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Hold Me Jesus 2

北海道在住のジーザスフォロワー・taikaのブログ。CFNJ聖書学院にて研がれる日々。

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『人生を導く5つの目的』

5日目「神の視点から人生を見る」


僕らの人生の見方が、その方向性を決めていく。

人生の対してのイメージは、人それぞれだ。
パズル、交響曲、マラソン、メリーゴーランド…。
僕らは抱いたイメージから、知らず知らずに影響を受けている。

僕はどうだったかな?とつらつら考えてみると、
「ショーケース」が浮かんできた。
綺麗なもの、良いもの、価値あるものは
何だかガラス1枚隔てた向こう側にあって、手に取れない感じ。
今は全く、そんなことないけれど(笑)
鍵が開けられて、硝子戸も開いた感じするけど。



神から与えられた目的を達成するためには、
バイブルに基づいた人生へのイメージを抱くのが大切。

神の視点から僕らの人生を見てみると、
3つのたとえが浮かんでくる。
今回はその2つをまとめてみる。



(1)人生は、テストである。

というと、げんなりしそうだけど(笑)、
神は事あるごとに、人々の信仰、愛、正直さを試している。
人格は、試されることで成長するものだから。

神は日々、僕らにふさわしいテストを用意してくれている。

その価値観を受け入れると、毎日、細かいことでも、
意味のないことはなくなるみたいだ。
しかも、神はそのテストに合格するのを願ってくれているので、
直面する問題に押しつぶされないように、
取り組む力も与えてくれる。

僕自身でいえば、今日の夕方、利用者さんを乗せた送迎中のことだ。
生まれて初めて、一時停止違反で車を停められ、
パトカーの後ろに乗るはめになった^^;
ブレーキの一踏みが無かったばかりに、
本日の日給全てを、お国のために返還することになったんだ(笑)

前なら凹みまくってたと思う。
でも、後部座席に座り、案外、僕は平然としていた。
「神様はそういう形で何かを知らせようとしている」と思って。
負け惜しみじゃなくて(笑)

これもテストなんだよね~。


(2)人生は、預かりものである。

生きている間、僕らが本当の意味で所有しているものって、実はない。
すべてのものを創られた神から、一時的に借りて、
使わせてもらっているだけ。

エネルギー、才能、機会、人間関係…、
全て、大切に管理するように任されたもの。
それは、ただ借りたまま隠しておくのではなくて、
活かし、より良いものへと「増やす」ために、与えられている。

そうなると僕らは、他人の芝生を見つめてるわけにはいかなくなる。
自分に、まず与えられているんだから。
神は常に最善を考えて下さる方だから、
それぞれにふさわしいギフトを、必ず下さっているはず。

今はそんな風に見えなくても。

土の中から掘り起こす。そんな感じだ。
そしてほこりを払い、磨く。

自分の内側に、こんなに良いものが眠っていたとは思えないほど、
素敵なものが眠っている。

それが、神様の約束だ。


【今日の余談】


脳を活かす仕事術脳を活かす仕事術
(2008/09/10)
茂木 健一郎

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こないだ読んだ、茂木健一郎さんの本『脳を活かす仕事術』、
めっちゃ面白かったよ!
茂木先生はテレビ番組「プロフェッショナル・仕事の流儀」
のキャスターとしてもおなじみの脳科学者です。

この本のテーマは
「”わかっている”ことを、”できること”に変えるには、どうしたらいいのか」。
それは、まさに僕がずっともどかしく思ってきたことなんだ。

写真を見る。音楽を聴く。映画を観る。
本に夢中になる。そんなコンテンツの良い部分は、わかる。
でも自分では、それが全く再現できてない。

これじゃいけないと思って、少しは手を動かすんだけど、
出来を見抜く眼力だけは多少伸びているから、
出来上がったものをシビアに評価してしまって、
「ああもうてんで駄目じゃん」と判断し、
またインプットばかりの日々に戻ってしまう。悪循環だ。

なんでこんなことになってしまうのか?
茂木先生によると、脳の「感覚系」と「運動系」のバランスが
取れていないから、なんだそうだ。

入力と出力を担当してる場所が違うから、
頭で理解して、良いと感じたことを、簡単には再現できないんだって。

では、運動系の出力機能を鍛えるためには、
どうしたらいいのか?

