Hold Me Jesus 2

北海道在住のジーザスフォロワー・taikaのブログ。CFNJ聖書学院にて研がれる日々。

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かもめ食堂かもめ食堂
(2006/09/27)
小林聡美

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さてお約束のとおり(誰と?)、
映画の感想を書きます。
ちょっとネタばれもあるかもしれないのでご注意を。



『かもめ食堂』、これ本当にお勧めの素敵な映画だった。
こんなに自分の価値観に程良くフィットした作品を観たことがないくらい。
まだ余韻が残っている。

フィンランドの首都、ヘルシンキの街中で、
食堂を営む日本人女性・サチエ(小林聡美)。
開店以来お客に恵まれず、カウンターで食器を拭く日々が続く。
しかしある日、日本かぶれの若者が店を訪れてから、その流れが変わる。

書店の喫茶室でサチエが出会った旅行者・ミドリ(片桐はいり)。
初対面にもかかわらず静かに2人は意気投合し、
ミドリはかもめ食堂の一員となる。

そして少しずつ、街の人々との絆は深まっていく。
物語の半ばには謎の女性・マサコ(もたいまさこ)が3人目の仲間で加わり、
独特な存在感を放つ。

ストーリーは、とりたてて波乱万丈じゃない。
5分おきに大事件、後半のどんでんがえし、
最後はヒーローとヒロインが抱き合ってチュウ、
みたいなハリウッド的展開はどこにもない。

あるのはありそうで、なさそうな日常だ。

これ、舞台が北欧だったからこそ成り立った映画だと思う。
日本の片田舎の人情話みたいな、ウェットな感じがないんだ。
どこまでも潔くて、シンプルで…北欧のデザインを思わせる作品だ。

その潔さは、主人公・サチエの生き方にも表れている。
あまりにお客が来なかったとき、食材を買いこんできたミドリがサチエに言う。
「フィンランド人にもうけるおにぎりを作りませんか?」って。
買ってきたのはトナカイの肉なんだけど(笑)
サチエは一応、おにぎりを握ってみる。
試食しても、しっくりこない。

そこでサチエは言う。
「おにぎりは、やっぱり、梅・鮭・おかかなんじゃないでしょうか」。

ささやかなんだけど、これは信念なんだ。
いこじになるでもなく、さらりと信念を掲げる。気負ってない。

ミドリは心配して、言う。
「これでお客さん来なかったら、どうするんですか?」
サチエは微笑んで答える。「お店、やめるだけですよ」。

おもねることは、彼女の心に叶わなかった。
そして、静かにその信念は街の人々に通じて、
しだいに店はお客さんでいっぱいになってくる。

かもめ食堂で出されるのは、日本食だけではない。
シナモンロールもあるし、美味しいコーヒーも飲ませてくれる。

それも、媚びでしていることではない。
単純に、「歓び」のためにつくられた料理だ。
だから、美味しそう!
それを感じた人たちが、自然と引き寄せられてくるんだね。

大好きなシーンがある。

映画の終り近く、食堂が初めて満席になったあと、
サチエはプールで泳いでいる。
そしてつぶやく。「かもめ食堂、本日初めて満席になりました」。

すると、周りから大きな拍手が聞こえるんだ。

見ると、プールの中にいた人全てが、彼女を讃えるように手を叩いている。
これが素敵だった。
彼女の心の中の達成感を絵にしたような。

傍から見てどれほどささやかなものであろうと、
人と比べず、彼女が掲げたポリシーが祝福された瞬間だった。




この映画は、わかりやすく物事を語らない。
しぐさや、ちょっとした一言、ディティールで語るんだ。
3人の女性の、街の人々の過去、現在、想い…。
それを読み取る楽しみがある。

この3人の女性の距離感もいい。
基本的に丁寧語で話す。その節度。
でも全然、ぎすぎすしていない。

共にいられるその時間を楽しみたいという願いに溢れている。




何でも自分の畑に引き入れるわけじゃないけど、
かもめ食堂みたいな教会が、あったらいいなあ。

筋が通っていて、かといって人を受け入れないわけではなく、
ジーザスがしたのと同じように、美味しい食事を分かち合いながら、
信じる心と絆が満たされる、そんな教会。

この映画を観ていると、なんだか、できそうな気がしてくるんだよね(笑)

話たいことはまだあるけれど、今日はこの辺で^^
同じ監督の撮った作品「めがね」も絶対観るぜ!






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最近読んだ本を噛み砕いて、僕なりにまとめてみる。



手の、指。

5本ある指は、それぞれ違った形をしている。
背が高い、低い、太い、細い…。随分違う。
でもその指は、手のひらに繋がっている。

切り離された指に命はない。
手のひらに繋がってはじめて、命は流れ、動くことができる。
そして、1本の指にできることは限られていても、
ひとつにまとまった”手”ならどうだろう?

