Hold Me Jesus 2

北海道在住のジーザスフォロワー・taikaのブログ。CFNJ聖書学院にて研がれる日々。

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昨日に引き続いて、10年くらい前にカラーコピーで手作りしたポートフォリオからの抜粋をするね。

今回は”人物編”です。

人を撮るのはめっちゃ難しい。何しろ動くから(笑)表情やしぐさも一瞬にして移り変わるし。「あ~、その一拍前の瞬間が良かったのに!」なんてことはしょっちゅうだ。だからクラスメイトを撮らせてもらう機会があった時は、その人を風景に配置して、絵を描くように撮影していた覚えがある。そんな、いわゆるカメラマンさんみたいに、掛け合いのおしゃべりで相手の気をほぐして撮るなんてできなかったからさ。

…かといって自分のイメージの中に人を押し込めていたわけじゃない。とにかく「その人」を残したかった。僕が感じたその人の風情や勢いや感情を、形にしておきたかった。試みがうまくいっているかはわからないけれど。

今はデイでお年寄りの顔を撮らせてもらうことが多い。昨日のお祭りイベントの為に、前から撮りためていた全部の利用者さんのポートレイトを集めて、看板をつくったんだけど、みんな良い笑顔なんだよね~。これは僕の腕じゃなくて、そもそも。

そんなデイの楽しさだとか、なかなか言葉にならないものを、見える形にしていきたいと、願っている。

露出だとか被写界深度だとか、いまいち、わからない。技術だけで言ったら、ただシャッター押してるだけ、みたいなところがある(笑)。だからせめて想いは伝わるように、これからもその場所や人の気配を追っていくつもり。すごく個人的なテーマです。

なんて、偉そうに言ってますが、まずは大事にシャッター切っていかないとね!




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今日は朝からデイでお祭りイベントがあった。これも職員一同ぶったおれそうな勢いで準備してきたんだ。そこでも証があるので、次回また紹介するけれど、今回は写真の話。最近、ずいぶん写真づいている。

夕方、家に帰ってきて、ちょっと探し物があり地下室へと降りた。段ボールを開けてまわるも目当てのものは見当たらず。その代わり、驚くようなものを見つけて、思わず声を上げてしまった。




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こんなん出ましたけど!



10年くらい前につくった、ポートフォリオだ。
手紙」のエントリーでも書いたように、当時の僕は何とか表現者への道を進みたいと願っていた。一浪して美大にもぐり込んだのは良いものの、周りのクラスメイトがすごい才能に満ちているような気がして、委縮してしまったんだ。そうして学校へも行ったり行かなかったりの状態に陥り、結局3年で中退してしまうことになる。

学校に行っていた頃も、そもそもの自信がないわけだから、評価を受けざるを得ない課題には、あんまり取り組んでいなかった。でも機会があれば周りのクラスメイトや風景にカメラを向けていた。それを誰に言われるでもなく、ポートフォリオ(写真集)の形に、勝手にまとめていた。ボール紙と、スティックのりと、カラーコピーした写真を駆使して。本が大好きだったから、撮った写真が活きるように並べるものも楽しかった。”自分の本”ができるたびにわくわくしていた。特に、たくさんの人には見せなかったし、製本のスキルも無かったから、本としてはお粗末だったけれどね。

久しぶりに10年近く前の写真をじっくり見た。けっこう、ひとつひとつを覚えている。よほどポートフォリオが嬉しかったんだね。何かを写真の形で表現したくて、でも及び腰だったあの頃が、胸に蘇ってきた。それなりに必死だったんだ。

…せっかくだから、復刻版をアップするね。写真を写真に撮りました。ベッドに広げて(笑)
前編は風景を集めました。

よかったら見てやってくださいまし^^





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結婚。まだ全然、リアルに感じられない。自分が好きになった人が、自分のことを好いてくれるなんていう夢みたいな話があるんだろうか…と小学生のような印象さえ抱いている。だったらこんなテーマで書くなよって突っ込みはともかく、なんだか、結婚について考えてみたくなったんだ。


今まで生きてきた中で、何人かの女性とお付き合いした経験はある。でもそれは突き詰めて考えれば、ただの”肉欲”だったんだと思う。とんだオオカミ男でした^^;すいまめん。あとは単純に、誰かと繋がって安心したかったんだろうな。そんな身勝手さだから勿論関わりはうまく運ばなかったし、相手の女性を毎回、傷つける結果となってしまった。僕は間違っていた。

ミソジストにして独身の今、新たな気持でクリスチャンにとっての結婚について知ろうとしている。既婚者の友人のブログや、三浦光世・綾子夫妻の生き方、バイブルや本を通して少しずつ学んでいる。憧れをかきたてられるのと同時に、その責任を感じる。飽きたらポイ、ってわけにはいかんのよ。これが。いやクリスチャンに限ったことではないだろうけど。

自分を満たすことより、相手に献身する。これがクリスチャン同士の結婚の重要ポイントみたいだ。あとはやはり2人を繋ぐ共通の神様を第一にする。神様から見たら、結婚をした2人は「ひとつとなっている」わけで、夫婦って、本当に一丸となって主に向き合っていく共同体なんだね。

他の誰でもない、大切な相手との性の歓びだってあるだろうし、互いを見捨てず支えあえるのも嬉しいことだろう。何といっても人は一人では生きていけないから。「私」は「あなた」を求めるものだから。

そりゃ夢みたいなことだけではなく、いろいろ現実的な困難もあるだろうけれど、誰かと人生を分かち合えるのって、めっちゃ素敵だと思う。思えてきた(笑)

そんな素晴らしい結婚。ではなぜ、僕は積極的にパートナーを求めないのか?

