Hold Me Jesus 2

北海道在住のジーザスフォロワー・taikaのブログ。CFNJ聖書学院にて研がれる日々。

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昨日の賛美集会、そして今日の特別礼拝を終えて。
さっき戻ってきたよ。

集会を手放す祈りをして、本当に良かった!
僕は弱いまんまで飛び込んでいったけれど、
本当に祝福された時間になった。

準備の期間も含めて、感じられた数々のことを、
こうしてレポートできるのが嬉しい。
前に栄光教会のユース賛美集会に遊びに行ったとき、
思っていたんだ。
「いつか自分の教会でもこんな賛美ができたらいいな」と。

そんな夢のような祈りに、神様は答えてくれた。
僕らの見たい風景を、望むままに与えてくださるわけじゃないけれど。
ふさわしいものを与えてくださった。

じゃあ残りの力を振り絞って、レポートいきます!




土曜日、僕は夕方まで仕事があった。
あたふたと利用者さんと接しながら、委ねたはずの心はまだ戦ってる(笑)
新しく始まる何かへの期待と不安。せめぎあう。

定時に上がらせてもらい、mizuさんの車で教会へ。
玄関を入ると、洋光台の皆がリハーサルする歌声が聴こえてくる。
きれいなハーモニーだ。

それが終わり、僕らは挨拶する。
教会の玄関ホールに貼ってあった、プロフィールの写真の皆が、
今ここにいる。

本番まで僕らもリハーサルする。
ここで不思議なことに気づいた。
もう、緊張してなかったんだ。

ドラム…叩けてる!

自分のリズムがどうこうっていうより、
大きな賛美の流れにただ身を任せてる感じがする。

それは上手というわけではないんだ。
でも、「できなかったらどうしよう」という気持がなぜかそこで薄れたんだ。

開始の7時がやってくる。
会場に、身知った顔、知らない顔の人々が集い始める。

全員で祈り、神様に栄光を返す約束をした。
始まりだ。

僕はMCも兼ねていたので、ともかく話す。自分をオフにして神様の自動操縦を待つ。
そして賛美する。

「ホザナ」「ひとすじの光」「主のつばさに乗って」…。
会堂の皆とは、グロの「感謝の心」を。

ここで帯広ユースはいったんおしまい。
洋光台の蛭川先生からのショートメッセージ。

それからは洋光台ユースに引き継ぐ。


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ハーモニーが、本当にきれいだ。何度聴いても。
練習の深さが、伝わってくる。
メンバーの証を織り交ぜながら、たくさん賛美してくれた。

メンバーの何人かが、途中から涙を流していたのが印象的だった。
心に神様が触れてくれてるんだと思った。

アンコールの曲が終わり、一番最後に、
「その日全世界が」を歌う。

ドラムを叩きながら、様々な想いがよぎった。
直前まで緊張してた、不安だった。
その中で期待してた、神様に賭けたかった。

そして神様は…想いを遙かにこえる時間をくれた。

集会が終わった。一気に力が抜けた(笑)
まずは、駆け抜けたよ。




そして2日目の今日は、特別礼拝。

まず驚いたのは、栄光教会ゴスペルクワイア「シスターズ」の
メンバーが3人も来てくれたこと。
礼拝の後に、うちの教会で練習が控えているとはいえ、
こんなに早く来てくれるとは思わなかった、嬉しい。

シスターズに、うちのユースのnanoが加わっていることもあり、
これから不定期にこの教会も練習場所になっていくみたいだ。

繋がっていくね!

礼拝では、洋光台の皆が数曲賛美してくれて、証のシェアもしてくれた。
この集会にあたっての準備で、いろいろな葛藤を覚えたりもしたけれど、
それを通して互いの絆が深まったこと。
そして「痛み」の中に働いてくれ、
それを一緒に引き受けてくれるジーザスのこと。



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ユースを見つめる蛭川先生


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続く蛭川先生のメッセージもタイムリーなものだった。

苦しいとき、大変なとき。それは生きていくうえで尽きることはない。
けれど、クリスチャンはそのプレッシャーの奥に、
神様の意図を感じられる。ただきついだけで終わらない。
それが成長の糧になるんだ。

僕もこの集会にあたって、たくさん葛藤があった。
大きな恵みを信じながら、同時に不安もあった。

それは決して意味のないことじゃ、ないんだね。

礼拝後は羊に縁の深い僕らにふさわしく、
全員でジンギスカンを食べる。



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それから洋光台メンバーはフリータイムのドライブへ。

僕は川へ洗濯へ…じゃなくて、
シスターズの練習に加わらせてもらい、ドラムを叩く。
曲に合わせるというより、リズムキープの練習(笑)

クワイアに囲まれてなぜか個人練習(笑)
なにその、贅沢な感じ

これはシスターズのリーダー、Wakkaさんのご好意なんだ。
「歌と合わせた方がドラムも上手くなるだろうから」
そう言ってくれた。

確かにパワフルなゴスペルと、
むっちゃ上手いキーボードに合わせての練習は、
鉄下駄履いてるようなもんで、力はつきそうだ。

ドラム始めてたった1月の僕には余りある光栄っす。
ありがとうございます!

練習が終わり、今度は観光から帰ってきた洋光台メンバーと合流して、
最後に喫茶店で軽食を囲む。

人みしりモード全開のままのわたくし(笑)
でも話すと、普通の明るい女の子たちなんだよね。

その内側にジーザスがいてくれるのが、違いだ。



出発の時間が近づいた。

…駅の前で、皆を見送る。
横浜に帰るころにはもう晩だ。明日はそれぞれの仕事や学校がある。

ものすごいタイトなスケジュールの中、来てくれたんだね。
改めて思った。
本当にありがとう!