指は僕ら。手のひらは神様。
親指と小指、どちらも神様にとってはかけがえがない。

僕らは1人1人、違っていていい。
性格、心持ち、体形、能力、それも神様が与えたものだ。
選び抜き、吟味して僕らにくださったものだ。

神様は意味のないことはしない。
だから、違いは必然なんだ。

でも忘れてはならない。
指が手のひらに繋がるように、
僕らは1つのところで繋がっているのを。

そこは全部が溶け合い、ただ「存在する」としかいいようがない場所だ。
大きいも小さいも、偉いも偉くないも、ない。

ただ、そこにいる。



出っ張った指は「目に見える世界」を指しているのかもしれないね。
学歴、経歴、暮らし向き、稼いだお金、選んだパートナー…。
それをつい、僕らは比べてため息をつくけれど。
実のところ、それがいったい何だと言うんだろう。

少なくとも、神様はそんなところ見ていないはずだ。

そういった虚飾をはぎとった先にあるものが、
本当に大切な気がする。

手のひらに繋がる。
何も覆いのない、「そこにいる」だけの自分が受け入れられて、愛される。
流れてくる命を受けて、動きだす。
その営みは目には見えない。でも確かにある。
あるんだよ。

で、手のひらの側の気持としては、
「ただここに繋がってほしい。生きててほしい」
そう思っているはず。

「そうは言っても、そんなんで腹がふくれるわけじゃないし」
あなたはそう思うかもしれない。
気持はわかる。僕だってパンを得るために働いている。
黙っててもフルコースの貴族じゃないし。お漫才もしてないし(笑)

ただ、目に見える世界にずっと留まり続けたら、だんだん辛くなってこない?
比べたって自分がその人に、
その立ち位置になれるわけでもないのに、つい、比べてさ。

その中で、手のひらのことを思うと、安心する。
ああ皆、根っこのとこでは同じじゃんと思って。

じゃあ自分は、与えられた形で、何ができるだろう。
考えがだんだん、そんな風に変わっていくよ。

いろんな指同士、お互いの違いを楽しもう。
コーヒーの宣伝じゃないけど。ダバダ~~~(笑)
そして”手”としては1つになって、働けたらいいよね。

また例によって奇麗ごと語っちゃいましたが、
何か、とても大切に思えたので、書いておきます。

読み終わって、つい、まじまじと手を見ちゃったりしてね^^




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◆休みの昨日、とても良い映画を2本も観ました。
『エバン・オールマイティー』と『かもめ食堂』、いや本当に良かった。
次回はその感想を書きたいと思います!
札幌で様々な出来事をくぐって以来、
なんだか、祈りが変わってきた気がする。
対象がくっきりしてきたというか、
差し出したものを受け止めてくれる相手を、意識する。

前はけっこう、上滑りしていたんだ。
「主よ~、むにゃむにゃ……ほんとに聞いてますかあ~?」という感じで、
半ば独り言だった^^;

とにかく直で、応答が欲しかった。

札幌で心に感じたものは、いささかタイムラグはあったけど、
その、応答だったのかもしれない。

…心で受け止める、信じるって、大切だよね。
もちろん知識だって重要だ。無くてはならないものだ。
ただ、知識は時折、ワクにもなるんじゃないかな。

僕がそうなんだ。
いろんな本や何かを通して、「神様について」知ることができても、
それで「神様自身」がわかるかと言ったら、少しまた違う。実感として。
当事者じゃなく、観察者になってしまうんだ。

では…神様自身を、どうやって知ればいいんだろう?
と、想いを馳せて、はたと気づく。

本人に、尋ねたらいいんだよね。
生きておられるんだから(笑)

すぐには答えが返ってこないかもしれない。
それでも、求めたらいいんだ。

そして周りを見つめる。
今の流れを見つめる。
全てのものを神様が創られたんだから、
その全てに神様は染みとおっているはず。





最近、電気を消して眠る前に、考える。
自分がこうして生かされていること。

大きなことを言うようですが、なぜか地球のことも考えるんだよね(笑)
何度もテレビで観た、宇宙空間に、青く瑞々しく浮かぶ星。
あんなにでかくて正確な球体、神様にしか創れないよな~、って。
しかも…ぐるぐるまわってるんだぜ(笑)

ありえないほどの土台の中に、僕らは含まれている。

「人間」が「地球」を造ったわけじゃない。
神様が据えた仕組の中で、生きさせてもらってるんだ。

それってまじすごい!すごくないかい?
僕には全然、当たり前のことだと思えないんだけど。


…と、ついついスピリチュアル(?)な方向に進んで
昨今は時おり生活感が薄れ、
携帯の料金期限ぎりぎりまで払い忘れたりしてるんだけどさ^^;

