
神様…このままの自分で、いいんですか?
自分は、新しく生まれ変われるんですか?
祈りともいえない、ゆっくりとした流れが、心のなかに生まれてきた。
(つづきます)

韓国で神様に出会ったお話の続き。
以前何かの本で「人間の中には神様でしか埋まらないくぼみがある」という話を読んだことがある。
人が空虚さや虚しさを感じてしまうのは、本当に満たされなくてはならない場所が埋まっていないからだ、と。
神様のことがいまいち信じられなかったあの頃、僕の心の中にもそんなくぼみがあった。
くぼみが埋まることを強く求めていながら、先入観や恐れがそれを邪魔していた。
信仰なんて、安易な逃避だと思っていたから、簡単に飛び込めなかった。
今日が来て、明日が来ることの意味を、うまく感じられなかった。
生きることの意味とかも。
生きることに意味がないのならば、どうしてその時、自分は死を選ばなかったんだろう。
それはやはり、どこかで「生きていたい」と思っていたからだ。
心のくぼみはずきずきと痛んだ。
でも、神様は僕をほっておいたりはしなかった。
意味を見いだせなかった自分の生、そんなものを…ジーザスはかばってくれた。
父なる神様を信じるようになるきっかけは、ジーザスへのシンパシーだった。
鞭打たれ、ぼろぼろになって、十字架に磔にされた、神様の一人息子。
ある時…バイブルをわからないながら読んでいて、思ったのだ。
どうして彼は、十字架につけられなくちゃならなかったのかって。
文章だけするりと読んだら、
民衆をひきつけるジーザスの教えに嫉妬した当時の宗教指導者が、
彼を陥れて極刑に処した、ようにしかみえない。
ただ、僕にはバイブルのこの一節が響いた。
十字架につけられた、まさにその時にジーザスが発したこの言葉。
『そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカによる福音書23:34)』
人のあるゆる妬みやそねみ、おごり高ぶり、暴力への欲求。
それらがひとまとめにジーザスに襲いかかり、死にまで至らせようとしているのに、
なぜ彼はとりなすんだろう。
それは…愛して受け止めたからじゃないだろうか。
僕は他人のためにそこまで自分を投げ出せるだろうか。
自分を虐げる人間をかばえるだろうか。
かさぶたをはがすのにだって、体の痛みは伴う。
なのにジーザスは血みどろになって、体を張ってくれた。
十字架の上で手を広げて。
そこまでの愛は、人間にはない。ちらりとそんな考えがよぎった。
十字架と自分とが初めて、少しリンクした瞬間だった。
虚しさで自分自身を傷つけてきた僕の前に、ジーザスが立って、護ってくれているような気が、その時はした。
心にうごめくものを感じ始めてから、またひと月ほど経った。
ジーザスを信じたいのに、まだ戸惑っている…そんな毎日。
例によってノグリ姉さんの家にご飯を食べに行ったら、その日は少し様子が違った。
おしゃべりの後で姉さんが小冊子を取り出してきたのだ。
「豊かな人生のための四つの法則」だったと思う。
キリスト教伝道用の本だ。
姉さんは言った。「イエス様を受け入れてみない?」
二人で小冊子を読んだ。そこには、神様が人間を愛していること、
でも人間が罪を犯して自分勝手な道を歩んだおかげで、その愛を受け取れなくなったこと、
ジーザスが身代わりになって十字架で命を捧げてくれ、神様への反逆の罪をあがなってくれたおかげで、再びその愛が受け取れるようになったことが書かれていた。
全てを理解することはできなかった。普通に聞いたらあまりにも荒唐無稽な話だったから。