お勧めのマンガ「スラムダンク」も、今度読んでみるよ~(笑)


ありがとうといえば、うちの教会の壮年会・婦人会の皆さんも、
2日間、めっちゃ若者を支えてくれた。送迎から会場のセッティング、
市内観光、食事の用意…。

超強力なバックアップだった。

実は…集会の直前に、教会の中でとても大きな出来事があった。
ここには書けないけれど。
うちの教会の人たちは、集会とその出来事、
両方を大切に向き合ってくれた。
頭が下がる、まじで。

ドラムだなんだとプライドに振り回されてた自分が恥ずかしくなるくらいだ。
大人は、すごい。


そして神様は、すごい!
まじで、神様は、すごい!

弱いまんまで、びびりながら向き合って、良かった。



…すっかり長くなったね。読んでくれてありがとうございます^^




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いよいよ明日は、横浜の洋光台教会ユースとの、賛美集会だ。




まずは【告知】!

横浜洋光台教会の伝道チームを迎えて、合同賛美集会やります!
もし時間のある方は、よかったら遊びに来てください!

日時:6/28(土) 19:00~20:30 
会場:帯広バプテスト教会(帯広市東9条南8丁目1番地)
入場はもちろん無料です。






そんなわけで今日のユース祈り会、後半は練習だった。
ピアノ、ギター、ベース、そして。
嗚呼、おいらのドラム……。
ぬおおおおおお…。
リズムキープもよたよたしてるし、フィルも半端な感じ(泣)

2曲とはいえ、ドラム叩きますなんて景気よく言ったのを後悔しそうになる。

できれば皆の前でかっこよく見せたいとか、
演奏失敗して恥かきたくないだとか、
見栄で集会を握りしめてたんだね。実は。
よくわかったよ。

でもさ。
帰りの道のりで、自転車をこぎながらつくづく思った。
これは、僕の集会じゃない。
神様のもの。
ジーザスの愛を少しでも伝えられるように、
神様がゆるしてくれたチャンス。

誰に捧げる賛美なのか。
誰に返す栄光なのか。
思い出した。

そうだ。そうだったよね。

だからまずは、新しい横浜の皆との出会いを、喜ぼう。
9人もの仲間がわざわざ北海道まで来てくれるんだ。
繋がりができるかもしれないんだ。
一緒に賛美できるんだ。
新しい網の目。それって本当にすごいことじゃん!
(ドラムに捉われてその素敵な事実を見過ごしていた僕^^;)

賛美も…今のところの自分で捧げるしかないっしょ。
ドラム始めて一か月の、このスキルで。
歌だってそれほどうまいわけじゃない。
それでも…気持は込めて、大きな声で、神様を褒めたたえたい!

もちろん、スキルが必要ないわけじゃない。
けれどまずは、”心”から始まるんだよね。
間違いなく。

これを書き終えたら、祈ることにする。

「手を放せるように。委ねられるように。
神様、あなたに頼らないと自分達は何にもできないです」

この集会は、僕やユースの仲間に、
それをたたき込んでくれる機会になると信じてる。



洋光台の皆が、明日、無事に着くことができますように!
僕らの賛美を、主が共に聴いていてくださるように!






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surrender:
「引き渡す。明け渡す。降参する。身を任せる」


これから書くことは全部、ほんとのこと。




…心に抱えてきた重い荷物を、天の父の前に降ろすことに決めたのは、
随分、前からだったと思う。機会を、待っていた。

ずっとそれを求めてきた。何年も。
神様を、もっともっと近くに感じたかった。
意志の力の頑張りじゃなくて、心で、信じたかった。

先週の月曜日、仕事が休みの日。
荷物を降ろす祈りをしに、僕は1人で教会に向かった。
何となく、すぐに祈るのを躊躇して、ドラムを叩く。

それでも、想いは自然と祈りへと向かっていく。

意を決して、会堂の脇のテーブルに座る。
目の前にバイブルと、祈りのための資料と、お茶を置く。

バイブルの、ローマ書を読んだ。
神様から離れて、かたくなでいた、罪を抱えた僕らのために、
ジーザスが命をかけてしてくれたこと。
十字架で、その罪を拭い去ってくれて、神様の前で、
咎めるところのない者にしてくれたこと。

神様自身が命をかけてくれた。
それほどまで、神様が僕らを愛してくれた。
そこから僕らを隔てるものは、もう何もない。

目に見える物事が、状況が、どれほどそれを遮ろうとしても。

なぜか、かつてないぐらい、そのことが胸に染みてきた。

頭では理解していたつもりだった。
でも、心でわかってなかった。
自分のことだと、本心では思ってなかったんだ。





それから。
資料にそって、抱えてきた重い荷物の名前を、ひとつひとつ挙げていった。

神様を知る前に。そして知った後にも。
どれだけ自分が神様以外のものに自分自身を譲り渡してきたか、
受け入れるべきではないイメージを、心に蓄えて
そのままにしてきたかを知った。

高慢や、無関心、高ぶり、諦め、情欲、怒り、孤独、盗み…。
神様を知る前、知らずに天の父以外のものを礼拝していたこと。
重さの強弱はあるにしても、ずらずらと出てきた。
「こんなにあるのかよ俺!?」とか思ってけっこうつらかったっすよ(笑)
見栄っ張りの僕には耐えられないぐらいだった。

神様を知ったあとでも、これだけの荷物をあれこれ積んだままにしていたら、
それは動きにくくなるのも当たり前だよね。重いんだもの。



できたリストに従って、神様に話しかけた。
「今からこの荷物を外に出します。あなたの光に照らしてください。
どうなるか全然わかんないけど、どうしてもそうしたいんです」

祈りはじめてしばらくしたら、何故か吐き気が襲ってきた。
それはいったん高まって、じわじわと治まっていった。

「ひえ~、何これ?」と思いつつ、それでも祈ってみる。

この荷物は、もうジーザスが十字架で引き受けてくれたんですよね?
それを信じていいんですよね?