駄目じゃ~ん!帰ってこいよ~。





この神様のすごさを、ちょっとでも生き方に反映させたい。
けれど、内側の感動と、対外的な自分とのギャップに戸惑うばかりだ。

引っ込み思案の人見知り。
他人と、どうやって関わったらいいのかも、模索中。
動くより考えていることの方が長い。

これが偽らざる現状なんだよね。

どうしましょう本当に。これ、超・ネックなんですよ。
縛りたくないんだけど、自分を縛ってる。

チャーチ関係の人たちとも、うまいこと関わりを温められない、
はぐれメタルのような自分が、
どうやって外の人たちに、神様伝えられるだろう。
もどかしいったらありゃしない。

…この性格も、与えられたもの。それは知ってる。
そして用いられるのにふさわしい時や場所がきっと与えられるのも、信じている。

案外、もう「今」がその時、その場所なのかもしれない。

だからさらに願い求めるしかないね。
いまいる、この環境で、少しでも変わることを。
実際の生き方が。他の人への接し方が。

勝手に、無理だと諦めずに。
勇気を、与えてもらおう。





…今日のエントリー、大丈夫でしたか?俺、ぶっとんじゃってなかったかな^^;

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◆おすすめクリスチャン・ブログ

「クリスチャンカメラマンの写真話」

とてもきれいで活き活きした写真です。プロカメラマンは本当に上手い!


◆あと、東北の地震に関しても祈ってます。帯広も揺れたぐらいだから。
大きな地震だった。
そして、八王子で起きた事件のことも…。ほんとに悲しすぎる。

レポート第2部。なんだかわからないほど長くてすみません^^;
もうちょっと簡潔に書けるよう、今後は頑張りますです。




2日目。日曜日。
にっちの教会、カナン・プレイズ・チャーチで礼拝を捧げようと、
地下鉄で最寄駅まで向かう。

にっちが地図を書いてくれたにもかかわらず、迷う(笑)
祈り、住宅街のお年寄りに道を訊き、ようやく教会が見えてきたときには、
大陸発見のような気持になっている。

中に入ると半端ない数の人々だ。玄関にまで溢れかえっている。
そして賛美が聴こえてくる。

ただの歌ではない。それを感じる。
心がまっすぐに神様に向かっているというか、
ここの人たちは、本当に楽しそうに歌う。


メッセンジャーは昨日も大活躍された天野先生。
魅惑のマシンガントークで、
老若男女お構いなしに、笑いの渦へと巻き込んでいく。
笑いの波がひいたあと、神様から語られた大切なことが残る。



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神様は、僕らに善いもの、神様を告げ知らせるために必要な力を、
いつでも惜しみなく与えたいと願っている。
もう寸前まで来ている。
でも、フォアグラみたいに、僕らに力を無理やり詰め込んだりはしない。

手を伸ばすのを、待ってくれているんだ。

自分という器を差し出して、神様に力を注いでもらうこと。
それが、大事。

あとは外国の集会で起きた数々の奇跡的な出来事についても、
分かち合ってくれた。貧しい人に金が与えられたり、病が癒されたり。

こういう話を聞いて…眉に唾をつけるのは簡単だ。

でも僕は、なんだか信じられた。だって神様は、何でもできるから。
これもまたひとつ、神様の大きさを証する出来事なんだろう。

さて礼拝が終わり、食事の時間。
ユースの席に混ぜてもらって、にっちとカレーを頬張りつつ話す。

にっち「いや俺もう、ユース(O2といいます)から離れちゃってね~。
残念だけど、立場的にさあ」
タイカ「出ちゃったんだ~。じゃあCO2だね(笑)」
にっち「流行ってるからね~、削減(笑)」

ネタあわせか。



さて、午後からは天野先生がリーダー向けの講義と、
祈りの時間を持ってくれた。
これが…半端なくすごかった!
個人的には、札幌に呼ばれた理由がわかった時となった。
この中身、人によっては引いてしまうかもしれないので、
ちょっと注意して書きます。でも実際に起きたことです。

祈りの時間。天野先生が、そこに集った1人1人を呼び寄せて個人的に
祈ってくれたんだけど、そこで僕は初めてホーリースピリットの働きを、
目のあたりにしたんだ。

そして自分でも体験できた。
ずっと「知りたい!」と願い求めてきたホーリースピリットのことが、
ちょっと、肌で感じられた。

天野先生の前に立ち、先生が祈り始めて10秒もしないうちに、
僕は後ろにぶっ倒れた。力が抜けた。後ろで誰かが支え、
受け止めてくれて、そのまま床に横たわる。

それから15分ばかり。
僕は…激しく泣いた。

頭の片隅はけっこう冷静だったんだ。
「ああ、倒れた拍子にシャツはだけた。恥ずかし~」とか、
「床が固いなあ、ひんやりしてるなあ」とか思っている。

でも、それとは別にどうしても嗚咽が止まらない。
とめどなく湧き上がってきた。
子供みたいに、半年分は涙を流した。

…その涙の中に、何があったんだろう。

どうしても、頭で神様を信じようとしてしまうことへの葛藤。
したいことと、できることのバランス。
人と関わることへの未熟さ。そこから生まれる悔しさ。

そういった、溜まっていたものが、
全部ない交ぜとなって、胸の奥から取り出された。

今こうして文章としてまとめ返していても、不思議で仕方ない。
本当にあれはなんだったんだろう。

そんな風に、1人1人がそれぞれ、ホーリースピリットを感じつつ、
祈りは終わった。





次は、伝道ライブ「心音(こころね)」だ!!
行くぜい~~~!

