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Hold Me Jesus 2

北海道在住のジーザスフォロワー・taikaのブログ。CFNJ聖書学院にて研がれる日々。

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このブログの中で、
「ありのまま」でいることの大切さを何度か話してきた。
僕らがこの世にあってつけざるをえなかった仮面、
家庭で、職場で、人との関わりの中でどこか演じざるをえなかった、
そんな役割。

ジーザスの視線はいつもその先に、その奥にある僕らを
見つめている。そしてそれを大切に思ってくれている。

僕はそんな風に、誰かに接しているだろうか。
答えは「ノー」だ。恥ずかしながら。
自意識が高くて、時に怒りにかられて、感情に流され…、
たいていの場合、他の人にありのまま接することができていない。

偉そうに話してるけれど、まだまだヒヨッコなんだよね(笑)

だから僕には、レッスンが必要だ。
ジーザスのフィルターを通して、他の誰かを見るための。

バイブルや周りの人々、ネットを通して、
僕の寒天頭で必死に見出した、
「ありのまま」で人に接するためのポイント。
いくつか、書いておきたい。

「人にしてもらいたいことを、人にもしなさい」ってあるように、
要は、僕がどんなときに「ありのまま受け入れられているか」
それを考えてみたんだ。



1.話をそのまま聴いてくれる。

僕は、自己卑下の王様みたいになっていた時期があった。
けっこう、長かった(笑)
ようやく少しずつ、その霧の中から抜け出せたのは、
僕の話をそのまま聴いてくれて「気持わかるよ」と言ってくれる
仲間ができたから。
ユースの祈り会で、自信のないままに、仲間に今までの歩み、
理不尽だと感じてきた想いを、隠すことなく話していくうちに、
いつしか胸に「大丈夫なのかも…」ってほのかな安心が灯ったんだ。
かっこつけなくても、背伸びしなくても、
「自分」でいていい。そんな風に思えてきた。


2.責められない

それに付随して、”責められない”のが大切なんだ。
だって、自分で自分のこと、十分責めてるんだもの。
「俺って人と比べてこんなになってない」
「歳のわりに全然成熟できてない」
「ジーザス信じてるのにこんなことしちゃって」

ジーザスは、全く僕らを責めていない。
彼が愛するのは、まさにそんな、悔いる罪びと。
「あなたが今までそうしてきたのには、理由がある。
だから、いいんだ。私にはわかっているよ」
そう、語りかけてくれる。

バイブルの中で、律法学者やファリサイ派の人たちが、
姦通の現場で取り押さえられた女を連れてくる場面がある。
こんな女とんでもない。石で打ち殺してしまえって。

ジーザスは彼らにこう言った。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、
まず、この女に石を投げなさい」

群衆は、立ち去ってしまった。

1人残った女に、ジーザスは言った。
「わたしもあなたを罪に定めない」

全然、責めていない。
女がそう生きざるをえなかった理由を、
そのつらさや哀しみを、ジーザスはわかってくれた。
そのままで受け入れてくれた。

きっと、この女の人は、変わったと思う。
性に足場を築くことはなくなったと思う。

これが「責められない」ことの力。


3.失敗を許す

僕だけかもしれないけれど、なにか物事をしていくとき、
大抵、ちょっと背伸びしているんだ。
1mmでも成長したい、そんな想いからくる頑張りならいい。
でも実際のところ、周りからの評価を求めていたり、
「すごい」って言われたいとか、動悸が不純なんだ(笑)

自分に栄光を返そうとするもくろみは崩れ去って、
僕は失敗する。そして、またやっちまったと後悔する。

でもジーザスは、失敗を許してくれる。
つまづいても、何度でも再開のチャンスをくれる。

ジーザスの弟子の中で、最大級の失敗をしたのは、ペトロだと思う。

最愛のジーザスが十字架へ向けて歩む前、彼は
「死んでもあなたについていきます!」と言った。

その時はもちろん本気だったと思う。

しかしいざ、ジーザスが捕えられて、周りにいる人々から、
「お前もあいつの仲間じゃないか」と問い詰められたとき、
ペトロは言ってしまった。「あんな人のことは知らない」と。

恐れにかられて。自分も殺されるかもとびびって。

ペトロがそう言うのを、ジーザスはわかっていた。
予告してた。それは諦めからではなく、
ペトロを見くびってるわけではなく、
「しようとしても、できない」
人の弱さを知っていたからだと思うんだ。

しようとしても、うまくできない。失敗する。
それでもいいとジーザスは言う。
そんなことで、自分の愛に変わりはないって。

ペトロも、大泣きしながら自分を責めたはずだ。
でもジーザスは、ありのままの彼を受け止めてくれた。

だからこそ、復活のジーザスを知った彼は、
殉教もいとわないくらいの信頼を抱けたんじゃないかな。



4.比べられない

これも僕だけかな。
「俺ってまだまだだよな~~~」って、いつも思ってるとこがある。
自分でそう感じてるのに、他の人から、
「あの人に比べてあんたはまだまだ」
そんな風に言われたら、たまったもんじゃない。
即座にやる気を失ってしまう(笑)。

どうあがいたにしても、
僕は僕でしかない。
あなたが、あなたでしかないように。
サクラはサクラ、ツツジはツツジだ。

僕は思いだす。
神様は、それぞれ違ったフレイバーで栄光を返せるように、
僕らに様々な個性、性格、才能を与えてくれた。
それを比べることに何の意味があるだろう。
別に、ないよね。
まずは自分に、素敵な贈り物が与えられてるんだから。

それから、比べるといえば…。
「あいつに比べて、自分は仕事(勉強、あるいは家事)ができる。
だから自分は大丈夫!」
そんな優越感をときどき垣間見ることあるけど、意味ないじゃん。
その土台、もろすぎるじゃん。

人と比べないと自分を保てないって、
それってそもそも、弱いじゃん。
下に見ているはずの”人”に支えられてる。
そんなダサいことやめようぜ!
僕も無意識でそんな想いを抱くこともあるから、改めるよ。

誰かと比べられない時、
誰かと比べない時、
僕らは、ありのままでいられる。


いろいろ書いたけれど…これはっきり言ってジョシーの受け売りだね(笑)
影響受けまくってる。
でも、この価値観で歩んでみること、
他の人に接してみること。

失敗してもいいし、時間がかかってもいい。

それが「ありのまま」で誰かを受け止める、1番のレッスンになりそうだよね。






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輝きについて、想いが溢れてきた。
止まらないから、書いちゃいます(笑)


ジーザスは、僕らのことを”地の塩、世の光”、そう言ってくれてる。
欠くことのできない何か、そして世の中にあって、
光り輝く何かとして、見てくれている。
「こんなに何にもできない俺を?」
自分については全然信じられなかったよ。

でもブログを通して知ったり、直接垣間見たりするクリスチャンの中に、
本当に個性という味を持ち、輝いている人々がいたんだ。

それは生きた証であり、希望であり、そして時に、
越えられないハードルに見えたりした。

以前は…そのあまりの輝きに思わず目がくらんでしまうことも、あった。
光が強くなれば、自分の影も濃くなる、そんな気がして。
長く伸びた影の方にばかり視線が向かって、自己嫌悪に陥ることさえあった。