…遠くにいる異性に好意を抱くことが多いからだ。物理的に、身近にいない人に。

ここでぶっちゃける。実は最近また、手の届かない人に想いを寄せ始めていた。遠くで一度会っただけの人。なのになんだかとても気にかかるんだ。
でも、それがどこか現実的でないのは、結局、自分の中だけで想いが完結してしまっているからだ。独り相撲で甘い感情の起伏だけを味わいたがっているというか、相手本人の息づかいが、ない(まあ、相手を知るすべもほとんどないんだけれどさ)。

しばらく祈っているうちに、その身勝手さに気づいた。で、その人のことは諦めなくてはならないと静かに思っている。いざという時に傷つかないように、距離のある人を好きになっているような気もして、その保険めいた考えにも自分自身、納得いかないから。それは神様の示す愛とは違うよね。

けっこうフクザツな男心です(笑)


でも最初の人・アダムでさえ、生涯独身ではなかったんだから、まだまだチャンスも希望もあると信じてる。まずは神様との関係をしっかり築いていくつもりだよ。まあそのうえで、一生独身かもしれないけど、準備はしとく。パートナーを真剣に求めるのは、それから、かなあ。


結婚してる人も、これからの人も。あなたが求めている形って、どんなものですか?



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【おまけ】デイの利用者さんが、イラスト塗り絵に色づけしてくれました。嬉しい!!




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なぜ僕は写真を撮るのだろう?例えば雑誌に載るような作品の質ではないし、ただの趣味の範囲なのに。技術だって、全く手の内になっていない。

それは、神様がくれた光景と時間を、形として留めておきたいからだと思うんだ。

カメラを抱えて道を歩いていると、何でもない風景が、他の風景と違うように見えるときがある。それは光の加減だったり、並んだ花の偶然の配列だったり、水が描き出す波紋や、誰かの笑い顔だったりする。そこで感じる「好き」としか言いようのない個人的な気持は、毎回不思議でしかたがないけれど、想いを向けた相手と僕との目に見えない対話の中で、シャッターを切っている。

それを、他の人が見て、どう感じるのか。わからない。でも、無性に分かち合いたいんだ。神様が創った世界は、こんなに細かいところまで素敵にできていると。

これを書きながら思った。僕が撮りたいのは「気づき」だ。
僕らが当たり前に流してしまっているものの内側には、案外、知らなかった事柄が含まれてる。
それを切り出していきたいんだろう。きっと。

そして写真には撮った人の「想い」が写る。
残しておきたいんだろう。きっと。

思いがけず、ありと写真展ができる方向に進んでいる。展示する写真を選ぶ基準は、これだなあ。何でもなさそうな物事に含まれた、新しさ。想い。大きなことを言うようですけど(笑)

何だか、どんどん、楽しみになってきたよ。


ではおやすみなさい!次回は”結婚”について考えようと思います(って、全く予定はないんだけどね^^;)


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記念すべきブログ100エントリー目に、神様がでっかいプレゼントをしてくれた。
ええと、写真&イラスト展、何か、実現しそうです!
ゆ、夢のようだ…。


思い起こせば5月、にっちに会いに行った札幌行きが事の始まりだ。
にっちがそのことをブログに書いてくれて、それを見た中学時代のクラスメイト”あり”と再び繋がることができた。ありも僕も趣味で写真を撮っていて、カメラの話題に花が咲き、それじゃあ図書館の一角にある市民ギャラリーで2人展でもしたいね~、などと話合ってから数か月…。

しかし甘く見ていたのは、ギャラリーの競争率だった。月始めには即座に予定の埋まる人気ぶり。
ありも奔走してくれて、ようやく取れた期間は11月の、それも2日間のみ。
「それでも人に見せる練習がてら、展示できたらいいよね~」と、僕らはのんびり写真でも撮り、選んでいこうと思っていた。

今日の仕事終りに、月末の秋祭りの準備をしていたら、携帯が鳴った。
誰かと思えば、数か月前に知り合った、地元ボランティアグループのリーダー・島さんだ。
彼女は「あんだんて」というグループを率いて、イベントや公演など多岐にわたって活動されている。ものすごいパワフルな人だ。話は「久し振りだからちょっと会わない?いまちょうど姉のお店にいるんだ~」。

島さんのお姉さんは、市内で喫茶店&バーを経営されている。今日、火曜日は定休日だけれど、島さんが晩になじみの知り合いと集う場にしているようだ。
一瞬、ヒトミシラーの血が騒いで緊張したけれど、このタイミングは何かあると感じた。それで晩御飯を食べ、自転車でお店に向かう。店の名前は「じゅの」という。