ただ、「ジーザスがかばってくれた」というのは、強く感じた。一月前からじわじわと芽生えていた気持。
価値が無いはずの自分に捨て身で向き合ってくれる存在。
その意味を知りたいと思った。だから冊子を読んだあと、僕は姉さんのリードに従って一緒に祈った。
「主イエス様、私はあなたを必要としています。
私の罪のために十字架で死んでくださったことを感謝します。
今、あなたを私の罪からの救い主、主としてお迎えいたします。
私のすべての罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださり感謝します。
私の心の王座で、私の人生を導いてください。
あなたが望んでおられるような者に変えてください。アーメン。」
急に回心して、神様を讃美するだとか、そんなことはなかった。
ただ、これからの自分の変化に思いを馳せた。
行先はわからないけれど、遠くの方に、ぽつんと光が灯った[:ぴかぴか:]

教会に行き始めてしばらく経ったころ。
(つづきます)

通っていたドンスン教会の礼拝堂。
韓国で神様に出会ったお話の続き。
留学生歓迎会で出会った、ノグリ姉さんとスンちゃん夫妻。
そのころ2人は教会の近くに住んでいた。
イルカちゃんと、それからもう1人、ノグリ姉さんの親友、
うんちゃんと同居しながら。
最初は「夫婦なのに何故?」と思ったけれども、
足繁くお宅に通うようになって[:ジョギング:]、
4人の関係が抜群に安定しているのを見て、
…なんだか納得してしまった。
この人たちはこれでいいんだ。
歓迎会をきっかけに通い始めたドンスン教会は、
若い人たちの活気に満ちていた。
学校のクラスメイトは、自分も含めて、
とりあえず安く留学できるから韓国に来てみました、
という感じの人も多く、そこはかとないけだるい空気が寄宿舎に漂っていたから、
その元気さには戸惑った。
韓国人の国民性もあって結束も堅く、
日曜には若者だけ百人以上集う礼拝もあったほど。
礼拝での牧師さんの説教は、ほとんど理解不能だった。
学校の授業もようやっとついていける程度だから、無理もない。
皆で歌うワーシップソングは、嬉しかった。
音楽好きなので、ライブ感覚で聴けたから。
韓国人の祈りは熱い。声を張り上げ、手を差し出して、
陶酔するかのように祈る姿に、
最初は「なんだこいつら!あほか!」と思っていた[:びっくり:]
集団洗脳、新興宗教、病気が治る水…と、
訳のわからないことが脳裏をよぎっていた[:あせあせ:]
でもそんな引っ込み思案で疑り深い僕を、ドンスン教会の人々は受け入れてくれた。
後に聞いたことだけれど、留学生歓迎会を機に教会に来るようになる人というのは、
滅多にいなかったらしい(珍しがられていたのかもしれないね)。
前にも言ったとおり、日本では人との接触がほとんど無いまま、
僕は過ごしてきたから、皆の集まりに入っても、
観葉植物みたいに静かにしているしかなかった。
唯一、ゆっくり話せた相手がノグリ姉さんとイルカちゃんだった。
特にノグリ姉さんとは、それまでの沈黙貯金を全額引き出す勢いで、
たくさんのことを話した。
彼女らがどうして他の人と違うのか、知りたかった。
韓国生活のいろはも教えてもらった。
数か月経った。でも、神様のことは信じられなかった。
何かに対して希望を持つということを久しく忘れていた。
てらいなく、神様を讃美できる周りの人々に、相変わらず疑いの眼差しを向けて…
羨ましさも感じていた。
「神様がもしいるのなら…なんでこの世をこんなに不公平なままで放っておくんだ??
理不尽な目にあっている、例えばホームレスの人たちは?愛されてるのか?