でも今は違う。心が変わってきた。
僕は彼らと同じ主を信じている。
そして主は、全く同じ愛を注いでくれている。
溢れ出る形は違うかもしれない。
輝き方は異なるかもしれない。
それでも、受けているものに変わりなんかない。


自分自身を、過小評価する必要なんてなかったんだ。
背伸びして、驕る必要もない。

ジーザスを知って。

僕らは本来いるべき場所へ戻りつつある。
魚は水の中に帰り、
鳥は鳥かごから解き放たれて、高い空へと向かっている。

そうして息を吹き返し、
与えられた場所で、僕らは光になることができる。
それは意志の力でなし得るわけじゃない。
内側に、いつも一緒にいてくださる、ジーザスの存在だけで。
ただその憐れみと恵みだけで。

輝きは、僕ら自身にあるわけじゃなかった。
ジーザスを受け入れることで、初めて中から照らされるんだ。
それが溢れるんだ。

はじめのうちは、長く伸びていく影に、不安になるかもしれない。
ジーザスは、自分の本当の姿を示してくれるから。
それが醜さであったとしても。
ただ、影はいつか消える。
圧倒的な光の中で、じわじわとその姿を失っていく。

時に、また影が差しこむことがあっても。
何度でも、光はあたり続ける。
闇は光に打ち勝たない。

それは、どれほど素敵なことだろう。
なぜ今までそれを求めなかったんだろうって思うくらいに。

あなたにも僕にも、全く同じに道は開かれている。

「そんなわけない」って、どこかで思ってる?
僕もそう思ってたよ。まじで。
他の人にはあっても、俺にだけはないと思ってた(笑)

でもジーザスは…そんなこと思ってないよ。全く。
いつでも手を広げて、あなたや僕を待っててくれるよ。
自分の感情がなんて言おうと、周りがどれほど僕らを見くびろうと。
過去が僕らの背中にしがみつこうと。
ジーザスの語る「ほんとうのこと」に変わりはない。
約束に終わりはない。
天地は無くなっても、彼の言葉は消えない。

だから、いつでもいいから。心を開こう。一番の近道だから。
振り落とされそうになっても、希望から手を放さない。

ジーザスも、僕らの手をしっかり握ってくれている。

…2000年前の十字架が自分と何の関係があるんだ?
んなもん関係ねえよ。あなたはそう思うかもしれない。

でもジーザスは、永遠の方なんだ。
だから彼には「今」しかない。
「今」がずっと続くことが「永遠」なんだから。
たぶん、そうだよね?

たった「今」も、彼は僕らを愛して、
これ以上ないくらいに愛して、
その輝きを与えたいと願ってくれている。

僕らは全然、それに値しないのに。
僕らに命をかけてくれた彼に背を向けて、
好き勝手にやってきたのに。

「今」のままのあなたでいい。
それを、知ってほしいんだ。
ジーザスはそう言ってくれている。
気休めなんかじゃない。幻想なんかじゃない。
現実逃避の阿片じゃない。宗教なんかじゃない。

まずはそれだけ。そこから全ては始まる。
そのままのあなたを、ジーザスは…大好きでいてくれてる。

そして助けたいと思って、くれているんだ。





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今日、朝の教会で。
ブログを読んだたくさんの方が、父の容態を心配して、
声をかけてくださった。
1人1人に心から感謝します!本当にありがとう!
父は大丈夫です。
来週、また僕も病院に行って来るつもりです。



礼拝。
メッセージのゲストスピーカーとして、
オアシス・インターナショナル・スクール教師の、
デーリック・ジョンソンさんと佳美さん夫妻をお迎えした。
可愛らしい息子さん、娘さんと一緒に。

お二人はこれまで、韓国などでの活動を経て、
今は一時帰国中。5月には新しい赴任先に向かわれるんだ。

最近までいらした国での活動は、実は10年を予定していたとのこと。
でも諸事情あって困難が続き、
わずか1年で出国しなくてはならなくなった。

デーリックさんは神様に問いかけた。何故?と。

今日のメッセージはその疑問と、
バイブルのパウロの姿をリンクさせた証しだった。

ローマ書を書いた頃のパウロには、いくつかビジョンがあったみたい。

1・エルサレムの貧しい人に援助すること
2・ローマへ向かい休息の後、そこにいる仲間と過ごすこと
3・それからスペインに行き、福音を伝えること

僕の目から見ても、素晴らしいものだと思う。
でも、そのプランは思ってもみない方向へと進む。

パウロを待っていたのは、迫害、投獄、2年に渡る軟禁状態。
なんすかそれ。そりゃあんまりだよね(笑)

貧しい人を支援したい。
神様のことを知らない人たちへ、何とかして伝えたい。
そのパウロの想いを、
あえて危険な道へと入れ替える必要って、あるんだろうか。

「Why?」

デーリックさんは言う。
自分も、赴任先のその国から短い期間で出なくてはならなくなったとき、
神様にたくさん問いかけた、と。
思いがけない進路の変更があったとき、
疑問を抱くのは当たり前だし、それをどんどん神様に尋ねていいのだと。
それは賛美なんだ。神様と関わりを持つことなんだ。

勿論、答えは簡単に見つからない。

でも、結局辿り着くのは、「主の道の方が、優れている」
このことなんだ。

困難な時にどういうチョイスをするか。
信じることを選びたい。僕らはそれを願うはずだ。
それはけっこう大変なことだ。
努力で辿り着ける場所ではないから。

そう思ったら、周りの人を見てみよう。
他にもたくさん、同じ思いを抱えてる人がいるから。

主の道に従う。それは主の恵みによって
はじめて可能になるんだ。

パウロは、それによって、試練を受け止められた。
ぎりぎりのところで、神様を信頼しきった。
自分の思い通りに事が進まなくても、忠実だった。

パウロは、スーパーマンじゃない。弱さもあった。
彼がしたのは、
ただ恵みを受けて、それを与えてくださる方を完璧に信頼しただけ。

神様は弱い人を求めている。
自分でさっさと事を行う強さではなく、
神様なしには歩めないと告白する、そんな弱さを。

パウロは投獄されたけれど、牢の中にいる人々に
神様のことを伝えられた。
2年間の軟禁中にも、周りの人に伝道できた。

僕らの日々に思いがけない出来事が起きたとしても、
神様はそれを必ず用いてくれる。全く無駄にはしない。

そして「何故?」と問いかけるのも大切だけれど、
それから後で…恵みを求めよう。

神様が決められたことを、最善の道として受け入れられるように。


…デーリックさんのメッセージ、佳美さんの通訳。
ストレートに心に迫ってきた。
特に今、思いがけない父の入院って出来事もあり、
テーマが他人事と思えなかったよ。

主の恵み…それがどういう状態で来るのか、それはまだわからないけれど。
求めていきたい。

ありがとうございました!
お二人の活動が、さらに多くの実を生みますように!