店には島さん、若い方々、そして消しゴム版画作家をされているYさんが集っている。ここでしばらく話をしているうちに、展示の話題が広がっていったわけだ。というのも、「じゅの」では店内の全壁面をギャラリーとして希望者に開放しているんだそうで、絵を描いたりする島さんも、ご自分の作品を展示したこともあるのだそうだ。まじっすか。

島さんが言う。「で、10月さ、ひと月まるまる空いてるんだけど、何か展示してみる?」その言葉に、まじで「主よ~~~~!!」と思った。たった2日でいいはずだった展示が、いきなりひと月…。しかも版画作家のYさんは、ハンディを持った方が作品を見せる機会があったときの、アートボランティアをされているそうで、フレームのことなど、いろいろアドバイスもしてくれるとのこと。

なんすかこれは!?本当にすごすぎる。僕は何にも努力してないよ^^;
島さんからの電話だって、いきなりだったんだよ?

Yさんから頂いた名刺が、明日の朝葉っぱに変わってないのを祈るばかりです(笑)

もちろん、浮かれた自分の一存では決められないので、も一度、ありと話合う必要はあるけれど、これは大きな機会だよね~。願わくば、級友同士の2人展が、店に集ういろんな人にゆっくり見てもらえたら嬉しい。

いや、本決まりになってないのに、先走って書いてしまったなあ。あり…すいまめん^^;なにせ嬉しくてさあ~。

でもこれ、どう考えても驚く話だよなあ~。個人的には。

神様、ありがとう!!





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さて、昨日の有賀先生の修養会なんだけれど、これが2時間たっぷり、尻尾まで餡子の詰まった内容だった。全部はまとめきれないので、心に響いたところを分かち合うね~。




【まずは教会と世の中について】

もちろん全ての教会がそうではないけれど、一般に、「教会」の敷居ってけっこう高い。僕も韓国で初めて足を運んだ時、「や、やられる…」とおっかなびっくりだった(何をだ?)。残念だけど、あなたはあなた、私は私っていう具合に、教会と世の中が分離してしまっているんだよね。
教会は、手をこまねいているわけじゃない。何とか世の中と接点を持つべく、いろいろな活動を通してイエス様を伝えようとしている。ゴスペルや英語の教室、バイブルスタディー、カウンセリング、…。そうして、足がかりをつくっているんだ。
有賀先生の考えは、もう一歩先へ進む。教会が、地域社会へ浸透するんだ。おのおのが、日曜日だけしゃっきりとクリスチャンになるんじゃなくて、ライフスタイルとして根づいた信仰を、普段の生活の中で示していく。そしてインパクトを与える。「あの人はこんなにストレスフルな状況なのに、どうして凹まないんだろう」とかね。

【で、その受け皿になるのが、細胞(セル)、小さなグループ】


この話が出てきたとき、驚いたよ~。まさに僕が昔から思っていたことだったから。前から、もっと取っつきやすく、イエス様を分かち合える場所を探していた。教会がデパートだとしたら、ウインドショッピングができるような、近づきやすい場所。それがセルグループだと思うんだよね。例えば家で、マクドナルドで、スターバックスで…、何人かが集まり聖書を学んで、祈る。心の深い想いを分かち合う。そういう生きた、身近なクリスチャンの姿に触れてもらえたら、いかにも宗教なイメージは、薄れてくるのかもしれないじゃん。とにかく、近づきやすく。有賀先生が語る教会の方程式は、「祭典(礼拝)+会衆+細胞=教会」なんだって。やはり一個一個の細胞が活き活きしていてこそ、それが集まった有機体としての教会も、元気になってくると思う。

【イエス様を、どう伝えるか?】

これもためになったよ~。有賀先生はあっさりと、学びは少しでいい、たくさん実践しようと話される。”購い”がどうのとか難しい宗教用語は抜きにして、変えられた自分自身を見せていこう。一緒に御飯でも食べながら、飾らない言葉で、自分が変えられた話をしよう。僕らはそれを1人でするわけじゃない。目に見える仲間もいるし、イエス様ご自身が喜んで手伝ってくださる。

曖昧な表現や他の人への攻撃、ただのお説教にならないように注意しながら、イエス様を分かち合おう。

【訓練の方法】

例えば上に挙げた伝道にしても、始めから誰もができるとは限らない。訓練が必要だ。その方法も、先生によると、「現場」でするのが一番なんだそうだ。痛快っすね!できる人がしていることを、横についてじっくり見る。おおかたの流れが飲み込めたら、少しだけ関わらせてもらう。それぞれに与えられたスキルはあるわけだけど、でもそうやって肌で自分のものにしていく。車の運転と同じだ。教本だけ読んで運転できるようになるかといったら、そんなことはないわけで、やはり先生に横に乗ってもらって、自分がハンドル握るよね。習うより慣れろ。これです。


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何度も言うけど、目が合ってます^^;