宗教なんて所詮、奇麗ごとだ。皆、痛みをごまかしているだけだ」
そんな悪態を心でつきながら、でも僕は空虚だった。
神様を否定していたけど、逆に自分に何か信じられるものがあるのかと問われると、
どこにも見当たらなかった。
国籍を信じられなかった。
経歴を誇れなかった。
自分自身の魅力も持ち合わせていなかった。
だけど…空虚さの奥には、狂おしいくらい何かを欲しがっている気持があった。
生きてるって、こういうことではないはずだ。
(も一つ明るい話になりませんが、つづきます)
証とは、自分がキリストとの関わりで、
どんな恵みを受け、どう変わっていっているかを
語るもののようです。
これは拙いけれど、僕、Taikaがどのようにキリストに出会ったか語る証です。
3年前…僕は韓国のソウルで、留学生として過ごしていた。
ソウルへ渡った理由は、いろいろある。
それまでの日本での生活が頭打ちになってしまっていたこと。
どうやって生きて行っていいか、完全に見失っていたこと。
僕は在日韓国人で、自分のルーツを探りたい気持もあった。
そのころはクリスチャンでも何でもなかった。
何者でもなかった。
日本で生まれた韓国人として。
僕は自分のアイデンティティーをうまく作ることができなかった。
顔かたちは似たようなものなのに、
流れる血が違うだけで、
自分の土台を信じることができなくなってしまっていた。
韓国語で自分の名前も書けないまま、ソウルでの生活は始まった。
学校は国営で、敷地のなかに寄宿舎があり、
費用も普通の留学に比べて、驚くほどほど安い。
授業の中身は、初めはちんぷんかんぷんもいいところだった。
何しろ「アンニョンハセヨ〜」ぐらいしか言えない。
クラスメイトは各国から集まった、在外韓国人たち。
中国、ロシア、ブラジル、ドイツ…。
割と家で韓国語を使っていた人たちが多く、
ヒヤリングはオッケーだったり、
片言で話すことができたりした。
僕はとてもコンプレックスを感じて、なかなか皆の中に入ることができなかった。
母国にいるはずなのに、安らぎはうまく感じられなかった。
どこへ行っても異邦人というか、どっちつかずの寂しい気持[:がく〜:]
寄宿舎の通り向かいには、ドンスン教会という、
大きな教会があった。
敷地も広大で、雑然とした街並みにどんと存在感を示してる。
学校が始まって間もなく、そこで「留学生歓迎会」があるという話を聞いた。
ちょっと行ってみようかな、と、どうしてそう思ったんだろう。
その時まで、キリスト教になんか髪の毛一筋ほどの興味もなかったし、
宗教に関して根強い不信感を抱いていたから。
何しろ統○協会の生まれたお国でもあるし。
取り込まれたらえらいことだ…と思っていたのだ。
間抜けな話だが、歓迎会で夕食がふるまわれるという話に、
心が動かされた[:食事:]
というのも、寄宿舎で出てくる食事が、
「生やけのサバのフライにタルタルソースをかけたもの」といった、
とんでもないメニューだったから[:びっくり:]
まともな御飯が食べたい!と思ってしまったのだ。
歓迎会の当日。
唯一、クラスメイトで仲良くなりはじめた在日のKくんと、
おそるおそる教会へと向かった。
取って食われるのは俺らなのかも…[:汗:]と戦々恐々だった。
でも、迎えてくれたのはたくさんの笑顔と、
飾り気はないけれど温かい夕食だった。
僕はそこで、運命の人たちに出会う。
日本語ができる教会の人から、
「他にも留学生で日本から来てる子がいるよ」と
紹介された人たち。
はじめから朗らかな態度で接してくれた女の子・イルカちゃん(仮名)、
その後、この人たちからイエス様を伝えてもらうことになった、
ノグリ姉さんとスンちゃん夫妻(一部仮名)。
本当に、この人たちに逢えたことで、人生はじわじわと変わり始めたんだ[:ぴかぴか:]
…今から思えば、そのために、僕は韓国へ行くことになったんだと思う。
すべて神様の導きによって。

(続きます)
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一緒にいるのが一番。
すべてそこから始まるね。junykuny「リユニオン」までの軌跡>あり
俺の写真の「効能」を教えてくれてありがとう(笑)
自分じゃわからないもんだねえ^^;
俺もありと一緒にいろいろ準備できて、戸惑っている俺らにたくさんtaikaゆるやかに軸に帰る>yumi☆さん
ね〜?そうだよね?taikaゆるやかに軸に帰るほほほ…(●^o^●)
うんうんyumi☆「リユニオン」までの軌跡そんな風に思ってくれてたんだ。。。ありがとう。
タイカ君の写真は、私にはない繊細さとか、柔らかい空気、どこか人に与える安心感、そんなもので溢れてるよね。
そし有ともとうとう、リユニオン!>あり
まだ夢うつつな感じです^^
ほんとに、見てくださる方がいてなんぼなので、遅ればせながら宣伝がんばります。
言うとおり今度、打ち上げしましょうぜ!^taikaとうとう、リユニオン!おめでとう〜〜!
ついにきたね。私も近かったら顔を出すのになぁ。。。えりんぎ