「俺は人を見下していました。表には出さないように。
俺は諦めていました。人に対しても、あなたに対しても。どこかで。
あなたのことも、信じたいけど信じきれてなかった。
もうそういうの嫌なんです。ほんと。まじで」

etc.etc………。



正確にはわかんないけど、2時間くらいそんな風に取っ組みあってた。
それほど項目は多かった。お恥ずかしい。

その時間のうちに、今まで感じなかった感覚があったんだ。2回ぐらい。
 
CTスキャンって知ってるよね?
あの、頭の先から足の先まで、トンネルみたいな機械にくぐらす、例のやつ。

あんな感じで、”圧”の中をくぐるような、感覚。
それは全然、嫌な感じはしなかった。
ただそこに、自然な流れで起きていることに思えた。

そして僕は祈り終わった。息をつく。
まずは終わって、ほっとした。
とりあえず、神様に任せられた、良かった、と本当に思った。




この日を境に。
僕が急にホーリーになったとか、そんなことじゃないんだ。
全て解き放たれてルンルンとかじゃなくて。

まだ重すぎて外へ持ち出せなかった荷物は残ってるし。
まだまだまだまだ成長の道のりの中だし。
この先、無数の失敗もするだろうしね。

ただこれから感じるあらゆることを、
神様にはそのまま見せていいんだって、ようやく思えた。
あほのまんまで、行く。

お父さんと思って、神様に甘えていいんだと気づけた。
その姿がどんだけみっともなくても、神様なら受けとめてくれるって。

バイブルも、ちょっとずつ今までと違う目で読めているように思う。
「父さんが話しかけてくれてる」そんな感じで。
おっかない雷親父じゃなくて、優しい父さん。

クリスチャンになって4年目で、やっとこれがスタートラインになったのかな。
えらい長い助走だったわ(笑)、よくぶっ倒れなかったよな。

こんなことを書いてるとさ、正直、「お客さまドン引きになるかも…」とか、
「これって生活感のないただの自分ワールドかも…」とか、
いらんこと思ったりするわけですが(笑)、
でも、この身に起きた本当のことを、やっぱりどうしても書きたくなったんだ。

読んでくれた人、ありがとう。


天のお父さんは、優しいよ。
怒ってなんかいないし、
重い荷物を、引き受けてくれるよ。

だから預けて、いいんだと思う。
委ねて、任せて、いいんだと思う。
いつでも手を広げて、待っててくれるから。

それをただの弱さだと、誰かが責めるとしても。
そんなことは、もう、いいんだ。
いいじゃん、弱くて。


「自分」を握りしめていた手を放して、
びびりながらでも、飛び込んでいこう。




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※愛の思想家・とものブログ、このエントリー必見です!
ぜひ読んでみてください!

シェフの気まぐれ風blog 「日本人クリスチャンの現実」
昨日本当に久しぶりにツタヤに行って、DVDを借りてきた。
前にジョシーのブログで、生き方のモデルに挙げられてた、
木村拓哉主演の『HERO』。劇場版だ。

観たかったんだよね~。



木村拓哉演じる型破りな検事、久利生公平。
久しぶりに東京地検に帰ってきた彼はある傷害致死事件の担当になる。
容疑者も自白しており、裁判は大きな問題なく進むはずだった。
しかし、その「小さな」はずの事件が、大物政治家の汚職事件と繋がってしまい…、
事態は大きく変貌していく。

ドラマの方はほとんど観たことが無かったので、
人間関係でわからないところもあったけれど、
それでも最後まで全く飽きずに観入ってしまった。

久利生公平、キムタクであるのを抜きにしてもカッコ良すぎ!
何より、そのスタイルが。

彼は誰の顔色もうかがわない。どこまでも自然体で自由。
かといって礼儀がないわけでもない。

限りなく自分自身であり続けて、信念に基づいて動く。
行動の基準は善と悪。
しがらみとか「仕事だから」とか、そんなものは一切関係ない。

パーカーにダウンジャケットみたいなラフな恰好で、
何回も事件の現場へと向かう。
息づかいを肌で感じようとする。書類で物事を終わらせない。

被害者の婚約者を見舞い、元気づける。
弱い立場の人間に、限りなく優しい。

彼は、チャンスが訪れるにもかかわらず、
大物政治家の汚職を暴くことに焦点を当てない。
あくまで、1人の、結婚を控えた青年が命を失った
”傷害致死事件”にこだわる。

それは彼には決して「小さな」事件ではないんだ。
人の命が小さいはずはないから。
人の未来が無残に踏みにじられていいはずはないから。

それを容疑者の心に刻みつけるのが、彼の目的なんだ。



映画を観ている間じゅう、がんがんにジーザスを感じてた。
ラストではほろほろ泣いてしまった。

ジーザスが地上にいた頃も、こんな生き方をしていたに違いないと思った。
大勢の人が彼についていきたくなる理由もわかるよ。
まさにHEROだ。

久利生公平。そしてジーザス。
こういう生き方。カッコいい!憧れる。

顔はともかく(当たり前だっつうの・笑)、
内側の、生き方のモデルにできたらいいよな~~。
憧れってばかにできないからね。


『HERO』、今さら遅いけどお勧めします!