…先生の語り口はもう抱腹絶倒で、会衆一同げらげら笑いながら話を聞いていた。でも中身をこうして少しながらまとめてみると、伝道生活50年の叡智というかさ、実践に実践を繰り返して磨き上げた方法が詰まっている。先生にしかできないこと、ではなく、僕らも取り組もうと思えばできそうなことだ。
教会という場所が、従来のイメージに絡めとられずに、地域に浸透していけるような、もっと自由になれるような、そんな気持になったよ。

クリスチャンって生き方、なかなか良いよね…そう思ってもらえるように、憧れを掻き立てられるように、歩みたいっす(道遠し)。




※尊敬する友人・にっちが、家庭という場所から世の中に浸みていこうと活動開始!ミニストリーの名前は「ミソジスト」。30代、三十路のクリスチャンを中心に、アットホームな雰囲気でイエス様を分かち合う集まりになりそう。住む場所は違えど、わたくしtaikaはこの考えを全面的に支持いたします(笑)許可をもらえたら帯広支部をつくっちゃいたい!なんてね。



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小雨の降る中、栄光教会へ向かう。自転車には乗らずに、ゆっくりと、カメラを抱えて歩く。歩くとなぜか、写真を撮りたくなる。風景が目に入る速さが、ちょうどいいのかもしれないね。

夏の終わりのひまわりや、水たまりや、一風変わった建物の前で足を止める。
教会には少々遅刻(笑)




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この教会では行くたびにいろんなイベントが行われている気がする。昨日、今日とは修養会だ。ゲストスピーカーは有賀喜一先生。伝道生活50年を迎えるそうだ。礼拝でも、その後のセミナーでも熱いメッセージ(一部漫談付き^^)を届けてくださったので、明日にでもまとめておすそ分けしたいと思います。先生直筆のレジュメがまた、深いんだわ~。



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年齢を全く感じさせない有賀先生


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目が合いました(笑)


そして礼拝後、ヒカルの彼女・ayaさんにとうとうご挨拶が叶う。彼女が書いてるブログ「かみさまといっしょ」は毎回考えさせられるエントリーが多くてお薦めだよ。前の札幌「心音ライブ」ですれ違ってしまったので、会えて嬉しかった~。しかし初めて顔を合わせたクリスチャンブロガーの皆が、口をそろえて「全然初対面な感じしない!」と言っているけれど、まさにそうだ。神様ファミリーの不思議だよね、ほんと。

修養会が終わり、皆は交流も含めてバーベキューへ。用事があったので、僕は先に帰った。

夕暮れ、なんだか最近急に寒くなってきた。
けれど、胸の中はなんだか温かい。

そんな日曜日。



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神様のことなんか髪の毛ひとすじほども信じていなかった、10年前の僕に、手紙を書いてみる。





こんばんは。いきなりこんな手紙を受取って、ずいぶんびっくりしたと思う。消印もなければ住所も書いていない。まして宛先の名前も、差出人の名前も、同じだもんね。僕は、未来のあなたです。あ、手紙を投げ捨てるのはこの先を読んでからにしてほしいんだ、できれば。

あなたは今、東京の小さなアパートの部屋で、これを読んでいるはずだ。そちらはずいぶん暑いと思う。ここ帯広も、日によってはけっこうな暑さになるよ。
でも、あなたが今、へたりこんでいるのは、日差しのせいばかりではなさそうだ。「どうして、自分は生きてるのか」ずっと考えこんできた想いに、何の答も見出せなくて、いろんなことに手を出しては失敗して、とうとう力を失っているんだよね。なぜ朝が来て、夜が来るのかさえもわからないぐらいにまいっている。ただ生きているだけで、先が見えない感じ。とても辛いだろう。なにしろ本人だから、他人事とは思えないんだ。

あなたは今、1人の部屋で、本や映画、ネットやゲームにほとんどの時間を費やし、その日その日をやり過ごしている。淡々と通うバイトと、両親からの仕送りが、その手ごたえのない生活を支えている。何か作品をクリエイトする道を志し、学校にも通っていたけれど、周りの才能ある(ように見える)仲間に圧倒されて、作り手になるのに戸惑ってしまっている。

「だから何だってんだ。そんなこともう、どうだっていいんだよ」打ちひしがれたあなたはそう言うかもしれない。でもあなたが苦しいのは、本当はどうでもいいと思っていない証拠だよ。何とかしたくてもどうしようもないから、苦しんでるんだ。そうじゃない?

僕があなたに、届くかわからない手紙を書いているのは、やり込めたいからじゃない。ひとつだけ、知ってほしいことがあるからなんだ。信じるかわからないけれど、数年後の、あなたの姿を伝えておきたい。あなたは留学先の韓国で、神様に出会うことになるんだよ。自分の本名さえハングルで書けなかったあなたが、韓国語を学んで、それよりもはるかに価値ある、大きな存在を知ることになる。

あなたは舌打ちをしている。「宗教?あほくさ。あんたが誰だか知らないけど、信じたければ勝手にすれば。自分には関係ない。妙なことに首突っ込んで、病気が治る怪しげな水でも売って歩く羽目になるのが落ちだよ」。気持はわかる。僕もはじめは何となくそう思ってた。チャーチの礼拝ってやつに足を運んだとき、両手を差し出してやたら嬉しそうに歌を歌ってる人たちを見てさ、「いもしない神様に、こんな一生懸命…あほくさ!」って思ったもの。