少しずつでも、下手でも、形にしておくこと。これが大切だ。
感動した言葉や出来事、役立ちそうな情報なんかを、
実際に話したり、こうしてブログに記録したりして、
とにかく、「出力」する。

その結果、言葉なり情報が、自分の血となり、
肉となって、整理されるらしい。

そうして、入力と出力のサイクルをまわすことで、
「できる」ことの範囲が広がっていくという仕組み。

これは面白いと思った^^
それ以外にも具体的なノウハウが載ってるので、
興味ある人は読んでみてください。

今回、「人生を導く~」シリーズを始めたのも、
それが理由の1つかもしれない。
神様の価値観をしっかりと知るのと同時に、
出力の練習をしていく期間だ。

いやこうしてまとめていると、
つくづく文章が上手くないのに気づく。
こう、肝心なところを盛り込めてないというか。
常に「この文章は人様に読んでもらうに足りるのか」みたいな
自問自答っすよ実際^^;

でも、続けていくしかないよね~。
そうすることでしか、精度が高まらないんだったらさ~。

どこから来る情熱か知らないけど、
神様のことを文章で伝えたい…んだろうなあ。

だから、上手くなりたいんだ。きっと。

…って、余談の方が長くなってしまった^^;
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『人生を導く5つの目的』

さて今日は4日目のアップ。飽きっぽい僕としては驚異的に続いているなあ^^

この価値観を刻み込んで、何とか生き方に反映させたい。
心に絡みついた嘘を取り除いて、正しい、温かいものに入れ替える作業だ。
頭だけじゃなく。それではお勉強で終わってしまう。
心で、感じていく。

4日目 「永遠に生きる存在として造られた」


クリスチャンにとって。
この地上での人生だけがすべてではない。
地上の生は、本番前のリハーサルみたいなものだ。
死の向こう側で過ごす時間の方が、ずっと長い。

この世は、次の人生への準備期間なんだ。

死を迎えたら人は無に還るのか、それとも永遠の命を与えられるのか、
その捉え方は、大きな分岐点になると思う。

バイブルでは、僕らの体を「テント」と呼んでいる。
仮の宿。
本当の住まいは、将来、神のもとで与えられる体。
それは「家」と呼ばれる。

ほんとに住む、場所。

僕らは、死んだらそれで終わりの存在ではない。
次の世にこそ、本当の歓びは待っている。
愛する者と再会し、あらゆる痛みから解き放たれ、
信仰を全うした報いをもらえ、さらにやりがいのある仕事を、
神様から与えられるんだ。

永遠がそんなにすばらしいなら、なぜこの世の生はあるのか?

それは、神が自分に与えてくれた目的を、果たすため。

そして永遠に招き入れられるためには、
イエス様を信じ、受け入れ、愛することが必要だ。


その関係こそが天国への扉を開く鍵となるし、
それを築くために、地上で生きる期間が必要なんだろうね。


個人的に、この「永遠」という考え(事実?)は本当に大きなギフトだ。
イエス様が十字架の上で、自分の罪を拭ってくれたのと並んで。
だって…必ず報われるって、信じられるんだから。

僕の役割や活動は、
この世では全然目立たない働きになるかもしれない。

でも、そんな者も、神様のそばに招き入れられる約束があるんだから、
凹んでいられないと思う。

そして、焦る必要もないのかもしれない。
30こえてから色々なことに気づきだしたから、けっこうな焦りがあったんだ。
あれもやりたい、これもしなくちゃ、と。
でも人生そのものが神のもので、永遠への準備だとするなら、
本番に向けて、自分の役割を見出して、
いっぱい練習させてもらったらいいんだよね。
その時、与えられた場所で。

何しろ時間はたっぷりあるわけだから(笑)






【今日の余談】

昨日の晩、突然の幸運で、
大好きなスピッツのライブを見てきました~~!
デイの職員さんが家族で行くことになってたんだけど、
1人都合で行けなくなり、欠員出たってことでお声がかかった^^

欠員ばんざい!

…素敵すぎる生スピッツだった。2時間あっという間。
ライブの熱気は充分ありつつ、
CDとね、曲のクオリティーが変わらないんだ。
もう、安心して聴いていられた。

MCでは、地元のデパートの名前やら、豚丼のことが出てきて、笑った。
間近で見たマサムネさんは、しゅっとしてて、どこかかわいらしい人だったよ。
一緒にハモれて幸せだった。

知らない人がいないほどのバンドなのに、
メンバー全員、どこにも威張ったところや、悪意が無い感じ。
とにかく音楽がただもう好きという想いが伝わってきました。

まさか帯広にまで来てくれるなんてね~。感動です。

そしてひたむきに何かに打ち込んでいる人は、
やっぱ、格好いいぜ。








『人生を導く5つの目的』

3日目「あなたの人生を動かしているものは何か」


どんな人でも、何かに動かされて生きている。
僕らの人生の原動力になっているものは、何か?