地下鉄駅でにっちと別れ、会場へ向かう。
夕暮れの狸小路、アーケードは若者でごった返している。

例によってまた、迷う(笑)
霊によってまた、祈る。

ぐるぐると同じルートを回り、バターになる寸前で会場のビル発見。

で、疲れのせいか…ここで僕は失敗する。

ビルのエレベーターのあたりに、カナンチャーチの親子連れの方がいた。
さっき教会で見かけた僕を覚えていてくれて、
笑顔で会釈してくれたんだけど、なぜか僕はポヤ~ンとしていて、
何となく無視したような恰好になってしまった(泣)

「後ろの人にでも会釈したんかな」とか思って。

その方は釈然としない表情で行ってしまった。

これから素敵なライブが始まろうというのに、嫌な気分にさせてしまったと思い、
あとからめっちゃ反省した。些細なことかもしれないけどさ。
なんだか気になってしょうがない^^; この人間の小ささ。

この場を借りてお詫びします。すみませんでした!




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会場には大勢の若者が詰めかけていた。
主役がジーザスであるのを除けば、普通のライブと変わらない。

始まりの時間が来て、最初のアーティスト、横山大輔さんが歌い始める。
着物姿が、この人にはこれしかないというほどしっくりきている。

声も力強い。遠くまで届く声だ。



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続いて、ジーザスを伝えるための、
ミニコント風スキットを挟んで…、


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2人目のアーティスト、Michiさんの登場。
いきなりの「アメージング・グレイス」で驚かされる。

歌声はソウルフルなのに、MCは気配りに溢れていて、
そこがまた良かった^^



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3組目、最後に登場したのはナイト de ライト。
昨日の聖会でワーシップリーダーを務めたみちや君が、ドラマー。
とにかく4人とも演奏上手くて、疾走感のある曲調で、
会場の子たちもはねまくっていた!


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3組の演奏がすべて終わり、ステージにタカさんが立つ。

そして、ゴスペルを語る。

あなたは、意味なく偶然に生まれてきたわけじゃない。
あなたを、創られた方がいる。神様。

そして、神は、あなたを愛している。

キリスト教を信じてほしいとか、そういうことじゃない。
まず、神を知ってほしい。

あなたを愛している、神のことを。


そこには「宗教」を感じさせるものは、何もなかった。
こけおどしも、うさんくささも、恐れにつけんだ脅しも、なかった。

ただ、タカさんの口を通して、神様が流れていた。

それが、どういう形でそれぞれの心で芽吹くかはわからない。
けれど、確実に種は蒔かれたはずだ。

最後に、出演者全員で「君は愛されるため生まれた人」を歌ってくれ、

それからいつもチャーチで歌っているアッパーな賛美で、
クリ、ノンクリ関係なしに踊りまくった。

いや、すごい集会だった。
こういう、洗練された伝道もあるんだと思った。
とにかく自然体で、気負っていない。
もちろん見えないところでのスタッフさんの必死の頑張りはあるわけだが、
それを押し出していないから、知らない人でも入りやすい。

グロ関係者の皆さん、本当にありがとう!
まじでお疲れ様でした!

そして彼らを通して働かれた主の業を、
僕ははっきり見せてもらいました。

僕にできるのは、こうして見たもの聴いたものを書きつけることぐらいです。

本当に、ありがとうございました^^



自動書記状態なので長くなりました^^;読んでくれて感謝!

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【おまけ】


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ホテル8階からの眺め。



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ブログ読者のケイゴくんと。



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釧路のベーシスト・リョウ(男前)とケイゴくん(男前)。





写真満載、グロミッションのレポートです!
行って、良かったよ^^


札幌の地で。

ジーザスにどこまでもまっすぐな、たくさんの若者を見た。
それぞれのギフトが存分に活かされた集会に出られた。
ホーリースピリットの働きを目のあたりにした。
クリスチャンブログの仲間にも、実際に会えた。

僕にできることはほとんど何もなかったけれど。

神様が、流れにのせてくれた。
神様が、近くなった気がする。


めっちゃ感謝して報告します。




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8時半、高速バスで札幌へ向かう。
5月に行った時のような、緊張はあんまりない。

少しずつ、少しずつ、動くことに慣れていく。


12時半、札幌駅前到着。
宿泊先を何にも決めずに出てきてしまったので、まずはホテル探しから。
駅前はあっけなく全滅。ショルダーバッグの重みが増した気がする。

祈りながらしばし歩くと、電話ボックスが見えてくる。
駆け込んで電話帳からホテルを探し、
2つめにかけたところで空き部屋発見!