でもある時、ふと思った。自分はこの人たちを否定できるほど確固なる何かを持っているのかと。依って立つ、何かを持っているかと。そんなものは何もなかった。あなたも僕も、「なんで自分が生きてるのか」って、そこの答えが欲しかったんだけど、どれもしっくりこなかった。
結局、胸に開いた鍵穴に、唯一ぴったりとはまったもの。それは、神様だった。神様があなたを創り、愛して、ここにいさせてくれる。思いがけない答えだよね。

ジーザスの存在だって、何のことだかさっぱりだった。どうして、彼が自分のために----ただ生きているだけの自分を生かすために-----命まで投げうってくれたのか。僕にもわからなかった。2000年も前の出来事が一体何の関係あるんだ、ってさ。でもいつしか、根づいてきたんだ。不思議と。これはただの”宗教”なんだろうか。あるいは洗脳、激しい思い込み?

…違う。

今のあなたから、今の僕。10年かかった。あちこち頭をぶつけて痛い思いをして、神のことなど忘れかけた時期もくぐって、それで、この場所にいる。これがただ、生きる糧として神様を利用しているだとか、そんなことだったら、とっくに幻滅して投げ捨てていたはずだよ。

でもジーザスは、僕を投げ捨てなかった。

僕は別にご立派になったわけじゃない。今でもひょろひょろの痩せっぽっちだし、お金はないし、人づきあいは下手だし、結婚もしてない。「クリスチャンとして」正しい歩みをしてるのかさえも、わからない。神のみぞ知る、だ。ただ、あなたが苦しいなかでどこか必死に探している、「生きてる意味」は、与えてもらったと思う。神様がそう願ってくれたから、僕は今、ここにいられる。それだけでまずは、充分じゃないか。

もうひとつ朗報があるんだ。望みつつも、クリエイティブなものに挫折しまくったあなたは、神様を知ってから、もう一度写真を撮りはじめる。絵も、描き出す。文章も、つむいでいく。どれも作品と呼べる段階ではない。息を飲み驚くほどうまくもない。それでも、そこには今までにない自由があるし、歓びもある。誰かの顔色を見て、流行りの何かに脅かされて、委縮することもない。
どうかな、こんな話、神様と同じくらい、信じられないかもしれないよね。

なんだか、急に思い立って書き始めたわりに長くなってしまった。誰かから「このナルシスト!」とかって笑われたとしても、とにかく伝えておきたいことだったと、改めてそう思ったよ。あなたがこれを読んで、半信半疑でも、いや9割5分信じられなくても何かを感じて、ちょっとでも神様について想いを馳せてくれたら、きっと、それでいい。
できれば早めに神様を知ってくれたら、今の僕はもうちょっと早く楽になれるんだけどね。贅沢は言わないよ。全ては流れの中にあるようだから。

最後まで読んでくれて、ありがとう。じゃあまた、10年後に。



taika拝





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「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。
木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる」(
ルカによる福音書6:43~44)

良い木…、神様に根ざして、幹にはイエス様という芯が通り、
そこから豊かな滋養を得ている木は、どんな実を結ぶんだろう。

それは行いかもしれない。
あるいは、イエス様のような品性かもしれない。
愛や喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制…。
自分とひき比べたら「無理っす!」と
即座に言いたくなるほど距離があるけれど、
少なくとも、先への希望は持てるよね。

実際の木の実が熟すのに時間がかかるように、
こういう行いや品性を身につけるのって、とても時間がかかるはずだから。



「実」があらわすものって、
つまり、「どれほど変えられたか」じゃないかな?

種の姿から、すぐに果実って想像できないじゃないですか。
そこには驚くほどの変化がある。

イエス様も、個人的に係わった人たちを劇的に変えた。180度、変えた。
しかも良い方向に。

目の見えなかった人が、見えるようになった。
歩けなかった人が、歩けるようになった。
反逆者を偉大な弟子につくりかえた。
蔑まれている人たちを、神様の友とした。

誰がそんな変化を想像しただろう。
本人たちにさえ、全く思ってもみなかったことのはずだ。
「それだけはありえない!」って感じで。

でも、ある。イエス様はそういう方なんだ。

そのイエス様が今も生きて、僕らの人生に働かれていると信じる以上、
この、思いがけない変化っていう、
「良い実」を、期待していいんだと思う。
心の雑草を引っこ抜いたり、
乾いた地面に水をやったりする必要はあるだろうけれど、
それはまあ、お手伝いのようなものだ。

大半の仕事は、イエス様がしてくれる。
熟練した園芸家みたいに。


バイブルって、すごいね!
この短い一節からだけでも、めちゃめちゃ考えさせられる。
まじで神様の言葉だわ。

思うに任せないことなんていくらでもあるし、
全然ホーリーでも何でもない自分を垣間見ることもあるけどさ、
なんだか、変えられたい。結ぶ実を、できるなら見てみたいよ。