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それにしても、外国人の旦那さんって「俺は一緒にいるよ」って感じで、
さりげなく奥さんに寄り添うのが上手だよね~。
ジョンソン夫妻も、そんな温かさで満ちてました。




礼拝後は、ユースでピアノの前に集まり、
ワーシップを何曲か歌った。
6月、横浜の教会とのパートナーシップ伝道で歌う予定の。
そして何と、mizuさん、ノゾムと僕がつくらせてもらった、
ユースのオリジナル賛美も2曲ほど使われることになった。
嬉しい!



今日のランチは、nanoさんと僕、花のタメ歳コンビで、
北海道ホテルの中にある、
”バードウォッチングカフェ”というレストランへ行った。

外へ向かい、窓が大きくとられていて、
そこから広々とした庭が見える。

パスタランチ、美味しゅうございました~。
親父はお粥しか食べてないのに、すみません
コース料理風に、スープ、サラダ、めっちゃうまいフランスパン、
そしてメインにたらこクリームスパゲティ。



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デザートがすごい。
”金時豆を忍ばせた桜風味のブラマンジェ”(笑)
「忍ばせた」って書いてる時点でバレてますやん…、なんて
無粋な突っ込みはともかく、
さっぱりしてるうえに見た目もきれいで幸せになった。
さすがは、”金時豆を忍ばせた桜風味のブラマンジェ”だよな。



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ゆっくり時間が流れて、リフレッシュできたよ。

食後、コーヒーを飲んでいると、庭にカメラマンが現れた。
その後ろからタキシードを着た新郎と、
ど派手なオレンジのドレスを着た花嫁さんが続く。
そう、北海道ホテルは結婚式場としても有名なんだ。

庭で、記念写真の撮影。
バードじゃないけど、nanoさんとウキウキウォッチングした(笑)
Taika「あのう~、何か俺どきまぎしちゃうんだけど、
まじまじ見ちゃって良いのかなあ?」
nano「こういう時は見られたらかえって誇らしく思えるから、いいんだよ~」
Taika「そ、そうすか」

既婚者nanoに太鼓判を押されて、安心して見つめる独身貴族。
我が世の春って感じの新婚さん、良かった~。


うわあ、長くなったね~。
ここまで読んでくれて感謝です。



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今日はユースの祈り会。
仕事からあがって、少し風の吹くなか自転車をこいで教会に向かう。
残念だけど仲間はそれぞれの都合で集まれず、
1人でバイブルを開いたり、祈ったりしていた。

1時間ほど過ごしたあと、玄関のドアが開く音がした。
協力牧師のS先生だった。
このブログを通して、父の1件を知って下さっていて、
一緒に祈ることができた。嬉しかった。

凹まないように、神様が励ましてくださったんだね。

それにしても父の入院が始まり、様々な検査をしている間…、
僕はあまり悲観的になっていなかった。
なぜか9割ぐらい「大丈夫」と思っていた。

神様は意味のない試練を与えない。
そして僕らのことをその手のひらに刻みつけて、
絶対に忘れずにいてくれる。
ぎりぎりのところで、その希望に指をひっかけることができたんだと思う。
それは、根拠のないポジティブさとは違って、”約束”に関わることだ。

前のエントリーを書いてから、ブログの仲間、教会の仲間から、
たくさんの祈りで支えてもらった。心から感謝しているよ。

ユースの仲間には、もう少しはっきりするまで伏せとこうと思ってたんだけど。
あんまりむやみと心配させたくなかったし。
(ブログに公開してたら本末転倒っすね


教会を出て家へ戻り、晩ご飯を食べながら母の話を聞いた。

父の病状…まず、命に関わるものではなかったみたいだ。
昨日は完全絶食で点滴を受け続けていたけれど、
今日はごく少しのお粥も食べられたらしい。
痛みがなければ、短時間の外出さえできると、ドクターが言ってくれたらしい。

じんわりと安堵が広がった。
「大丈夫」とは信じていたけど、やはり僕の信仰は弱くて、
ほんの少しの不安もあったみたいだ(笑)。

でも神様は、想い以上の働きをしてくださった。
憐れんでくれた、そう強く感じた。

神様は、時に思いがけない出来事を通して語りかける。
試みを通して、僕らの信じる心をストレッチされる。

まだしばらく父の入院は続くけれど、
関わりが急に変わるわけではないだろうけれど、
回復を委ねて、祈って、自分にできることはしていくつもりだよ。



神様って、やっぱ、すごいわ!ハレルヤ!!




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昨日の晩、父が入院した。
覚えている限りでは、初めての出来事だ。
詳しくは書けないけれど、消化器系の炎症。
兆しはちょっと前からあった。
夜中に痛みのせいで何度か起きていたと、母が教えてくれた。

それからも数日、断続的に激痛が襲っていたようで、
たまりかねて昨日病院へ行き、そのまま入院となったんだ。

仕事からあがってその話を聞き、
母と妹、僕の3人で街の大病院へと向かった。
大荷物を抱えて。
父はちょうどトイレに行っていたらしく、
しばらくして点滴をぶら下げてよろよろと戻ってきた。

ベッドに横たわった父の脇で、
母が看護師さんの問診を受けた。

こういう時、本当に患者側は相手にたくさんのことを任せるしかないんだね。
僕も介護職をしてるわけだけど、
利用者さんの家族の気持が少しわかったよ。
まずは信頼するしか、ないんだね。

問診が終わり、タオルやドライヤーなんかを戸棚に詰め込む。
父の痛みは点滴をしている間に、少し和らいだらしい。

母と妹を手伝いながら、
僕は心で祈っていた。

イエス様は、バイブルの中で数限りない人を癒された。
病を吹き払ってくれた。
僕はそれを信じる。

どうか親父にも触れてください。

実は…僕は父に対して、まだまだ素直になれていない。
長く続いた反抗期の尻尾を、どこかで引きずってるんだ。

父は優しい。それは認める。
ただそれは、一面で弱さにも繋がる優しさだった。

今までの僕らの家庭の道のりで、
その弱さが、全員の環境を変えることにもなってきた。

僕はどこかでそれを赦せていなかった。

父の腕から、点滴の管が伸びている。

もういいじゃないかと、心のどこかで声がする。

父は父で、頑張ってきた。

そうは見えない時でも、内心はぎりぎりのところで踏ん張ってきたんだろう。
赦すのには遠くても、まずはそれを知る必要がある。


これから一体、事がどうなっていくのか、まだわからない。
でも神様の手の中で、無駄なことは何一つ起こらない。
この出来事も、思いがけない悲劇とかじゃない。

僕らの間柄や、いろんな確執みたいなものを、
神様が変えようとしてくれているんだ。そう思う。

起こっていることの、内側に働いているのは何なのか、
それを見つめていこう。

そして母と妹の気持も強められるように、祈っていくよ。




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昔から、隣の庭の芝が異様に青く見えるタイプだった。
特に、目立っていたり、他の人たちから諸手を上げて迎え入れられている誰かに対して。
自分が「特別」でありたい。
そんな想いが高まって、以前の僕はジェラシーの塊になっていたんだ。