15分ばかり歩いて、ホテルに荷物を預け、また駅へと戻る。

目指すは聖会の行われるCFNJ聖書学院だ。
メモしてきた駅で降りれば、とても大都会とは思えないような住宅街が広がる。
「歩いて行けんのかなあ…」と周りをうろつくも、目印になるもの何もなし^^;
ぽてーんと立ち尽くして、思った。

どうしよう~~、主よぉぉおぉ!

また祈った。しばらくしてやってきたタクシーを捕まえる。
聖書学院の住所を告げると、
「駅から歩いてなんてとんでもない。遠いよ。
バスで来たら良かったのに」と言われる。
タクシーの運転手さんからバスを勧められる、この事態(笑)

ようやく到着した。聖書学院に入り、受付している最中、
少し向うを歩いていたのは…なんとツトムだった。
顔をあわせるのは初めて。軽く会釈する。
向こうはまだ僕が誰か分からない様子。
そしてツトムは会堂へと入っていく。


後へ続くと、すごい人数だ。
栄光教会のヒカル、そして釧路のユースたちといった、
見知った顔もちらほら見える。
ステージでは、若い女の子が証をしている。

垂れ下った「力」の垂れ幕が目をうった。


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釧路の女の子2人のユニット、dropの賛美、
そしてまた証と続き、
メッセージは大阪から来てくれたtaku牧師だ。
ステージを動きまくって、熱いメッセージを聴かせてくれる。



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若干24歳の若きパスターで、彼の教会メンバーは高校生が大部分を占めるんだって。
すごくない?高校生だけって。

ジーザスは多くの奇跡・御業を行ったけれど、
その業の前に、しっかりと静まる時間を持ち、
父なる神様から”力”を受け取っていた。

力は、何のために与えられるのか。
それは、自分のための力じゃない。
神様の国を広げるために、ゴスペルをたくさんの人に分かち合うために、
くださる力なんだ。

ジーザスは、それを最大限に有効活用した。

taku先生の話の中で、もう一つ心動いたのは、
あるお婆ちゃんの話だ。

牧師になる前、taku先生はデイサービスで働いていた。
その利用者さんの中に、クリスチャンのお婆ちゃんがいたんだそうだ。
1年ほど前に、神様を信じるようになった人。

身体は不治の病に冒されており、施設に来ても、寝ていることの方が多かった。
周りの人々が検査を勧めても、お婆ちゃんは頑なにそれを断わり、
日曜には教会へ行き続けた。

…あるとき、taku先生はお婆ちゃんに呼ばれた。
「兄ちゃん、そこ座り。どうしても、言うとかなあかんこと、あんねん」
方言は正確かわかんないけど^^;
そんな調子で、お婆ちゃんはtaku先生にゴスペルを語ったんだそうだ。

それからしばらくして、お婆ちゃんは亡くなった。

本当に命をかけて、神様を知らない人へ、それを伝えようとしたんだ。



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メッセージの後、ステージに出てきた男の子を見てぶったまげる。
…タスクじゃん!!う、動いてる。賛美してる。

あまりの衝撃に、撮った写真もぶれてたよ(笑)

こうして聖会の第一部が終わり。

ただ、賛美中、皆少し気後れがあったのか、ちょっとおずおずした感じがあった。

そこを見逃さなかったのが、グロの賛美リーダー・タカさんだ。
すかさずステージへ出て、アッパーな賛美をし、皆に火をつける。
「神様求めていきましょうよ!」

さすがはカリスマ。これで不思議な一体感が生まれる。

休み時間、ツトムやタスクに挨拶できた。にっちも合流。
みかちゃんにも会えた。

今日、お爺ちゃんとお婆ちゃんがジーザスを受け入れたと聞いてぶったまげ!
良かったね!!ハレルヤ!!


さて、会場の皆が打ちとけられるようなゲームの後、
2部が始まる。賛美リードはグロのドラマー・みちや君。

皆、両手を上げ、ジャンプしながら熱く賛美を捧げる。


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メッセンジャーは天野先生。この人のインパクトはものすごかった!
すぐにレッドカーペット出れると思った(笑)そっちかい^^

ジョークを織り交ぜながら機関銃のごとくに神様の言葉を乱射する。
皆、げらげら笑いながら、胸打たれている。

メッセージの中心は「ホーリースピリット」だった。
その力を求めることが全ての原動力になる。
これ、まさに最近の僕の課題なんだ。
頭じゃなく、心で神様感じたい。
言葉だけじゃなく、動きたい。

聴き入ってしまった。

十字架にジーザスがかけられたとき、
弟子は1人残らず師を見捨てた。
そんなへなちょこな人たちが、復活したジーザスに出会い、
かつホーリースピリットの力を受け入れたとき、
まじで戦士に変わった。
死をもいとわない勇者に。



それから先生は、アフリカで行われた大規模な集会のDVDも見せてくれた。
どこまでもどこまでも、人の波だ。カメラが横にずううっとパンしてんの。
でも途切れない。大群衆が。

世界ではこんなことが起きていたんだね~。
神様…すごいじゃん!ほんとに。

だからうなだれる場合じゃないんだ。



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メッセージの後、聖会の締めにまた賛美する。
最後なんで僕もカメラを置いてはねまくる!