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さっきまで、通っていた教会の仲間と食事会をしていた。
気心知れた人たちなので、本当に楽だ。
しばしば気持のうえで誤作動を起こす僕を、
”すっ”と受け止めて、共に祈ってくれる。
僕もそれぞれの持つ課題を、祈ることができる。

同じ神様に。

互いの喜びや痛みが、他人事ではなくなるこの感覚は、
神様ファミリーならではのものだと思う。

久しぶりに会えて、本当に良かったよ。嬉しかった。



…家に戻ってからは、しばらく前から描いていた
9月版の塗り絵を仕上げた。



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ネットで見かけた、携帯を持っている女性の写真を取っかかりにして、
いつものごとく何だかわからないイメージに着地する(汗)
これからの課題は、立体感だよなあ。
ボールペンで、どうやってそれを出していくか。

線もちょっと単調なので、味わいが欲しいです。

「趣味の塗り絵だから」と言い訳せずに、
できれば線画だけでも見られるようにしたい。
と、ど素人なりに色々考えているよ。

利用者さんにも、楽しんでもらいたいしね。



アートといえば、今日素敵なブログを見つけました。
クリブロランキングの「Church Everyday」。jaybirdさんのブログだ。
ご自分で描かれた水彩画や彫刻、陶芸なんかも紹介されている。
多彩な方です。1度ご覧あれ!(勝手に紹介しちゃったけど^^;)


ではでは、おやすみなさい~^^




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さて、みんなで行ってきました晩の花火大会。
栄光教会のSさんがとっておいてくれた席が、
河川敷の本当にナイスな場所で、
迫力ある花火を目の前で見れたよ!
お寿司をつまみながら贅沢な時間を過ごしました。

眠る前に、撮れたての写真でレポートします~(ねむい)。




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…花火にも圧倒されたけれど、
僕にとってそれよりインパクトがあったのは、
会場を埋め尽くした人の数だった。
見渡す限り、人がいた。
それはこの間、札幌のカナンプレイズチャーチで、
天野先生が見せてくれたVTR…、
アフリカの大リバイバルの光景を思わせた。

この大群衆がこぞって神様の名を呼ぶ日が来たら。
そう思うと、なんだか無性にぞくぞくした。

光景を、胸に焼きつけておこうと、思ったよ。




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今日はお休みだ~~~!
と、無闇にテンションあがっております(笑)

これから、美容室へ行って髪を切り(苦手…、首になんか巻かれるのが
ちょっと仕事場に寄って、
晩は栄光教会の皆と、新聞社主催の花火を見に行く。

少し空模様は曇ってるけれど、楽しみにしてます^^

ではでは、また夜の更新で~。
与えられた時間を、ありがとう!




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おまけ。前に描いたカレンダーを、利用者さんがきれいに塗ってくれました^^
父なる神様が、人の罪を拭い去るために、
その独り子を十字架につけた時、
いったい、どんな気持になったんだろう。

神様には、心がある。感情がある。
喜び、憤り、悲しみ、笑う。

その時、の気持。

胸は引き裂かれ、できるなら自分が息子に代わってやりたいと願い、
それでも、そうすることでしか人を根本から
救うことができないというジレンマで、
神様は苦しまれたんじゃないだろうか。

十字架の上のジーザスと同じくらいに。

その後の、輝かしい復活で、
ジーザスは死から打ち勝つ。
十字架の死は、決して無駄に終わらない。

でも、そんな展開を十分に知りつつも、
今目の前で苦しむ子供の姿を見るのがしのびない…、
それが「親」の気持なんだと思う。

子供のいない僕には、想像になってしまうけれど。




旧約聖書の中で、アブラハムが、
その独り子・イサクを主に捧げようとするシーンがある。

ある時、神様は、アブラハムの信仰を試そうとして、こう命じるんだ。
「あなたの愛する独り子イサクを、
焼き尽くすわたしへの捧げものとしなさい」と。
聞く限りではとんでもない話だ。

年老いたアブラハムに与えられた最愛の子供。
アブラハムも神様と息子との間で死ぬほど悩んだだろう。
自分が死んだほうがましとさえ思ったかもしれない。

しかし結局、彼は息子を捧げる決意をする。

アブラハムは息子を連れて、神様に命じられた場所へ向かう。
そしてそこに祭壇を築き、薪を並べて、息子を縛りその上へと載せる。

刃物をとり、息子を屠ろうとしたその時、天の御使いが彼に呼びかける。

「その子に手を下すな。何もしてはならない。
あなたが神を畏れる者であることが、今、わかったからだ。
あなたは、自分の独り子である息子すら、
わたしにささげることを惜しまなかった」


神様には、子を想う親の気持がわかっていた。
だからこそ、アブラハムを寸前でくいとめたんだろう。
神様のために全てを捧げようとする彼の信仰を見て、
「もういいよ、十分わかったよ」と言ってくれたんだ。



その神様が…実際にご自分の独り子の命と引き換えに、僕らを助けてくれた。
そうしてまで、神様に背を向けてきた僕らを救おうとしてくれた。
アブラハムにさえ、「しなくていい」と言ったことを。