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お久しぶりです~。皆さんお元気ですか?

今日はとても短いけれど、最近心にとても響いた言葉をひとつ。
オンラインで聞いた、礼拝メッセージから。



僕らの毎日で、思いがけない出来事が起きるとき、
あるいは変化の中をくぐり抜けなくてはならないとき、
立ち止まって、自分の生まれた意味を考えるとき、

僕らはつい、こう問いかけがちになる。

なぜ、こんなことが起きるんですか?」
なぜ、自分は生きているんですか?」
いつ、状況は変わるんですか?」

でもその質問は、結局僕らをどこへも連れて行かない。
胸の中でぐるぐると回るだけだ。
答えを、僕らは自分で見出すことはできない。


…天のお父さんは、その答えを知っている。
信頼して従っていく者に、マスタープランに基づいて、
必ず道を備えてくれる。

だから、尋ねるのなら、こういう風にするといいみたいだ。

「私は、この状況の中で、今生きている歩みの中で、
何をしたらいいですか?」
どうやって動いたらいいですか?」


そこには、「信頼」があるよね。
パートナーとして、不完全な僕らを選んでくれた、
天のお父さんへの。



導かれる道のりの内に、
どうしても通り抜けなくてはならない場所があるなら。

自分には到底出せない答えを知っている方を、
信じたいと思う。

簡単では、ないけどね(笑)



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本日お休みにつき、
小雨の降る中、公園まで散歩する。

こんな日に写真撮るのも、楽しいね。
傘持って、カメラ持って、で大変だったけど





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「ほうきで叩かれ、それでも笑顔」



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そう、このことをまだ分かち合ってなかったよね。
6月末、横浜のユースの皆と賛美集会をすることになっていて、
礼拝後の練習を続けているんだけれど。

先週から何と、ベーシストまで与えられてしまった!
教会の方の家族でYくんという。
これまじですごすきるよ!

神様のしてくださることって、本当に予想を遙かに超えている。
ノゾムが置いていってくれた電子ドラムに始まり、
ソウルフルなギター&歌声のIくんが加わってくれて、
果てはベーシストまで…。

僕は指一本動かしてないのに。それに今、気づいた(笑)

というわけで本日はピアノ、ギター、ベース、へっぽこドラムでセッションする。
音の厚みが全然違う感じで、嬉しくてたまらない。
自分のための歌じゃないけどね^^;

どんどんこなれていって、音が溶け合ってほしい。

今は少々いびつな形でも、これが僕らの捧げものだ。
がんばるぜい!

それにしても。
Iくんが続けて教会に足を運んでくれているのも、大きな喜びだ。
小説書きで、ギターもうまくて、探究心旺盛の彼。
ノンクリスチャンだけど、もう教会での存在感はたっぷりだ。
先週は皆帰ったあと、2人で賛美をつくってみた。
フレーズの引き出しが尋常でないIくんのギターに合わせて、
僕の歌詞を歌ってもらう。新鮮な感じだ。

近々録音して披露できたらいいな~。


そして晩は…栄光教会のヒカルと久しぶりに会う。
うちの教会からプロジェクターを借りるために来てくれたんだ。
さっぱりしたヘアースタイルで現れた彼は髪型以外、全然変わってない。
いつものごとく自然体。男前。何だかほっとする。

教会で、ドラムを見つけたヒカルは「おおっ!」と声を上げた。
昔からやっていて、家にも電子ドラムを置いているんだって。

さっそく色々と調整してくれる。
実は僕が練習していた時、クローズのハイハットが
なぜか鳴らなくて困っていた。
そこからして、いかに自己流だったかがわかるよね^^;

ヒカルはあっという間に原因究明してくれた。
コード繋ぎ間違えてただけだった(笑)
スピーカーから「チッ、チッ」って音が出てきた時は小躍りしました。

それぞれのパーツの位置も微調整して、
少し、叩いてくれる。
とても同じ楽器とは思えない!カッコ良すぎる!

基礎ができているから、もう全く違うんだ。
クローズハイハットも鳴ってるし(笑)

スティックの握り方と、
基本の課題フレーズを教えてもらい、僕も挑戦する。
う~~~む。とっちらかってる。
やっぱり基礎なんだね、大切なのは。

それにしても、このドラムでこれだけの演奏ができるとわかっただけで、
充分、希望が持てた。すごく感激した。あとは練習のみっす。

弟子入り志願の土下座をする前に、
ヒカルがドラムを教えてくれることにもなったし。
時間のある時に。
今日は宿題フレーズも受け取ったよ。

帰り間際、2人で「その日全世界が」を賛美する。
夜の教会に、ヒカルが叩き出す、熱いリズムが響き渡る。

もう一つのセッションだった。

ヒカル、まじでありがとね~~~!!

神様にも、心からありがとう!
胸の奥が風で吹き払われるような気持になりました!