まず挙げられているのは、多くの人が駆り立てられている5つの方向性についてだ。
僕にとっても、程度の差はあれ、いまだに課題となっているものもあったよ。

(1)罪悪感

罪悪感に駆られて生きる人は、過去の出来事に自分をコントロールさせてしまっている。
でも、僕らは過去の虜になる必要はない。
神は僕らに新しい出発を与えるのを得意としているし、
その目的は過去によって制限もされない。

(2)怒りと憤り

怒りに駆られて生きると、その怒りを内に溜め込んで落ち込んでいくか、
爆発して人に当たり散らしてしまうことになる。
どちらも不健全。
怒りは、手放すのが大切だ。
過去に自分を傷つけた人に、これからも傷つけられ続ける必要はない。

(3)恐れ

恐れに駆られて生きると、チャンスを失いがちになる。
恐れは、神に近付くのを妨げる、檻のようなものだ。
信仰と愛とで、それに対抗しなくてはならない。

(4)物質主義

何かを少しでも多く所有することで幸せになれるという想い。
でも、所有することからは、一時的な幸福感しか得られない。
「もっと良いもの」をどうしても求めてしまうから。

(5)受け入れられたい想い

多くの人は、両親や友人、周りの人に自分の人生を支配させてしまっている。
人の意見にいちいち左右されていると、神の用意した目的を見失ってしまう。


当てはまる、当てはまる~。
今までの僕に関して言えば、2と5の傾向が強くて、
それに3をブレンドしたような心模様だった(笑)
いかに外側から、他人に自分の人生をコントロールされてきたかわかるね。
悔しいです!(ザブングル)

同じ外側から影響を与えられるんだったら、神様の方が断然いい。
では、神から与えられた、目的に導かれる人生のメリットは何だろう。
神にとらえられて、正しく方向づけされた人生の。

(1)人生に意味が与えられる。

神なしでは人生は目的を持ちえない。
意味を見いだせなければ、生きがいも希望も持てない。
神は「何のために生きるのか」という、意味をくれる方。

(2)シンプルに生きられる。

目的を知ると、自分のすべきこと、しなくていいことがわかる。
うつろっていく人の期待に応えるのではなく、
「神の目的に生きられているか」が評価の基準になる。

(3)焦点が定まる。

目的を知ることで、努力とエネルギーを重要な事柄に集中させられる。
拡散した光にはわずかな力しかないけれど、
焦点を合わせると、光のエネルギーを集中させられるのと同じ。

だらだら働かず、何もかもしようとせず、
良いと思うことすらふるいにかけて、最も大切なことに集中できる。

(4)動機づけが与えられる。

明確な目的こそが、情熱を生み出す。

(5)永遠への準備ができる。

神は、僕らを永遠に生きる存在として造られた。
僕らはその準備をするため、地上で生きている。
1番大切なのは、人から何と言われるかではなく、
「神」が何と言われるか。


…この地上での生活を終えた後、いずれ僕らは神様の前に立つ。

その時、神は僕らに2つの決定的な質問をしてくれる。

1つは、「神の独り子、イエス・キリストに対して、どんな態度をとったか?」
自分のために、個人的に主イエスがしてくださったことを、
受け入れ、信じ、彼を愛したかどうか。

もう1つは、「神から与えられたものを、どう使ったか?」
すべての賜物(ギフト)、機会、エネルギー、人間関係、資源を、
神の目的のために使ったかどうか。


このことに関しても、40日の旅を終える頃には、
答えを見出していけるはずだ。





『人生を導く5つの目的』

2日目 「あなたは偶然に存在しているのではない」


2日目のテーマも、前回に続いて僕らのBeing(存在)そのものを保証してくれる。
僕やあなたは、偶然にこの地上に生まれてきたわけじゃない。
神は、母親が僕らを身ごもる前から、僕らのことを心に留めていた。

僕らは神に、オーダーメイドで造られた、作品なんだ。
神が決められたもの、それは人種、肌の色、髪の色、その他の特徴、
それぞれの才能やユニークな人格。

両親が、あなたの誕生を計画していなかったとしても、神様に間違いはない。
あなたがどのように生まれてくるか、どれだけの期間を地上で過ごすか、
しっかりと熟慮されている。

では何故、それほどまで手間をかけて、神は僕らを造ろうと思ったのか?