心は、メリーゴーランドのようにアップダウンしながら、
同じところをまわっていた。
変わるための努力もしないで。

でもそんなことにいったい何の意味があるんだろう。
今、それを想う。

羨ましがっていたら、彼らの輝きが自分のものになるんだろうか。
まさか。そんなわけはない。

”約束”を、もう1度見つめ直してみる。

神様は、僕ら1人1人をオーダーメイドで造ってくださった。
だからみんな…特別なんだ。

そして僕らには、それぞれに神様からの贈り物が与えられている。
性格だったり、才能だったり、特技だったり。

他者の贈り物を羨む必要なんて、実はない。
自分にも、それはあるんだから。

まずは、探してみよう。
どんな素晴らしいギフトなのか。

私にはそんなものないような気がする。
もしかしたらそう思っているかもしれない。

でもそれは違う。
神様の約束は、取り消されないから。



あなたがつくる料理。
あなたが歌う歌。
あなたが語る、人の心を打つ話。
あなたの、隣人に寄り添う温かさ。

あなたの頭の回転。
あなたが紡ぐ文。
あなたが走る体。

あなたの、遠くを見据える目。
あなたの、祈る姿。
あなたの、海を渡る信仰。
あなたの、家のなかで育まれる愛。


みんな違って、みんな良い。
それが、神様がいとおしんで見つめる、僕らだ。

同じじゃなくて、いいんだ。


贈り物の数は、きっとそれほど多くはないんだと思う。
ただ、中に込められたものの大きさは計り知れない。

あれこれ試してみて、
「これがそうかも」と思えるものがあったら。

磨きまくろう。大切にしよう。
それを自分のためじゃなくて、
神様と、人のために使い尽くそう。

ジェラシーなんか感じてる暇はないんだ。

そして、どれほどトライしても、
贈り物だと感じられないものは、
潔く、他の人に譲ろう。

その人が最高に用いてくれるはずだから。

そうやって、神様の大きな絵が描かれていく。

だから…、違ってていい。
そこに優越は、ないんだ。





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【おまけ】前に描いた5月の塗り絵を、利用者さんがすんばらしくきれいに塗ってくれました!
嬉しい~~!!







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このところ疲れてへろへろになっていた。
心身共にガス欠でブログ更新もままならず
週の後半は車の後ろを押してく感じだったよ~。

気持が萎えると、つい神さまから離れそうになる。
目先のことにとらわれがちになってしまう。

でも主は僕の最後の砦なんだ。
結局、帰りつく場所。
現状がどうであれ、ここに望みを賭けていくしかない。
頼って、祈っていくしかない。



そんな中、チャーチは少しずつ新しい方向へと動き出している。

昨日…土曜日にチャーチで初めての試み、
女性の茶話会”プリム”が開かれた。
mizu姉さんとユキさんが中心となって企画してくれた、
子育て中、あるいはお子さんが巣立ったお母さんたちの会。
子育ての疑問や、家庭でのことなどを、一人で抱えずに
みんなで分かち合っていこうという、親睦の場なんだ。
僕は休みが取れたのでナースリー(小さな子と遊ぶ係)
として参加した。

いや、小さい子のイマジネーションってすごいよね。
小学生のHちゃんやMちゃん、カートにブロックや本、
人形を載せて、訪問販売に来てくれた(笑)。
ブロックでつくったハンバーガーなんて、本当によくできてたわ。
思わずかぶりつきそうになった。



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たくさん買ったら値段が少し安くなります。すごいリアルです(笑)


2時間ほどで無事会は終了。

プリムはこれからも月1ペースで開かれる予定なので、
興味のある方は是非いらしてくださいね~。
またここでも告知していきます。



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麗しきご婦人の皆様

そして今日は礼拝を捧げたあと、チャーチの定期総会が開かれた。
各委員会の活動報告や、2008年度の方向性なんかを、
メンバーみんなで話し合っていく。

中でも感無量だったのは、チャーチの「目的宣言」が
承認されたことだ。
しばらく前から、
I先生、ユキさん、僕の3人で、それを見いだす委員をさせてもらっていて、
何回も話し合いをして原案を出した。

チャーチって、一体何のためにあるのか…?
I先生がわかりやすい質問を考えてくれて、それに3人で
答えていくカタチをとったんだけど、
答えがほとんど同じだったんだよね(笑)
すごく嬉しかった。

出た答えを凝縮して、一番シンプルな言葉にまとめた。
せっかくだから残しておくね。

「帯広バプテスト教会目的宣言」

●神のひとり子イエス・キリストの死と復活により罪赦された者として、
心から主に礼拝を捧げます。
●主にあって新しく生まれた者として、互いに受け入れ、支え、
励まし合って、聖なる交わりを深めます。
●内なる救いの喜びを、世のすべての人へ、祈りと行いをもって伝えます。
●「最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と、
主が言われるように、世の助けとなります。

これらの目的実現において、私たちはバプテストの伝統と理想を重んじつつ、
聖霊の導きに従って、全知全能の主なる神の力に拠り頼み、
主の愛をもってすべてのことを行います。



…そしてこの目的を、見た目でもはっきり伝わるように、
僕がビジュアルでもまとめさせてもらったんだ。



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こんなんでましたけど~(笑)


「自分たちはこのためにチャーチに集められている」、
そういう目的をしっかり握れたら、僕らは強くなれると思う。

それにしても、去年の10月にバプテスマを受けて
チャーチに加わった僕のような若造に、
皆さんよくこんな大役を任せてくれたよね。
取り組んでみて初めて、事の大きさに気づいたよ(笑)

チャーチは、ジーザスの体。
目に見える神様の栄光だ。

シンプルな言葉で宣言した目標を、
どれだけ目に見えるカタチに移していけるか。
本当の生き生きした活動にしていけるか。
それが大切なんだよね。
ただの飾りになったらもったいないものね。

それをメンバーみんなで追い求めていけたらいいなと思う。




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今日はさらっと。

デイで利用者さんにそこそこ楽しんでもらってる、
オリジナル塗り絵カレンダー。
僕が下絵を描いて、職場のK先輩が見本用の色をつけてくれてる。

晩に5月分の下描きをしていた。
とにかく5月風味が感じられればあとは何でもいいという、
すごくユルいテーマなので好きにやらせてもらう。

5月…。かぶとと、鯉のぼりと…。
頭の中にじわっと浮かんだイメージを
シャーペンで大まかに描いておき、
家にマジックが無かったので(笑)
ひたすらボールペンで線を太くしていく。
好きな音楽を聴きながら、こりこりと。

決してうまいわけじゃないけどね。楽しい。
何人かの利用者さんは待っててくれるのが嬉しいし、
色つけをした作品を、フロアの掲示板に飾ってくれるのもありがたい。

まさか4、50歳ぐらい年上の人たちとコラボレーションするとは思わなかったけど

記録もかねて写真を載せときます~。



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これが…5月?