本当に盛り上がるんだ。不思議だけど。
笑顔で集会は終了。

後片付けや何かをしている最中、若い男の子に声をかけられる。
何と、このブログの読者の方だった。ケイゴくんにささぐくん、ありがとね~~~!

信じられないっすよ。わざわざ声かけてくれるなんて。



10時撤収。
にっちの教会の方に、地下鉄駅まで車に乗せてもらい、
1日目終了。車内で、日米ハーフのノアくんとも知り合う。嬉しかった^^


2日目はさらに伝えたいこといっぱいです。


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ランキング復活しました。やっぱり少しでもたくさん、読んでくれる方の目に留ってほしいので^^

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ついさっき、札幌から帰ってきたよ。

…迷ったけど、行って良かった!
街の中で1月分は歩き、教会で半年分、泣きました。

レポートはまた後にするとして、
まずはお土産の写真を一枚。

じゃん。

19日の聖会で、クリブロ北海道勢が集結したよ~!



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(右から、みかちゃん、タスク、ツトム、にっち、おいら)




とうとう皆に会えた~~^^
にっち以外は初対面。でも全然そんな感じしないなあ。




ということで、レポートお楽しみに~。
いよいよ明日、札幌へ行く。

こないだの5月14日、誕生日のすぐ次の日に、
クリスチャンブロガー・にっちに会いに行って以来だ。

今度の目的は、GROWING UP MISSON 2008 『力』。

3日間にわたり、聖会、伝道ライブ、交流を深めるためのお祭り、
と盛りだくさんな内容でお届けする一大イベントだ。

詳しくは、にっちのブログで紹介されてるよ!

実は今週頭まで、行こうか行くまいか、迷った。
ほら、いろいろと迷いの中で考えている時期だったから、
今の自分に、この熱さは刺激が強すぎる、とか思って(笑)

でも、行く。行くことにした。
にっちもメールで背中を押してくれた。
急に決めたので、
それぞれのイベント会場とか、宿泊先だとか、
あんまりはっきりしてないんだけど^^;
信じて、行ってみるよ。

それに、神様が後押ししてくれた。

…臨時収入が、あったんだ。

ちょうど、高速バスと宿泊代くらいは賄えそうな額で。
これはもう、ゴーサインとしか言いようがないよ。

明日からの3日間、何が待っているのか。
楽しみでもあり、どきどきでもあり、です。

またレポートするので、お楽しみに~~!
行ってきます!

佐藤初女さん。現在、87歳。
青森の弘前に、「森のイスキア」という施設をつくり、
そこに集う、心疲れた人や悩む人々に食事を提供し、
静かに寄り添うという活動をされている方だ。

その働きを通して多くの人が、自分を見つめ直し、息を吹き返して、
新しい人生へ向かって、歩み出せている。

彼女が心をこめて握ったおにぎりを食べて、
自殺を思いとどまった人さえいるという。
おにぎりだよ、おにぎり。驚く。


最近、マザー・テレサの本と並んで、
初女さん(そう呼びたくなる人柄なんです)の本もたくさん読んでいた。

信仰を行いにシフトするための、
神様のやり方で他者に接するための、気づきに満ちていた。
あとは生きていくうえでの心がまえも。

その数々の言葉の中で、今の僕に必要だったのは、
「芯が通っていれば、揺れてもいい」というもの。

初女さんは、信念に満ちて行動しているように見えていた。
彼女ほどの方でも、揺れることがあるんだという驚きと共に、
揺れながら芯がますます成長していくと知って、なんだか安心できたんだ。

著作『心咲かせて』からの抜粋。

『みんな、いま揺れているんですよね。私自身も揺れているんです。
あるとき、尊敬する先生に、「私、揺れるんですよね」っていったら、
「ああ、揺れてもいいですよ」って仰ったんですよ。「大揺れに揺れるんですよ」
って言ったら、「大揺れに揺れても、一本、芯が通っているからいいですよ」
と仰ったから、じゃあ芯がある人にならなきゃだめだな、と思いながら、
また揺れているんです(以下略)』