信じてて、良かったです^^


【今日の写真】



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やはり、書かないわけにはいかなかったんだ。
秋葉原で起きた、あの悲しい事件のことを。
それは心に刺さったトゲのように、ずっと胸を痛ませていた。

でも、すぐには書けなかった。
湧きあがった想いを整えるための時間が必要だったんだろう。


あるきっかけがあって。
今やっと、背中を押されて、書きだすことができた。



事件に関して思いめぐらせていくうちに、
僕の心はいつしか、”彼”の心に寄り添いはじめた。

彼の境遇、孤独感に、かつて自分が感じた、似たような想いを
見出したからだ。

しかしお断りしておく。
”彼”は紛れもなく加害者で、その行為は疑いようのない罪だ。

誰であっても、理不尽に命を絶たれていいはずがない。
遺された家族に、生涯消えないほどの傷を負わせていいはずがない。

自分が同じ、肉親の立場だったら…そう思うと、
やるせない気持が込み上げてくる。

だからこの文章は決して、”彼”の弁護や擁護ではない。




”彼”が心底求めていたのは、絆だった。
個人的に、僕はそう思う。

「彼女がいれば…」という思いもそうだし、
掲示板への尋常でない量の書き込みも、
「繋がり」を求めていた、何よりの証拠だと思う。

誰かに受け入れてほしい。
独りでないと、信じたい。
自分はここにいると訴えたい。
この「自分」をそのままで愛してほしい。


神様を知る前…。
僕にも、そんな時期があった。

両親に反発し、学校の人々とも繋がれず、
かといって行く場所もなく、
生きる足場を失っていたことが。
どこにも絆を、居場所を見いだせなかったことが。

万引きに取りつかれていたのも、その頃だ。
どんな形であれ、見つけてほしかったんだと思う。
「ここに生きている」ことを。



「小さい頃から良い子を演じてきた」
”彼”はそう言っているそうだ。
両親は厳格な人だったという。
子どもは親から無条件の愛を求めるけれど、
”彼”の両親が与えたのは、条件付きの愛だったのだろう。

”彼”はそれでも愛を求めて、走って、進学校にも入った。
そうしたら認めてもらえると信じて。
しかし結局息切れして、挫折を感じ、絆を結ぶのを、諦めた。


人には…絆が必要だ。絶対に必要だ。
何もできなくても、肩書が何であっても、
無条件でありのままの自分が受け入れられる、絆が。

それこそが人を温め、この世で生きていくための土台になる。

奇麗ごとなんかじゃないんだ。


人の目から見て良い学校に行っていなくては、
人も羨むような良い職場に入らなくては、
金をしこたま貯め込んでなくては幸福になれない。認められない。

そのくだらない価値観が、人を蝕んでいく。
人にただの「役割」を演じさせ、個性を、
その人しか感じられない想いを、踏みつけていく。
そして諦めの中、いつしか魂は静かにひからびていく。

そんなこともう、止めにしないか?
それって幸せなのか?
少なくとも僕は、そこには乗っからない。

「勝ち組」なんてくそくらえだ。


…あるニュースサイトで、
事件予告とは別の掲示板に”彼”が書き込んだという文章を見つけた。
おそらくナイフを買った時の記述。
人を激しく損なう道具を買ったはずの場所で、”彼”は叫んでいた。

「午後 2時39分 店員さん、いい人だった」

「午後 2時42分 人間と話すのって、いいね」


…求めていたのに。何故。


人間と話すのって、いいね。



僕らクリスチャンにできることは、何だろう。
絆のない、孤独な魂に寄り添う術はあるのだろうか。
傷ついた者が他者を傷つける、
その未来を理不尽に断ち切る、
悲しい連鎖を、食い止められるのだろうか。

神様は圧倒的な力で、僕らにわかりやすくその愛を示すことだってできるはずだ。
しかし神様は、あえてそれを選ばれなかった。

その愛の火を----人を奥底から温めてくれるともし火を----
神様から人へ、人から人へと、手渡しで伝えることを望まれた。

神様からパートナーとして選ばれた僕らは、
どれほど地味で、草の根的な動きであっても、
身近なところから始めるしかない。

その人を、その人として認めること。
神様のやり方で愛そうとすること。

受けていないものを分けられるはずはないから、
自分がまずは、満たされてから。
それは決して、身勝手ではない。

愛されないと、愛せない。

偉そうなことを言っていても、僕もまだ、道の途中にいる。
誰かを愛することができるのだろうかと、自分に尋ねている最中だ。
正直言って、わからない。愛し方を。

でも、進む方向だけは見えている。

絆をつくるんだ。
神様との。人との。

心から願い求めるんだ。



絆を。




最近、バイブルのこの箇所が、何回も何回も飛び込んでくる。
バイブルそのものから。そして、読んでいた本から。

神様は、僕らに知らせようとしてるみたいだ。
「もう、自分を責めたりしなくていい」ことを。
繰り返し、言いきかせてくれている。

「神は、わたしたちの一切の罪を赦し、規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました」(コロサイの信徒への手紙2:13~14)

あなたはどうだろう?
自己嫌悪に陥って、凹んだりすることってありますか?