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遊び。パソコンで適当に色つけしてみた(笑)






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なんか最近、本歌取りみたいなことを繰り返している気がして、
ちょっと恥ずかしいんだけど、
今日は正直に書き残しておきたい。

にっちのブログ、今日のエントリー。
一緒に歩かないか

これが、あまりにも最近の自分の気持にフィットしたんだ。
読み終えてから、感じたことを思いめぐらしつつ、
ベッドで体を休めているうちに、僕は涙を流していた。

心の深いところに、そのメッセージが染みていくのがわかった。



今まで、教会のため、グロのため、
そして1人の夫として、父として走り続けてきたにっち。

いつしか、それが神様のためか、自分のためか、
わからなくなってしまってたみたいだ。

そしてやってきた疲れ。

神様は立ち止った彼に機会をくれた。
そして語りかけてくれた。

もう、走らなくてもいいんだよ。
走れるのは分かったから。
それよりも一緒に、歩かないか。


その声は、そのまま僕への語りかけにも、なった。

僕はにっちのように駆け抜けてきたわけじゃない。
むしろやっと怠惰な気持が、先の希望に向き始めたような人間だ。
立場は全く違う。

それでも、何とか神様を知りたくて、
信じるってどういうことか、本当に見据えたくなって、
じりじりしてしまっていた。

何かに追い立てられるように。

教会のために、ユースの活動のために、
自分自身の成長のために、
いったい何ができるだろう。

そこにはどこか、肝心の神様が抜け落ちてしまっていたんだ。
神様には、何でもできる。
だから、神様の「ために」できることは、僕にないはずだったのに。



恥ずかしいけれど、ここに書きつけておく。

僕は、認められたかったんだ。

神様に、勿論それはそうだけれど、むしろ、人に。
そうやって、「俺はここにいるよ!」って、叫びたかったんだ。

ありのままの自分でいいと、
言い聞かせるようにここにも何度か書いてきた。
自分以外の仲間にも語ってきた。

でも、本当の意味では内側で受け入れてなかったんだとう。
だから何とかして、目に見える行いで、誰かをうなずかせようとしていた。
褒め言葉を引き出そうとして。
このブログも、一面にはそんな動機があったと思う(ああ恥ずかしい)。

…何回、同じところをまわったらいいんだろう。

にっちの姿は、僕に本当の「ありのまま」を見せてくれた。
走る彼も、今、ゆっくりと歩む彼も、時に疲れて立ち止まる彼も、
丸ごと神様が包んでくれている。

ゆっくりでいい。
それは、怠惰になるための言い訳じゃない。
神様を見つめて…、歩調を合わせるために必要なことだったんだ。

神様は焦ってなんかいない。
きちんとベストの計画を用意してくれている。
まずは…神様と、生きるんだ。
そうだ。そうだったね。

自分を責めて、焦りに駆り立てられるより。
何千倍もその方が大事。

そして、僕がここにいるのを、一番知っているのは、
他ならない神様だ。
大声で叫ぶ必要なんて、なかった。

僕をここにいさせてくれるのは、神様だもの。


だから、ゆっくり歩こう。そう思った。
ゆっくり行く者は、遠くまで行くんだ。

ありがとう、にっち。



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今日の礼拝。ゲストスピーカーとして日本バプテスト連盟常務理事の
加藤先生がいらして、メッセージをしてくださった。
肩書きはちょっといかめしいけど(笑)、胸に響く話だった。

新約聖書の中に、レビという男が出てくる。
彼は徴税人。税金の取り立て役。
その仕事は卑しいものと思われてて、人々から差別されていた。

レビは好き好んでこの仕事についたわけじゃないんだ。きっと。
それまでの人生で、彼なりの希望、将来への理想があったはずだ。
でもその望みは叶えられず…レビは忌み嫌われる仕事をせざるをえなくなった。

レビは収税所の前に座っていた。
同時に、自分の人生にも「座り込んで」しまってたんだ。

そんな彼に、Jesusはこう言ってくれた。単刀直入に。

「わたしに従いなさい」

それは、高飛車な物言いではなかった。

こちらにおいで。わたしがあなたの虚しさを取り払い、
新しい希望を与えるよ。そんな意味での言葉だ。

レビは、すぐ立ち上がって、Jesusに従った。

実は、バイブル全体を通しても、このメッセージが深く流れている。
アダムとエバに、イスラエルの民に、
そして新訳聖書では、Jesusの姿を通して。

話を聴きながら、心の中で何度も問いかけられた気がした。
自分は、従っているか?
そもそも、どうすることが「従ってる」と言えるのかな?

確かにこうして、礼拝に招かれて教会に足を運んでいる。
バイブルも、仲間の後押しで、更に読めるようになった。

じゃあ、内側は?目に見えるところじゃなくて。

これは…まだまだだと思うんだ。

僕は自分のやり方で事を運ぼうとする。
自分の描いた青写真にこだわってしまう。
この先に何が待っているのか、分からずに焦れてしまう。

どこかそういうところがあるよ。

信じる、ってチップを全額Jesusにかけてない。
手元に残しておこうとしている(笑)

でも、そんなことしなくていいんだ。

確かに、先のことは分からない。
神様がご自分のプランのために、僕をどう用いられるのか。
今の仕事を通してか、それとも別の道でなのか。

何をするにしても、神様は僕らの最善を知っておられるし、
そこに希望をかけていくのを、願っていると思う。

まずは、その約束から離れないように心がけよう。
話はそこからだ。



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ビビンバ風・豚チャーシュー丼、とのこと(笑)




加藤先生も交えた食事会のあと…、
執事のN先生からわくわくするような話がやってきた。
6月の末、横浜にある洋光台キリスト教会から、ユースの方々が
パートナーシップ伝道に来てくれるとのこと。

つきましては帯広のユースとも連携をとって、
何か集会ができないか検討してほしいとのこと。

おお~~、心躍るね~!
またネットワークがつくれるかもしれない。
リアルライフでも、どんどん各教会が繋がってく予感がする。

楽しみにして祈ろうっと。



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加藤先生と記念写真




その後、時間ができたのでユースのnanoさんとファミレスでお茶する。
ここぞとばかりにパフェを注文するスイーツおぢさんこと私(笑)
「連れが食べたがってるから付き合いで…ははは」
そんな無言の大物感をかもし出してみる。

店員さん、真顔。

それにしても、気ごころしれた仲間といるとくつろげるわ~。
何言ってもいいというか。取り繕わなくていいのは、楽だ。

今日のメッセージのことも分かち合った。

Taika「いや、俺さ、自分がまだまだ従ってるとは思えなくてさ~。
たとえば最近、英語とか、音楽とかにも興味あるんだけど、
それをするのがほんとにイエス様の導きなのかわかんなくてね~。
”自分がやりたいこと”を勝手におし進めてるのかな、なんて迷っちゃってさあ」

nano「したいことがあるなら、まずはやってみたらいいんじゃないかな。
中に入ってみないとわからないことってあるし。どうしても続けられないようなら、
その時また考えたらいいしね」

そうかあ。そうだよね。僕はいつも波打ち際で足踏みを繰り返すところがある。

まずは手をつけてみれば、いいんだね。
nanoさん自身もゴスペルに興味が出てきて、ヒカルのいる栄光教会のクワイヤに
歌を習いに行き始めているみたいだ。やるね~!