自分に反抗し、自分を軽んじてきた者のために、我が子を差し出す。
人には到底できないよね。

神様には、どうしてそんなことができたのだろう?
それは…僕らを愛しているから。
だからこそ、最大の犠牲を、払ってくれたんだ。
口先だけではなくて。

愚かな僕はすぐにそのことを忘れそうになる。
変な話だけど、十字架に慣れてしまうというか、
尊い犠牲への感動を失いそうになる。

でも、こうしてまた思い出す。
自分がいることの根本に、どれほどの、神様の想いがあったのかを。



そうまでして、神様は僕らに「生きててほしい」と、呼び掛けているんだ。






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外向的な人っている。
初めて会った誰かと簡単に打ちとけられ、すっと友達になってしまう、そんな人が。
関わりができた相手がノンクリスチャンだとしたら、
それが深まるうちに、イエス様を伝えられる可能性はすごく高まるような気がする。
まさに賜物としかいいようがない。

では、例えば僕のように、
どちらかといえば引っ込み思案なタイプは、どうしたらいいんだろう?
イエス様への想いは胸の内にあっても、
人みしりに阻まれてなかなかすぐに関わりを結べない、
このもどかしさは何とかなるんだろうか(汗)

あれこれ想いをめぐらせて辿り着く…何とか、なるんだ。
なぜなら、神様は意味もなく僕らの性格を決めたりはしないからだ。
神様は外向的、内向的、それぞれの良さを活かして、ご自分の業をされるからだ。
神様を信じたゆえの行いは、どれほどささやかなものであっても、
神様の心に留められる。



内向的なタイプが自分の持ち味を活かすために、できそうなことを探してみるよ。
要は僕の課題を見出したいんだけど(笑)

まずは、「感じる」。過ごした時間や、起きている出来事、
その中での心の動きを、感じる。
風景から、携わっている仕事から、
少しでもできた人との関わりから、神様の意図を感じる。
自分と向き合う時間が、やや長い分、
内向的なタイプはそれを深く感じ取れる気がする。

そして「聴く」。話すのが得意でない代わりに、僕らは聴くことができる。
人は誰でも、気持をわかってほしいという願望があると思う。
それを静かに受け止められるのは、僕らに与えられた大きなギフトだと思う。
人みしりってことで、話を聴く前段階の関わりづくりに
とまどってしまう面もあるだろうけど、
もしチャンスが来たら、「しっかり聴く」のを意識したらいいんじゃないかな。

そうして自分の内側を耕していったら、次はアウトプットだ。
やはり、受けた喜びは伝えたいじゃないですか。

ここでも大々的に行くのは難しいから、イエス様の香りを流す方向で進みたい。
キリストの芳香剤作戦と名づけます(笑)

「この人といると、何だか楽だなあ。落ち着く」そんな境地を目指してみる。
イエス様の包容力を貸していただく。

あとは…何故か僕らが来た後はトイレがきれいになってるとかさ(笑)
ぱっと眼につかなくても、静かに物事を変えていけたらいいね。
できることは、あるはずなんだ。

祈りもいい。相手の問題を持ち帰らせてもらい、祈る。

アウトプットの一つの方法としては、ブログもなかなか有効です。
自分が感じ、聴いたことを、ゆっくりまとめて読みたい人にシェアできる。
「おとなしいけど、イエス様を伝えたい」そんな情熱を抱えているあなた。
いきなり呼び止めてすみませんが(笑)、
文章の上手い下手は全く関係なしに、始めてみてもいいと思うよ。

僕なんか「王様の耳はロバの耳~~~!」的に、
外でなかなか伝えられてない分、
ここでイエス様のことをたくさん語らせてもらってる。
誰かには届いていると信じるし、それは大きな喜びになるよ。



こうして見ていくと、目立たないのも、けっして悪いことじゃないよね。
イエス様の12人の弟子の中でも、ペトロやヨハネみたいに、
バイブルに大きく取り上げられた人もいれば、
バルトロマイやタダイといった、あんまり名前の出てこない人もいる(笑)
でも、目立とうが目立つまいが、イエス様の注いだ愛は、等しく同じだったはずだ。

最後に、「思いがけない変化も、期待しよう!」

確かに自分のタイプを把握するのは大切だし、有効だ。
けれど神様は僕らより遥かに大きい。その意図は計り知れない。

思いがけない変化だって、訪れるかもしれない。

マリアは、自分が神様の独り子を身ごもると思っていただろうか。
漁師だったペトロや、徴税人のマタイは、
自分があのイエス様の弟子になると思っていただろうか。

何でもないと周りの誰もが思っていた人物を、神様は用いることがある。

だから内向的なタイプだろうが、多くの人と関わり、イエス様をシェアできるチャンスが、
あるかもしれないよ。たとえばチャーチの中で、温かい関係に包まれて殻が破れ、
溢れるままに証をしていくことだって起きるかもしれない。

今まで言ったことと矛盾してるようだけど、
自分であんまりワクを決めすぎないで、期待していきたいね!!