僕はしょっちゅうだった。神様を知る前は。いや、知ってからも最近までは(笑)
鼻先にニンジンぶら下げられて突っ走る馬みたいに、
いつだって”あるべき自分”の影を追い続けてきた。

優しくなくちゃ、いけない。
良い人じゃなくちゃ、いけない。
面白くなくちゃ、いけない。
気の利いたことが言えなくちゃ、いけない。
愛がないと、いけない。
強い信仰を持たないと、いけない。

結局、意志を頼りに何とか自分のお尻を叩き続けてきた気がする。
人の目も、すごく気にしながらね。


神様を抜きにすると。

育った環境、歩んだ道のりの中で、僕らはいつしか内側に”規則”を作り上げてく。
とりあえずの足場を。人生観のようなものを。

規則は、しだいに独り歩きを始める。
そしてどこかで、僕らを縛っていく。
窮屈で、息苦しくなって…いつしか疲れてしまう。

あるべき姿にない自分自身をかえりみて、責めて、
いつしか先へ進むのを諦めてしまう。

どうなんだろう、僕だけかもしんないけど(笑)


「もう、そういうのは終わりにしよう」神様はそう言ってくれている。
実際、ジーザスの十字架で、それを示してくれている。

僕らを縛りつけようとするものを吹き払ってくれるんだ。



まずは罪が、赦される。
一切の罪が。

僕自身のこれまでの罪を思い起こせば、唖然とするほどだ。
反抗。盗み。嘘。不品行…切りがない。

それを、赦してくれるなんて。それだけでもすごすぎる。



続いて規則が、取りはらわれる。
自分が何とか人生を成り立たせようとして築いてきたルールを、
そして結局はそれに追い立てられるようになってしまったルールを、
たくさんの人がしているってだけで、
力を持つようになってしまった規則を、
十字架が、新たなものに変えてくれる。

証書は破り捨てられた。

これは、自己正当化じゃないんだよ。
謙虚に受け止めたい、約束なんだよ。

僕もあなたも、あるべき自分に追いかけられなくて、いいんだよ。

「今」生きていること。神様との、新しい約束の中に生きていること。
全てのことに意味を与えてくれて、
失敗も、何もかも込みでまるごと受け入れてくれて、
何より僕らをめっちゃ可愛がってくれる、神様の約束の中で生きること。


明日、すぐにそれを打ち消すような出来事が起きるかもしれない。
弱さを実感したり、人から凹むようなこと言われたり、
何かをうまく「できない」自分に、嫌になっちゃうかもしれない。

それでも。
規則は取り払われてる。

自分を責めそうになったら、そのことを思い出そう。
何回でも、約束に立ち返ろう。

内側だけで悩んだら、神様を締め出すことになっちゃう。

祈って、放そう。神様に、話そう。

敬虔な信仰なんて、僕にはない。
弱いし揺らぐ。
「こんなこと言うなんてただのおごりかも」と思いつつ、
これを書いている。



でも、このバイブルの言葉が、どうしても心から離れないんだ。







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ブログの盟友・にっちが、深みへと漕ぎだそうとしている。
クリスチャンのありのままの姿を伝える、
フリーマガジンの創刊に向けて。
次々とスキルを持った仲間が与えられて、着実に実現に向かっている。
神様のされることに驚くしかない。感動するしかない。

にっちが握っている鍵。それはきっと”従順”だ。
「ただ主の栄光が見たい!栄光を返したい!」
自分のために生きていないんだ。

ひたむきなその想いは、神様の心を打ち、
人に希望を与えるんだと思う。

にっちの歩みに半端ない祝福あれ!
頼もしいし、かっこいい。

同じ信仰を持つ仲間をリスペクトできて、僕は本当にうれしい^^



そんな深みを見渡しつつ、
僕はまだ波打ち際でちゃぷちゃぷとやっている(笑)
何かが始まろうとしている予感はある。
ただ、さらに足の届かない深みへ漕ぎだすために、
必要な力がわからずにいたんだ。

圧倒的な量の水の、すぐ傍にいるはずなのに、激しく飢え渇いていた。
礼拝を捧げていても、賛美を奏でていても、祈りの時を持っても、
ここ最近、その渇きはおさまらずにいた。

主がいつでも自分と共にいてくれると、頭でわかっていても、
全身で感じられていなかった。

エンストした車を、後ろから一生懸命に押しているような気分だ。
すごく苦しかった。出口を探してた。



おとといの礼拝後、出口への鍵が手渡された。

ユースメンバーのmizuさんが
前触れもなく、プレゼントしてくれたのは”聖霊”についての本だった。
著者はペニー・ヒン。彼の集会では主の臨在が満ちあふれて、
数多くの人々が肌身で主を知るという。

今の自分に確実に必要なことが、書かれていると感じた。

6月末の集会に向けての練習、Iくんとの個人的なセッションを終えて、
全力疾走で家まで自転車を駆る。

そして本を読んだ。夢中になって、その日のうちに読み終えた。

「鍵だ」…そう思ったよ。



聖霊。ホーリースピリット。
三位一体の神様の、第三位格にあたる方。

礼拝でも「父、御子、みたまの~」なんて賛美していたはずなのに、
僕はその方についてほとんど何も知らずにいた。

でも、知れば知るほど、まじで半端ない!

ホーリースピリットは、
僕らを新しい者としてくれる。くびきから解き放つ。
僕らを愛し、親友のように助け、弁護してくれる。
主が僕らを用いてくださるとき、力を与え、祈りを支え、
バイブルの理解を深める。先の道を示す。

つまり神様自身が、僕らの内側に寄り添って助けてくれるんだ。

知らなかった僕がガス欠になるのも当然だ。
これほどの方を。

「使徒言行録」なんて、そんなホーリースピリットの働きに満ちている。

ジーザスの弟子たちが、あらゆる苦難や迫害、偏見をこえて、
世界に福音を述べ伝えた原動力は、
もちろん復活したジーザスを知ったことでもあったけれど、
彼らに聖霊が降り注いだことによる。

人知を遙かにこえた力に、彼らは満たされて歩んだんだ。

その力は、僕らにも、いつでも開かれている。
どれほどの希望だろう。



僕らジーザスを信じる者全てに、
主が無償で下さっているホーリースピリット。

僕らはただの土の器だ。その中に、主のスピリットが注がれて初めて、
主に向かって歩んでいける。依り頼むことができる。
そうだよね?