そんなわけで…今日もたくさんの気づきがあったよ~。

このシェアが少しでも意味あるものになるのを願って。



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おいらもバイブル読もうぜ日記(3)

「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはならない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
(ヘブライ人への手紙12:5~6)

仕事にしても、家庭にしても、生きてたら多かれ少なかれ必ず負荷はかかってくるよね。その時は「ひ~、まじキツい!!なんでこんなこと起きちゃうの!?」と思う。でもそれは神様の訓練みたいだ。僕らの信仰がこの世にあって、タフになるための。
自分の子供として、本気で扱おうとしているがゆえの、神様の親心というか。
僕は割とすぐにへばっちまう感じなんだけど、また息を整えて、次の訓練へと、神様は向かわせてくれてる。そんな気がする。

英語に少しでも触れたい。
どういうわけかしばらく前からそんな望みが心から湧きあがっている。

何のためになんだろう。
それは、クリスチャンとして、世界を少しでも知りたいと思うようになったからかもしれない。
もともと、在日韓国人として生まれた僕は、
日本にも、韓国にも、つまり「国」ってものに土台を置けずに苦しんでたところがあった。

韓国人なんだけど言葉は喋れないし、本名もハングルで書けないし、
辛いものは苦手だし(笑)

数年前…ソウルに母国留学というものをしてみて、
自分の内側の愛国心が燃えたぎるかと思ったけど、案外そうでもなくて拍子ぬけした。
代わりに、それよりももっとでっかいアイデンティティーを見出すことになった。

僕は神様を…イエス様を知った。

人を創られたのが神様である以上、
全ての人は、同じ源から生まれてるわけだ。

国の違いは、そんなに固執するものじゃないかも…。
それが、僕にとってどれほど大きい解放感になっていったか。計り知れない。

「神は、一人の人から全ての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、
季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。
これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、
神を見出すことができるようにということなのです。
実際、神はわたちたち一人一人から遠く離れてはおられません。」

(使徒言行録17:26~27)

そんなわけで、いつか外国のブラザー&シスターと触れ合う機会があったとき、
少しでも繋がりをもてたらいいなと思って、
英語を知りたくなってるんだ。

僕は行動的でも、ワールドワイドでも、コミュニケーションの達人でもない。
むしろ、元・ひきこもりで、そっちは不得手もいいところ(笑)。
しかも無敵のめんどくさがり。
ほぼあらゆることを継続できず、だから力にもならず、
だらだらと時を過ごしてきたヘタレだ。

ただ、少しばかり内側の動機が変化している今、
チャレンジしてみたいんだよね。

神様が僕というひびだらけの土の器に、
何を納めてくれているか。
それは、手を差し入れて実際にさぐってみないと、わからないはずなんだ。

英語。

とっかかりは”いんぐりすティーチャー”Tuskが教えてくれた。
「英語は勉強するな!身につけるもんだ」
確かに…お勉強のためのお勉強はできないっす。
そこまで時間も割けないし。根性ないし。

だからまずは「聴こう」と思った。とにかく。

僕は欲張りだ。同時に神様のことも知っていきたい。
願って願って心に浮かんだのは…、

JLHのメッセージを聴いたらいいじゃん!だった(笑)

ジーザスライフハウスは、言わずとしれた東京にある
熱いバイリンガルチャーチ。

メッセージも、英語のものには日本語通訳が入っている。
その役を担ってくれている1人に、僕がブログを始めるきっかけにもなった、
JAPAN-AUSTRALIA VISION」のIzumiさんがいる。

メッセージは、ネットでもがんがん配信されている。
Jesus LifeHouse Media
これを聴かない手はない。

生きた英語に触れると同時に、
Rod先生やRyuta先生のわかりやすくてポジティブなメッセージで、
人々のリアルな証で、
神様への希望をかきたてられる。

これ、一石二鳥やんけ~!夢の宝石箱や~~~!

英語をワンフレーズ聴いて、そのあとすぐに日本語の意味がわかってしまうのは、
あるいは語学学習としてはNGなのかもしれないけれど…、

でもまずは、取り組もう。
だって、聴くだけでいいんだから(笑)
わかんなくても、いい。

少しでも続けること。英語に親しむこと。

その先は、また神様に求めたらいい。




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おいらもバイブル読もうぜ日記(2)

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」
(ヘブライ人への手紙11:1~2)

この後に、信仰によって神様に認められた「昔の人」がずらずら出てくる。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ…。彼らは他の誰もから「それ確証ないよ~」と思われる状況の中で、一歩を踏み出してる。それは無謀さではなくて、神様への完全な信頼があったから。すごい。
僕の望んでいる事柄って何だろう。また例によってきれいごとに聞こえそうだけど、要は「神様知って、生きてて良かった!!大変なこともあったけど」と、自分も他の人も感じられる、そんな風景をいつか見出すことなのかもしれない。神様と人に喜んでほしい。すごいシンプル。
でもまだ具体的なものはない。それを見つけるために一歩踏み出せるかどうか。それなんだよね。
確信だ。どうしたら確信できるだろう。
これまた、神様と状況を見つめ続けるしかないんだろう。まずは。

さて、お勧めブログの紹介。
今日は2つを分かち合いたいんだ。

まずはTuskの「Rock Your Life! Rock The World!」が相変わらずすごい!
特に今日のエントリー「もう伝道はしない」、これは必見だよ~~。

下町のバー&レストランに食事しにいったTusk。
ウェイトレスといろんな話をしていくうちに、
彼女が昔チャーチに通ったことがあるけれど、
あれこれの決まりや、求められるものの高さがプレッシャーになって、
結局、続けて行くのを止めてしまったのを知る。

そこでTuskはこう言い放つ。

「あー、そういうのめんどくさいよなー。イイじゃん、イイじゃん。行くのやめれば。(笑)
オレも行きたくないわ、それ。そういうヤツらキライだしさー。
ぶっちゃけ、結構ほっといてくれよ、って思うよな。(笑)」

はははは、すげ~!僕もそう思う(笑)。

そして反対に彼女から「どうしてバイブル学びに来たの?」と聞かれて、
彼は語り出す。僕らを束縛から解き放ってくれる神様の話を。

そこから先は本線を読んで欲しい。もう、すごいから。
Jesusが溢れて、ウェイトレスさんの意識を変えちまった。

Tuskの言葉はいつも生きている。そしてとにかく、とにかく正直だ。
裸の王様に「あんた服着てないよ」と平然と言い放つようなところがあるよね(笑)。

そのどこまでも自然体な姿に、僕は憧れる。
歳が若いとか、そういうのは関係ない。あり方の問題として。

伝道…Jesusと共にいられる喜びをシェアすること。
大好きな人のことを語ること。
それは大袈裟なものじゃない。悲壮感も必要ない。
そもそも、頑張るたぐいのものでもないんだね~。