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●今日のBGMは「Lifestyle」のツバサくんがつくった歌。“Music in my heart”。
声の伸びといい、深い心の奥から語りかけてくるような曲調といい、必聴です!
与えられたギフトをこんなにしっかり用いてるのって、素敵だよね~。



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雨の降る中、今日のエントリーを書いています。
BGMは『Healing Gospels』、
特にTake6がすごい!この世のものとは思えないくらい美しいハーモニーです。



ここ一月、帯広では教会の礼拝に参加できてなかった。
ブログでは神様神様言うているくせに、この体たらくだ^^;
行けなかったのは教会での人間関係とかが問題じゃなくて、
活動に対して、何だか自分が”形だけ”になってしまっている気がして、
足が止まってしまっていたんだ。

礼拝、賛美、ユースの例会…、
心から溢れる「やりたい!」想いより、
「やることがあるから、やんなくちゃ!」が勝ってきていた。

それをそのまま続けるわけにいかなかった。
僕は大抵のことにはかなりアバウトだけれど、
神様に対してはなるべく嘘つきたくなかった。

それでしばらく、教会から離れていたんだ。
もちろん、神様から離れてしまったわけじゃない。
何しろご自分の手のひらに、僕らの存在を刻みつけてくれている方だ。
僕が離れたとしても神様は手を放さない(笑)

様々に迷っていたその期間、ブログランキングから抜けてみたり、
札幌でホーリースピリットの力強い働きを目の当たりにしたりで、
たくさん、考えた。感じた。

少しずつ、再び力が注がれ始めた。


今日、久しぶりに教会で礼拝が捧げられた。祝!
とはいえ、通っていた教会ではなく、友人のヒカルがいる栄光教会でだ。
ここも家族的な温かい雰囲気がした。

ちょうどファミリー特別礼拝の日だった。
特別賛美は幼稚園の皆がしてくれたんだ。

「まことのかみさま あいのかみ
はやく みなさん しんじまちょー♪」


歌詞はうろ覚えだけれど、もう純度100%の賛美に、
涙が込み上げてきた。

礼拝後、ヒカルとゆっくり話ができた。
本当に見事に、ヒカルはいつも変わらない。
落ち着いていて、自然体で、凪の海を見るような気持になる。

僕とはいえば内面の浮き沈みでどんぶらこっこしているわけで、
違うといえば全然違う。だけどそれが良かった。

話を聴いてもらっているうちに、なんだか葛藤が静まってきたんだ。

それから、2階でご飯を頂く。
一息ついて座っていると、突然僕の膝に温かいものが転がり込んだ。
中学生の男の子。
人懐っこい子で、たくさんお話した。何というか「恋人か?」っちゅうスキンシップで(笑)

僕「何か部活とかやってるの?」
男の子「馬。乗馬やってる」
僕「へえ~、すごいね!でもあれ、落ちたりしたらけっこう痛くないかい?」
男の子「一回、落ちたことある。冬でさ、雪あったから助かった」
僕「良かったね~^^ まあ馬乗れるってのも良いもんだよね。
  ほら大人になったら、
  いつ何どき、仕事で馬に乗らなくちゃいけないかわからないからね。
  今のうちしっかり練習しといたらいいよ」
男の子「うん」

嘘やん、それ!適当すぎやん!


食後、他の中学生の子も交えて、ヒカルとドラム練習した。
礼拝中もヒカルは見事な演奏で賛美を引き立ててくれてた。
軽やかでうまいんだ~。


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僕も久しぶりに叩かせてもらう。ヒカル先生の厳しい指導のもと(笑)、
フレーズを繰り返す。楽しかった。

…礼拝中降っていた雨もやんで、帰りは途中までヒカルと自転車で走る。
また分かち合いができて嬉しかった。

ヒカル、まじでありがとうね!
神様、ありがとう!





さて、話変わって。

今まで住ませてもらってた実家を、
おそらく2,3か月のうちに出ることになりそうだ。
久々の一人暮らしが始まる。
いろんな家庭の事情(けっこう複雑^^;)も重なってのことだけれど、
何だか前向きな気持でいられてる。

ようやく本当の意味で、”大人”になるんだ。
いや、お前30こえて何言ってんだって声も聴こえてきそうだね~。

親元自体は、高校に入るとき、一度離れている。
でもそれは自立には程遠い逃げだった。
そうして神様に出会うまで、自分を見いだせないまま、
長い時間を費やしてしまった。

だからこの機会は、初めて、いろんな呪縛から少しずつ自由になりつつある自分が、
神様と繋がって始める新生活になるんだ。

経済面ではかなり厳しくなる予定。
まずは敷金・礼金どうするか?ってレベルだもんな^^;
でも、不安はない。
遅ればせながら来るべき時期が来たのだ。

責任は、神様がおってくれるはず。
必要な助けは、神様からやってくるはず。

そう信じて、行くよ。



「彼は傷ついた葦を折らず、
くすぶる灯心を消さない」

(マタイ12:10より)


今日のデボーションで読んだバイブルの言葉。
つまり、そういうことなんだと思う。
大変なことが、ぎりぎりまで迫っても、
芯から打ちのめされることは、僕らにはない。



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