まじで大歓迎っすよ!

本を読み終えて、すぐに祈った。
「俺の人生の中に入ってきてください!大歓迎です!」
まだ…実感はできていない。
当然だと思う。僕はまだ、その輪郭ぐらいしかわかっていないし。
何しろ波打ち際でちゃぷちゃぷだし(笑)

それでもいい。ふさわしいときに、必ずわかるときが来ると信じて、待ち望む。
知識をこえた実感を。頭だけでなく、腹の底からの信頼を。

これを読んでいる人の中には、
「そうそう、そうなんだよ!」って同意してくださる方もいれば、
「あんた何言ってんの?」と思う方もいるかもしれない。

聖霊派とか福音派だとかの区分みたいなものもあるみたいだよね。
いまいちそこのところも、わからないんだけどさ(笑)
アホやし。

…僕にわかるのは、ただこれだけ。

主は、願い求める者に、必ず道を与えてくれる。

だから期待しよう、期待しまくろう!
諦めたくないし、みんなで深みへ漕ぎだしたいんだ。

与えられた場所で。それぞれの船で。








【今日の写真】


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今日は休みの一日だ。
前の日曜に、教会に自転車を置いてきてしまったので、
散歩がてら取りに行く。ドラムの練習もしようと思う。

何日も続いたぱっとしない天気を抜けて、日差しは強い。
すぐにはおっていたフリースを脱いでリュックに仕舞った。

道を歩いていると、どういうわけか写真を撮りたくなる。

どこにでも咲いているはずの花。
誰も目を留めないような、廃屋。
ありふれた公園。

でも、語りかけてくるような気がする。
それが他の風景と何が違うのか、それはわからない。
けれど、どこか違うんだ。

足を止めて、シャッターを切る。

なぜ僕は写真が好きで、撮り続けたいと願うのか。
特別、感受性にすぐれているわけでもなく、
カメラの技術だって、最近やっと学び直しているぐらいなのに。

僕より写真のうまい人なんて5000万人ぐらいいるはずだし(笑)

ただ単純に。
自分には世界がどう見えるか、それを残したいのかもしれない。

その風景は、ありのままというより、どこかマジックがかかっている。
絵葉書のような美しさではないけれど。

…限りなく、そんな風景を定着させたい。
だからスキルを上げたいな。



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つらつらと想いを巡らせながら、ひよっこカメラマンは教会に着く。
会堂は少し、涼しい。

軽く昼ごはんを食べて、ドラムを叩く。
自分が、久しぶりに何かに取り組んでいる感じがする。
超がつくほどの飽き症で、何をさせても続いたためしがない僕が、
なぜこんなに太鼓を叩きたいのか、
それも写真同様、わからない。

ドラムだって8ビートがやっと。全然上手くなんかない。
でもリズムを叩き出したい。新しいパターンを覚えたいし、
それを体に染み込ませたい。

腹の底から湧きあがってくるものがあるんだ。

途中、教会のKさんが来たほかは、1人で練習を続ける。

と、本当に不思議だけれど、不意に”罪悪感”が心を打った。
好きなことをしているのに。いや。好きなことをしているがゆえに。

「俺、勝手じゃないかな。好きなことばっかやってる場合じゃないよ。
もっとユースのリーダーとしてやることあるんじゃないか?

教会の他の手伝いもあんまりできてないよ。草取りとか食事の後片付けとかさ。
それは他の人に任せていいとこ取りかい?結局…自分のことしか考えてないじゃん!」

それは、神様から来る考えでないことは、はっきりしている。
神様はそんな風に人を責めたりは決してしない。

「こんなことしてたらいつか誰かに責められちまうんじゃないか」って想いは、
つまるところ僕の恐れからきているんだ。

まだまだ、神様に信頼しきれていない部分がある。
それを、認める。

1時間ほどで練習を切り上げて、自転車で家に帰る。


ベッドに横たわって、ゆっくりと考えてみた。
この罪悪感はどこから来るのか。

結局のところ、「○○しないと認められない」そんな囚われが僕にはあると気づいた。
勉強できないと、面白いこと言えないと、てきぱき動けないと、いけない。
受け入れてもらえない。まだ、つかまっていたんだね。

神様は、誰に対してもそんなこと言わない。
何もできなくても、そのままで僕らを受け入れ、愛してくれる方だ。
今の自分から、スタートさせてくれる方だ。

真っ向から反対の方角に行っていた。

罪悪感を弄んで、自分に新しいものを与えてくれる神様の恵みを、
シャットアウトしていた。

僕はある意味ルーズで、感情的で、飽き症でコミュニケーション下手…、
でもそれが今のところの自分なんだ。差し出すしかない。

開き直りとは違う。開き直りは、問題をそのままに自己正当化してしまうことだ。

僕は上に挙げた弱点が、神様に取り扱われるのを願っている。
しかしそれは、少しずつ、相応しいときに起きてくると思った。
すぐにでは、ないんだ。

だから…祈った。まずは、差し出した。
そうするしかない。
間違いをおかしているとしたら、何度でも正してほしいって。

ふっと…胸の重みが薄れた。


ひとまずは。
さよなら、罪悪感。

君はまたきっと、戻ってくるはずだ。
僕はそんなに強くないし、君は案外しぶといから。

でもその度に、手を放して、神様のところに行ってもらうよ。

…そのつもりで!