生き方を通した信仰は、やっぱ強い!
ぜひ皆さんも読んでみてね。価値観ひっくりかえるかも。

そしてもう一つ…、「moonprayer」。福岡に住んでいるMieさんのブログ。

彼女が語ることも、正直さに満ちている。
文章を読んでいていつも感じるのは、静けさだ。
ブログのタイトルにも「月」が入っている。
そういう類の。
神様の前に佇んで、静かに想いを注ぎだしている姿が浮かんでくる。

それから旧ブログに収められている、詩のような祈りがすごくいいんだ。
旧約の時代の人たちが現代に生きてたら、こういう詩篇を紡ぐんじゃないかな。
そう思うくらいに。

そこには喜びがあって、かすかな悲しさもあって、
弱さがあって、強さがある。

そして旧ブログと新しく引っ越したブログでは、
Mieさんの内側で何かが切り替わっているみたいだ。

それが何か、まだ言葉にできないのがもどかしいけど(笑)

でも、Mieさんのこれからの歩みを、
こちらも気持をかきたてられながら、読んでいきたい。




神様が与えてくれた個性を、それぞれ活かして、
僕らに新しい気づきを与えてくれる2人に、心からありがとう!!




おいらもバイブル読もうぜ日記(1)

※にっちのバイブル日記に触発されて、
僕もバイブルを読んで感じた想いを書きつけることにしました。


「更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかりと保ちましょう」(ヘブライ人への手紙10:21~23)

もう、僕らの心は清く、良心のとがめはなくなってる。少なくとも、神様の目線からは。それって改めて考えても凄すぎる話だ。なして、どうして。
日々、間違いもしちゃうし、けつまづくこともあるけど、その度にまずはJesusを信頼してみる。いつまでも凹むのをJesusは全然望んでないはず。こっちを見なよ、そう言ってくれてる。
そして、このささやかなブログを通して、僕は希望を公にしてる。これまた弱さから揺らぎそうになることもあるけど、ふらふらしながらでも、Jesusの勝ち取ってくれた土台に、立ちたいよね。




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しつこいようだけれど、ネットとブログについての考察、
もうちょっとばかりしてみたい。
いいかな?誰に断わってるんだか(笑)

ブログやネットとの、ちょうどいい距離感を見出したい。
昨日から今日にかけて、それに想いを馳せていたんだ。

そこから、もう少し広い範囲で、考えが浮かんできている。



神様が、その配慮の中で与えてくれた”自分”という存在。
感情。才能。性格。状況。仕事。お金。人間関係…。

大切なのは、それにおどらされることじゃない。
所有すること。預かりものとして管理すること。


自分の立ち位置を、しっかりと据えること。

そのためには、神様を求めるのが不可欠なんだ。
約束を握りしめる。
自分は、イエス様の十字架を通して、神様に受け入れられてて、
ここに生きるのをゆるされてる。

自分自身では到底、満足できないようなあり方でも、
今の状況に置かれているのには、意味がある。

手に負えない、台風に似た状況…僕は仕事中、時に感じる。
お年寄りとのコミュニケーションで、思うにまかせないことがけっこうある。
理不尽。内側の気持は、ロデオの暴れ馬みたいに揺れる。

それを所有するために。
びびって、おどらされないようにするために。

イエス様に目を向け直す。
そこは、台風の目なんだ。きっと。

静かな無風地帯。

現実から逃げるというわけではなくて、その静かな場所で、
起きている状況の意味を、捉えなおす。

意識をもう1度、組み替える。

そのうえで、物事に向き合っていく。

どちらにしても、それを主体的に選びとるのが大切な気がする。
僕らにできるのはそれぐらいという気も、する。

個人的には、ブログにしてもそうだ。
何かに追い立てられるように、あるいは人から認められるのが先行して
文章を紡いでいくのではなくて、
それを神様から来る、溢れてくる気づきを分かち合うツールとして
使いこなすようになれたら。

こんなに魅力的な器はないんじゃないかな?

いや、別に悟りを開いたわけじゃないよ(笑)
進むべき方向について、ぼんやりとわかったような気がするだけ。
これから、地道にリアルライフを通して検証していきますです。

まずは、おどらされないように。それを心に、留めておく。



【今日の伝言板】

にっち…祈ってるよ!!!




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お勧めブログの紹介はちょっと次回へと持ち越させてもらって…、
今日は自分の中でどうしてもまとめておきたい、この事柄についてシェアするね。

今ここにいて必要な「節制」について。

最近、ネット依存気味だ。そのことにはたと気づいてやばいと思った。
クリスチャンブログから生まれる繋がり、それは僕が切に求めていたもので、
知り合った仲間とのやり取りや、ブログを読んでイエス様が与えてくれる
多様な魅力に触れられるのに、震えるくらいの嬉しさを感じている。

自分のメディアを持たせてもらい、
こうして湯葉のように日ごとに浮かび上がる想いを、
記事として形にできるのも大きな喜びだ。
正直、楽しくてたまらない。

でも、そこに甘えて、実のところ溺れかけていた。
沖まで行き過ぎて(笑)
仕事を終え、家で食事し、それからネットにかける時間…2時間半あまり。
これは、個人的には長すぎる。

もちろん、バイブルに向かう時間、祈る時間がないわけじゃないけれど、
それよりブログを書くことで、何かを成し遂げたような気持になってしまってたんだ。

体とリアルライフをどこかで脇に置いて、心と思考はフル回転。

…リアルライフがあってこそ、ブログという実は豊かに熟する。
収穫を皆で分かち合える。それを忘れていた。

ブログに意味がないわけではなくて、身近な生活との両輪なんだよね。
1枚のコインの表裏。どちらも同じく、心底大切。



信仰って、それだけで独立してるわけではないんだ。そうだった。

生きることの中に組み込まれてこそ、初めて意味を持つと思う。
輝きを増すと思う。

生活の中に。仕事の中に。目の前にいる生きた人々の中に。
近くの、手に取れる恵みをしっかりと受け取れなかったら、
遠くから与えられる恵みのありがたさにも気づけない。

今ここにいる。それをもう一度、見すえなおす。
そして、節制してみる。地道な、地味にしか見えない基礎の土台作りに取り組む。

試合前のボクサーが減量するのは、勝利という目的に向かおうとするからだ。
僕らの目的は、勝利は、人々の救い。
イエス様の喜びを、本物の生き方を追い求めることで分かち合うこと。

そのために、やりたい放題は避ける。コーチはイエス様だ。

まず…ネットに使う時間を、ブログを書く時間、読む時間含めて1時間に抑えよう。
その範囲で書くべきことを書けるように、訓練するんだ。

僕はたいそうな気分屋で、やりたい時にやりたいことをするのを好む質だ。
だからこの、自分の中での取り決めはかなりのチャレンジとなる。
ちょっと時間をはみ出ることもあるかもしれない。