…その後、初女さんはある取材の撮影の際、
強い風に吹かれた白樺の木を見る。
枝と葉は、ものすごく揺れていた。
でも、幹だけは、毅然としていたんだって。

「あの時の、先生の言葉はこういうことだったんだ」
そう、腑におちたという。



僕らがどれほど揺れても、幹=ジーザスという芯は揺るぎない。

強い風に揺らされて、試されるからこそ、信じる心はタフに成長していく。
そう思うと、とても勇気づけられる。

これ以外にも、胸を打つ言葉の宝庫なので、
よかったら初女さんの本、読んでみてね~。


あ…もちろんバイブルも忘れてないッスからね(笑)
お休みの間に、言いたいことがずいぶん溜まっていたみたいだ。
どんどん、出てくるね。

ちょっと遠出して。
ひっそりと「ただいま」を言いに帰ってきたら、
何人かの人が「おかえり」と迎えてくれて、僕は単純に嬉しい。
クリスチャン…優しいなあ^^





しばらく前、ランキングから離れてみたのには、
いくつか理由がある。今日はそれを書いてみます。


1つは、良い証を分かち合えなくなっていたからだ。

このブログは、ジーザスから受ける恵みを、流したくて始めた。
宗教ではない、生きた神様が、
僕らをめちゃめちゃ愛してくれている。
そのことを。とにかく。

けれど最近は、教会の活動や生活の中で、
迷いの方が、強くなっていたんだ。

確かに、ブログを書いていくうえで、たくさんの気づきは与えられた。
できる限り、文章の中でシェアしてきたつもりだ。

ただ、ある時、はたと思った。
その気づいたことを、自分はどれだけ行いにできているんだろう。

言葉だけなら、きれいごとで終わる。
本当に他の人の心に、受けたものを流そうと願うなら、
行動が伴わないと嘘になってしまう。

説得力、ないじゃん。
言葉と、行いとの間で、僕は引き裂かれそうになった。

それで文章が、書けなかったんだ。

もちろん、神様が与えてくださる全てを行いの中に取り入れることなんかできない。
僕たちは決して完ぺきではないし、神様自身がそんなことは分かって下さっている。

でも、どこか口だけになってしまっているな俺…。
想いはぐるぐるまわる。



もう1つ、あえてランキングから離れようと思った理由。
それは「人からの評価」を気にしだしていたから。

幸いなことにランキング離脱前、このささやかなブログにも、何十人か読者の方がいた。
嬉しい反面、どこかでおもねりが混じりはじめたんだよね^^;

等身大の自分をさらけ出すことより、
”ジーザスと日々しっかり結びついて生きてる僕”を演出しなくてはならないような、
妙なことになってきた。

それは、しっかり心に届けるために形を整えるという範ちゅうを超えていた。


実際の僕は、弱い。揺れる。

悩む。迷う。疑う。

神様を知ろうとすればするほどに。

バイブル開けない、祈れない、そんな時もある。
したいことと、できることの狭間で、苦しむ。
もともとの性格と、成熟との間で、葛藤する。
振り切れない見栄の真ん中にいる。

その姿を、そのまま見せることにも、もちろん意味がある。

でも、大々的に公開して、
神様を知らない人に、神様を誤解させてしまうとしたら?
恵みを分かち合うのと逆の結果になってしまったら?

「うーむ」と、エレミヤ君は、また悩んだわけです(笑)



…結論として、ランキングはいったん離れてみた。

そして、こんな風に自由に、想いと文章を解き放ってみることにした。

今は、この方がいいのかもしれない。

これが、僕だから。

きれいごとばっかり言っているんだけどさ、
少しでも、これからは行いに繋げようと、思ってる、今の僕。

迷うくらいなら…どんなことでもいいから、動こう。

結局それが、「ただいま」の理由なんだろうな。

最近読んでいたマザー・テレサの本に出てきた詩。
とても心に残ったので、書きうつしておくね。

つまりこれが、ジーザスの愛であり、
愛をあらわすための方法なんだと思う。




「それでも」


人々は、理性を失い、非論理的で自己中心的です。
  それでも彼らを愛しなさい
もし、いいことをすれば、人々は自分勝手だとか
何か隠された動機があるはずだ、と非難します。
  それでもいい行いをしなさい
もしあなたが成功すれば、不実な友と、
ほんとうの敵を得てしまうことでしょう。
  それでも成功しなさい
あなたがしたいい行いは、明日には忘れ去られます。
  それでもいい行いをしなさい
誠実さと親しみやすさはあなたを容易に傷つけます。
  それでも、誠実で親しみやすくありなさい
あなたが歳月を費やした建物が、一晩で
壊されてしまうことになるかもしれません。
  それでも建てなさい
ほんとうに助けが必要な人々ですが、彼らを助けたら
彼らに襲われてしまうかもしれません。
  それでも彼らを助けなさい
持っている一番いいものを分け与えると、
自分はひどい目にあうかもしれません。
  それでも、一番いいものを分け与えなさい


(カルカッタの”孤児の家”の壁に書かれた言葉)