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このところ思い浮かぶのは「セッション」という言葉だ。



先週金曜日のユース祈り会。
最近、続けて来てくれているIくんが、また足を運んでくれた。
お互いの日々を分かちあってから、夜の教会でセッションが始まる。
ピアノとギター、そしてドラムと歌声が響く。

6月末に予定されてる、横浜のユースのみんなとの賛美集会に向けての練習だ。

前から僕らは「ピアノだけじゃなくて、バンドみたいにして賛美してみたいね」と
思い続けてきた。そして祈ってきた。

そうしたらドラムが与えられ、小学生の頃からギターに親しんできたIくんが
与えられた。うねりと勢いのあるIくんの演奏は、新しい息吹のようなものを
吹き込んでくれてる。

いつもながら、主のされることに感動する。

僕はまだ超・若葉マークのへっぽこドラマーだけれど、
皆で賛美を奏でていく喜びは、もう本当に嬉しくて仕方ない。

うまい下手ではなくて…皆で、心を捧げたい。


そして昨日の仕事上がり。
元・小学中学のクラスメイト、Aさんと会って食事した。
この再会も不思議な導きで、
にっちがブログに、僕が札幌に行った時のことを書いてくれたことで繋がれたんだ。
Aさんはにっちの元・同級生。

メールのやり取りを通じて、
お互い帯広に住んでて…、なおかつ写真が好きだとわかった。
そして昨日、十数年ぶりのプチ同窓会となったわけだ。

次々と上がる昔のクラスメイトたちの名前。
言われてみれば…と顔が思い浮かんでくる。

写真の話題も燃えた。Aさんが趣味に留まらない情熱を抱いてるのが
伝わってきて、仲間ができたような気持になる。

前から抱いてた夢、図書館の市民ギャラリーでの展示を、
一緒にやりたいと持ちかけてみる。
「いいね~」とあっさり決定した(笑)
2つ目のセッションだ。

どうも僕には自信がなくて、撮った写真や描いたイラストなんかを、
公に出してみたい願いはあっても、どこかで諦めかけていた。
もっと上手い人はいくらでもいるんだから、って。

一番、自分の邪魔をしてるのは、案外自分自身だったりする。

Aさんとの再会は、それを打ち破るいいきっかけになりそう。
めっちゃ嬉しいです!

同窓会はプチ2次会へ移る。
店を出て、これもまた同級生のIちゃんの家へ。

元気な息子さんとご主人に囲まれたIちゃんは、昔と全く変わらない。
今すぐ中学の指定ジャージ着れそうな勢いだった(笑)

それでも、お互い年齢を重ねていて、
「大人になってるよな~」と思うことしきり。

尽きることのないお喋りをしながら、たくさん笑った。
Iちゃんの突拍子もないリアクションは健在だ。
変わってないとこは全然変わってない。

嬉しかったことがある。

話の中で僕が、
「中学時代は友達も少なくて、軽い嫌がらせみたいなのにも遭って、
あんまり良い記憶ないんだよな」ともらしたら、
AさんとIちゃんが、
「全然そんなことないよ!ひとりのイメージなんてなかったよ~
チョン君(僕の韓国名)はすごい優しいイメージで良い印象だったよ」と
思ってもないことを言ってくれたんだ。

意外すぎてたまげた。

その時に、神様が過去を取り扱ってくれた…と思えた。
いささか酔ってましたが(笑)
僕が封印していたつもりの過去を、こじあけるでもなく、
2人のクラスメイトの優しい言葉を通して、溶かしてくれたんだ。

神様ありがとう。

2人と今、再び会えて友達になれそうなこと、ありがとう。




今日の礼拝後もセッションは続く。
賛美集会で歌う予定のグロの曲、2曲を、
ぜひ皆で練習したいとmizuさんが言ってくれて、
S先生も声をかけてくれて、全員で練習することになる。

あの名曲「その日全世界が」を、うちの教会の皆が賛美してる…!
なんですかこの光景は。夢っすか。

そしてユースだけの練習も終え、今度はnanoと車で栄光教会へ。
nanoが参加しているゴスペルクワイヤ・Sistersの練習に僕も混ぜてもらう。
Sistersっていうぐらいだからオール女性陣の中で、ちょっと所在ないわたくし(笑)

それにしても、パワフルな賛美だ!ハーモニーも気持ちいい!
練習の合間に、リーダーwakkaさんが、曲にまつわるエピソードを話してくれて、
それも心に染みたよ。

隣にいた方が、風邪の喉をおして一生懸命にテナーのパートを教えてくれて、
上手い下手はともかく、楽しんで歌えた。

ここで告知(笑)
Sistersは6/14(土)に、帯広のとかちプラザで開かれる
「ゴスペルとグッドニュースの夕べ」というイベントに出演予定です。
PM6:30開場で入場料は500円。
興味のある方はぜひ足を運んでくださいね~。



…いろいろと始まった「セッション」がどんな実を結んでいくか。
とても期待して、楽しみにしてる。

自分に自信なんかないけど、
仲間もいるし、与えられた機会を大事にしたいよね。

「あなたは、まだなりたい自分になってはいないかもしれませんが、
同時にかつての自分とも違っているのです。」

(『人生を導く5つの目的』より リック・ウォレン著)




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