でも、必要だ。絶対に必要だと感じる。
1mmの成長のために。

実際の、人と触れ合える機会も、大事にしないとね。
ユースのみんな。チャーチのみんな。

生きている。それぞれが。
その息吹に包まれて、神様を感じていきたい。

その息吹を、ブログから流していきたい。





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ずいぶん前から、東京の素晴しいチャーチ、
ジーザスライフハウスからの御言葉配信を受け取っている。
携帯のアドレスに。仕事場の休憩中に読ませてもらっている。

今日やってきたバイブルの御言葉は、ヨハネ15:17。

「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです」

戒めというと頭ごなしに聞こえるかもしれないけれど、そうじゃない。
イエス様が何としても、僕らに守ってほしい約束事なんだと思う。

互いに愛し合う。そこには、たくさんの意味や方向が含まれている気がする。

読みながらふと僕が感じたのは、
「互いに愛し合う=互いを知る」ことなのかもしれないってことだ。
もちろん、それが全てではないだろうけれど。

バイブルには、僕らが生まれる前から神様の配慮のなかにあって、
僕らの髪の毛の数まで、神様は把握してると書かれてる(だよね?)

つまり、知りつくしているわけだ。
そして神様は愛そのもの。

知る、ということには愛が含まれてるんじゃないかな。

相手を知る。知りたいと願うのは、相手の存在を自分の内側に認めること。

最近僕は少しずつ実感している。人から知られる、好意的に受け止められるときの、
このうえない嬉しさや安心感を。

つまりそれは、人を通して神様にも受け止められていると信じられるから。

だからこそイエス様は、僕らにそんな約束事を与えてくれたんじゃないだろうか。



相手を知る…それはものすごく大きな喜びだ。
でも、時に切なくなることもある。
ユースの仲間に関しても、そう思うことがある。
近づいて、近づいて、その人の奥底が少しずつ開き、
今まで歩んだ道のりや、現在の状況を本当の意味で知るとき。

なぜそこまでの想いをしなくてはならなかったんだろう。
なぜ神様は、そんな試練を与えるんだろうって。

ただ、僕らはその意味を、変えることができる。
過去の囚われを、現在の思い込みを。
神様への希望に。

自分たちの力ではなくて、
僕らの最善を「知って」いる神様に向かうことで。

知ることの先には、そんな場所が待っていると、僕は信じる。



話は少し変わって…。
今日は久々にクリスチャンブログの紹介をしようと思うんだ。

最近、僕が「知る」ようになったお勧めブログ。

全部で6つあるんだけど、今日はそのうちの3つを皆さんにご紹介します。
それぞれ、全然居場所や立場やなんかが異なるけれど、
どの方の文章にも、イエス様をしっかりと感じられる。

つくづく、神様の、イエス様のくれる多様性に感動する。
大きいわ、ほんと。

繋がりができた人も、まだの人もいる。
でもいずれ、お互いを知って、それが愛することに繋がっていけば最高だなと思う。



まずはjunykunyさんの「jesus juny kunyのいっぽいっぽ」。


今まで、文章伝道に携わっていた方だけあって、文章が自然体でうまい!
難しい言い方はひとつもしていないのに、
大切なことがするりとこちらの気持に入ってくる。

現在は自宅兼事務所で、神様のもと、
クリスチャンの1人1人が整えられて遣わされるために、
教団教派をこえて、いろいろな集会や学び、
ミニストリーなどを提供する働きをされてるとのこと。
まさに最近のブログコミュニティーの流れを、実際の働きとしてされてる方なんだ。

ブログから垣間見える生活感が素晴らしい。
イエス様との関わり方が、地続きで生活に溶け込んでいる。

そこには、いかにもな”クリスチャン”の空気はない。
料理をし、人を気づかい、自分の心に信仰を問いかけていく歩みのなかで、
自然に息づいている、イエス様がいる。

そんな一歩一歩の記録だ。ブログに収められた写真も、
人柄を感じさせて素敵だ。
お勧めです!



続いてはアンディー中嶋さんの「アンディー中嶋のバイブル的人生!」。


現在、アメリカのクリスチャンカレッジで日本語の先生をされているアンディーさん。
18歳でイエス様を知るまでは、心の虚しさを抱えていた。
そんなアンディーさんにキリストを伝えたのは、なんとツトムのお父さん!

心の風穴が愛で埋められてからの現在の姿はご本人のブログを見てもらうとして、
この人は熱い!文章から、イエス様に賭けている想い・願いがひしひしと伝わってくる。
ストレートなメッセンジャー。

そして文章に時折織り交ぜられる、軽さっていうかとぼけた感じがまたいいんだ(笑)。
細かい笑いが練り込んである。

個人的に、自分とすごく似た感じの方だと思った。

かつて、生きる意味を見出そうとして勉強や部活に打ち込んでみたものの、
どこか虚しくてたまらなかったところや、クリスチャンに懐疑的だったところ、
でもイエス様を知って変わったところ…。

こういう方が先を走っていてくれると、希望もてるね。
憧れ始めてます。

あと注目点は、ブログに貼りつけられた音声!
こんな形でも、生きたクリスチャンライフが伝えられるんだ、と目が開かれた。
クリブロの若大将、ツトムのメッセージなんかも聴けるよ。

初めて聴いたツトムの声は、爽やかで話のまとまりも良くて、めっちゃ嬉しくなった。
かっこよすぎじゃん。
クリブロの青大将ことわたくしもびっくりです。
白いギターを取り落とします。どこか間違いつつ


そして最後は、みかさんの「もちろんデザートゎ好き★でも神様が一番スキ(*o>U<)o

中学3年生、みかさんのブログ。札幌在住。
いや自分の人生で中学生の知り合いができるなんて思ってもみなかったっす(照)。
これも神様が下さった繋がりで、僕ゎすごく嬉しい!

楽しい中学&チャーチの生活が、生き生きと書かれてる。
かわいいね~と読み進めていくと、
「神様の為に、自分に死んで、生きていきたぁ~~~~いよぉ~~~」
なんて言葉が出てきて、
みかさんが神様に本当に繋がってる姿に驚かされる。
徹夜の祈り会にも参加してる!

歳、関係ないんだね。全然。大切なのは、内側の熱さ。
「後のものが先になる」ってバイブルの言葉を思い出すよね。

今みかさんは他の教会のユースたちと「salty」という集会をしていく予定みたいだ。

これは彼女へコメントとしても残したけれど、

「例えば水の入ったコップに、塩を入れてみる。
それって見た目はただの水に見える。
だけど、味わうと、ちゃんと塩の味がする」

っていう風に、きっとみかさんたちは、見た目普通の中学生でも、
中身にはイエス様がしっかり芯の通った集まりを築いていくはず。

これからが楽しみ!成長に半端ない祝福あれ~~!



(ええと、こちらに紹介させてもらった皆さん、
僕の主観レンズを通して語ってるので、もしかしたら間違いあるかもしれないけど、
ほんとに皆にお勧めしたいと思って、書かせてもらいました~~。よろしく!)


…ということで、皆さん是非遊びに行ってね~~!





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