<愛>を与えるためだ。

それは、理解しがたい愛かもしれないけれど、確かに存在している。
愛なんて言うとさ、こう、大仰なイメージがあるよね。
でも、バイブルでは神=愛と語られているんだ。

愛の神は僕らを放り出したりはしない。
バイブルの中に、こんな約束もある。

「あなたたちは生まれた時から負われ
 胎を出た時から担われてきた。
 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで
 白髪になるまで、背負っていこう。
 わたしはあなたたちを造った。
 わたしが担い、背負い、救い出す。」

(イザヤ書46:4)

「わたしが責任を取るよ」と、力強く言ってくれているんだ。



もし、僕らが生まれてきたのが単なる偶然の産物だとしたら、どうだろう?
「あ~、どうせ偶然に生きてんだから、明日この世を去ってもいいや~~」
とはなかなか思えないわけで^^;
どこかで、生きている意味や価値を求めてしまうと思うんだ。

それに、話はずれるけれど、地球って外側から見たら、
なんであんなに綺麗な球体なんだろうね?
昔から不思議だった。
ビッグバンとかで生まれた偶然の産物なら、もう少しいびつでも
おかしくないはずだ。洋ナシみたいな形だとかさ(笑)

…地球も人間も、創造されたからこその、整合性があると思う。

そして、偶然に造られたわけではないとしたら、
そこには何らかの意図が、間違いなく存在している。



まずは、<愛>を与えられるために造られたことを、しっかり覚えておきたい。
時々、忘れてしまいそうになるから。



この2日目の最後に、ラッセル・ケルファーという人が書いた詩が
紹介されている。
後半が、とても僕の気持に沿ったものだったので、引用しとくね。


「あなたにその両親を選ばれたのは神です。
 どう感じようとも、
 あなたは神が望まれた通りにデザインされ、
 主の証印を押されているのです。

 あなたが受けたあの心の傷は決して軽くはありませんでした。
 しかし、あなたがその傷に苦しむ度に、
 神も涙を流しておられました。 
 やがてそれはあなたの心の糧となり、
 あなたは成長して、神に似た者とされました。

 あなたがあなたであるのには理由があります。
 あなたは主の鞭によって整えられてきました。
 あなたはありのままで愛されています。
 そのような神がおられるのです。」



日々過ごしてたら、「なんでこんなことが??」と
天を仰ぎたくなるような出来事が起きることもある。

それは、僕らが神に似た者とされるために必要な試練なんだね。

つくづく、神様は「意味」を与えてくれる方だと思う。



『人生を導く5つの目的』

第1日目 「すべては神から始まる」

「人生はあなたが中心ではありません」。のっけからウォレン牧師はとんでもないことを言い出すのだった。生きる目的は、個人的な達成や幸福より、はるかに偉大なものだと。

自分はどうして生きてるのかな?と、誰しも1度は考えたことがあるんじゃないかと思う。皆、どうなんだろう、それをずっと、どこかで突き詰めて考えるんだろうか。あるいはある地点で「考えても仕方ないじゃん、こうして生きてるんだし。楽しいこともそこそこあるし」と見切りをつけて、その疑問を心の奥底にしまい込み、日々の流れの中で過ごしているんだろうか。僕にはわからない。

個人的には、常にそれを探しながら生きてきた気がする。神様を知るまでは。生きる目的だったり、居場所だったり。あちこちに頭をぶつけて、これかと思って取り組んでは、やはり違うと手を離して、ようやく神様に辿り着いた。

僕やあなたは、どうしてこの地上に存在しているんだろう?

その理由は、「僕らが神の目的に従って、しかもその目的のために生まれた」から。
神が、そう望まれたから。

…僕らは生きている意味を”自分”から始めなくても、いいんだ。

僕らは神によって精巧に造られた存在だ。
だから、存在の意味は「造った方」が握っている。

ちょっと、ほっとしない?(笑)あなたが今まで、「生きること」にあれこれ迷っていたとしても、それにしっかりと、答えはあるみたい。かなりとんでもない、ぶっとんだ価値観だと思うけど。

人の命は、自分を神の目的のために用いてもらうために与えられたもの。神を自分の目的のために利用するんじゃなくて。

じゃあその、目的というのは何か?どうしたら、それを知ることができるんだろうか?