ジーザスのやり方はどこまでも果てしない。
見返りを得られない虚しさもなければ、
誰かに良く思われたいという見栄もない。

ただ、ひたすら愛し続ける。

僕なんか、ちょっとでも手を伸ばして
それが拒絶されようものなら、
「もういいや!」なんて、すぐに諦めてしまう。
大違いだ。

この詩で語られることを、いくつこれからの行いに盛り込めるかを思えば、
気が遠くなってしまうけれど。

ジーザスの愛し方を知ることには、大きな意味があるよね。

全ての人が、そのひたむきな愛の対象になっているのも、
すごすぎる話だ。逆に信じにくくなってしまうほど(笑)

僕らが自己中心的でいるときにも、ジーザスから離れてしまっている時にも、
ジーザスは手を放さないでいてくれる。

それでも。


今日まで。
ちょっと、足を止めていた。
(なんだか定期的に足が止まってる気もするけど・笑)

よくよく考えた結果、
ブログランキングからいったん離れ、
教会の活動からも少しお休みをもらって、
神様との関係を捉えなおしていた。

身勝手とは知りつつも、どうしても、そうしたかった。

決して、神様から離れてしまったわけではないんだ。


賛美集会の後、新しいチャレンジの連続で、
エネルギーが尽き果てていた。
集会を委ねたつもりだったけれど、
どこかでまだ、自分の力でやろうとしてたんだろう。

正直に書こう。

実は集会の途中、新しく来てくれた人達が数名、揃って席を立ち帰ってしまったんだ。
それが何だか、すごく心に響いてしまった。
勿論、ただ何か用事があったのかもしれない。それぞれ、事情ってあるからね。

でも、肝心の洋光台の賛美の前で、一番伝えたい人たちに
ゴスペルを伝えられなかったのは、なんだか見限られたようで、つらかった。
そこまでの流れで、どこかで自分と関係ない
”宗教”を感じさせてしまったのかなあ…、と余計なことまで思って。

いろんなプレッシャーの中、ユースそれぞれが頑張ってきたのに、そう思って。

そこからちょっと、歩みが止まった。
僕の性格はめっちゃやっかいなところがあり、
些細なきっかけで気持が戸棚の中に入ってしまう。

わかっちゃいるけど止められね~~。

今までの時期、仕事終わって家に戻り、
いろんなことを考えていたんだ。

宗教を通り越した、ジーザスの本質を、どうしたら知らない人に届けられるのか。

この、へたれの僕が。

で、バイブルは勿論のこと、2人の素晴しいクリスチャン女性の本から、
多くのことを学べたんだ。これは本当に大きかったよ。

1人はマザー・テレサ。もう1人は、佐藤初女さん

どちらもカトリックの信仰を持つ、高齢の女性。
スラムの貧しい人々や、心疲れた人々に、それぞれのやり方で仕えている。
「行い」で、態度で、立ち振る舞いで人の心に神様届かせているんだ。

まじでこの2人はすごい。尊敬する。
難しいことは何も言っていない。とにかく、やる。

それをきっかけに、心の霧が晴れてきたもの。

身近なところからで、良かったんだ。
例えば僕なら、デイサービスの利用者さんに、仕える気持で接するとか。
人を悪く言わないで、なるべくありのままの姿を見るように努めるとか。
そうやって実地で、ジーザスとお付き合いしていくしかない。


この時期を過ごしてみて思った。
神様との関わり方って、本当に人それぞれだ。

僕は不器用きわまりなくて、感情的で、すぐに引きこもり、
熱しやすく冷めやすい。ぽんこつといえばぽんこつ(笑)。

でも…それを神様はとっくに見越している。
わかったうえで、神様がさせようとしていることを、僕に与えてくれているはずだ。
そうだった。それを忘れてた。

たくさんの繋がりを持てたり、たくさんの気づきが得られたり、
賜物を存分に発揮している仲間の姿にも、
最近、どこか委縮しちゃうところがあったけれど。

他の人のプレゼントを、指くわえて見ていても、仕方ない。
それもまた、神様の業だよね。

…自分にできるとこから、とにかく動こう。
また、些細なことで凹むときがくるとしても。

それが今、じりじりと昇っているらせん階段の踊り場で、考えていること。



そんなこんなで帰ってきました。また、よろしくです!

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遅れに遅れた7月の塗り絵カレンダー。
こんなん出ましたけど。

後ろの花みたいな連中が、
奈良の遷都1300年記念キャラクター、
「まんとくん」のパクりっぽいことに、今気づいた^^;

デイで休み時間、カリカリとボールペンを走らせていると、
横目で絵を見た先輩から、「あなたの頭ん中どうなってんの?」と言われる。
どうなってるんでしょう(笑)

毎月イラスト描くたびごとに、何かしら課題が出てくるね。

今回は苦手な”遠近感”に挑戦しようと思い、
奥行きのある花を描こうとするもなーんか平面。

これをきちんと、前後に見えるように描ける人がいるってのがすごいね~。
尊敬する。

それぞれうまくはなくても、
自分なりにイラストや、ドラムや、写真や文章を追及していこう。

それが神様がくれた贈り物なら、どんどん開けていきたい。




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