思索も大切だ。しっかり考えること。でも、それより手っとりばやいのは、神に直接尋ねることなんだ。
作品について知るには、作者に尋ねるのが一番早い。

バイブルは神からの言葉。だから、そこから少しずつ、目的を見出すことができる。


「人の価値観はそれぞれ違う。だから一列に均す必要はないんじゃない?」とあなたは言うかもしれない。僕も、それぞれの個性や考えはとても大切だと思う。ただ、”変わらない土台”は、存在すると思ってる。僕にとっては、それが、神様。八百万の神々ではなくて、いろいろあるうちの1つじゃなくて。この世界の成り立ちそのものを創られた、バイブルの語る、神様。

もちろん、それを押し付けるつもりは全くないけど。

神が僕らを地上に送り出し…とても大きな「何か」の一部を担うために、生かしてくれている。

そう思えるのは、僕にとって、本当に大きな支えになってる。
自分は何の意味もない、ただいるだけの存在じゃないんだ、って。



…ああ、何だか本はわかりやすいのに、要約は複雑になっちゃったね(笑)
でもまあ、40日後には何かが変わってるでしょう!たぶん^^
1冊の本に、改めて真剣に取り組んでみることにした。

『人生を導く5つの目的』 リック・ウォレン著
全米で発行部数3000万部を突破したという、とんでもないこの本は、「人は何のために生きるのか」「人生の目的」って何か、バイブルに基づいて、平易な文章で語られている。

1日分が数ページに分かれており、全部で40日をかけて、上に挙げた問いに答えを見出していく。
以前にも1度、通して読んだことはあるんだ。でも、しっかり腰を据えて取り組んではいなかった。どこかで我が事にはなってなかった。

でも今になって。
クリスチャンって、何だろう?神様を信じる者の、生きる目的って、何だろう?
もう1回、それをはっきりさせたくなったんだ。

この本…クリスチャンじゃない人が、神様のことを知るためのすごく分かりやすい糸口にもなってると思う。僕は僕で、好きに学んだことを書きつけていくつもりだけど、もしそこから誰かが、クリスチャンに興味を持ってくれたら、とても嬉しい^^

毎日更新、とまではいきませんが、なるべく熱々のうちにブログに移し替えていきます~。

ということで、元気出していきましょう!(エーザイ?・笑)




告知です^^
明日と明後日、うちのチャーチでゴスペルコンサートと、メッセージの集会があります。

詳しい日時はこちら。

●日 時:10月18日(土)19:00-20:30 (賛美の集会)
         19日(日)10:30-12:00 (特別礼拝)


メッセンジャーは函館キリスト教会の本多啓示牧師。賛美で独唱してくださるのは、奥さまの依子さん。お二人とも、音楽のギフトを持った方なので、心に深く響くゴスペルが味わえそうです。

帯広に住んでいる方、ぜひお気軽に足を運んでくださいね~。興味のある方には、新約聖書を差し上げるサービスもあります^^

●場所:帯広バプテスト・キリスト教会

080-0809 北海道帯広市東9条南8丁目1番地
Tel&Fax: 0155-23-1971



僕ももちろん参加して、また写真を撮らせてもらおうと思ってます。
レポートも頑張ってアップする予定です~。


【今日の余談】いや、MacBookの新しいデザインが発表されたよね~!もう、あまりに僕の気持にタイムリーで、サイトに釘づけでした。かっこいい。欲しいよう^^ 
しまいにゃ、製造工程のVTRまでうっとり観ていた(笑)

今日は短く。文章についてのメモ。

文章にしても、例えば礼拝メッセージにしても、その内容に本当に惹きつけられるものには、一行一行に「意味」が込められている。魅力的な「意味」を追っていくうちに、いつしかその考えの全体像に触れている。吸い込まれるように。

文章を書き、削り、推敲していくうえで大切なのは、込められた「意味」の純度をどのくらい高めるか、なのかもしれない。そして、「意味」の土台になるものは、「感動」なのだと思う。

何かに揺り動かされた心が、文章を生み出す。





何だか最近、生まれて初めて自分から「知りたい、学びたい、それを活かしたい」という意欲が出てきてる気がする。それはつまり「生きたい」って望みと比例してるんだろう。久しぶりにノートを買って、興味のある分野からわかったことをまとめてる。お仕着せじゃなくて、自分の気持から出ているから、けっこうおもろいっすよ^^バイブルについて、それを生活に取り入れる方法について、写真について、デザインについて、イラストの技法について、心について、本について…、一冊のノートにがんがん、書いていこうと思ってる。飽きずに続けられたら、かけがえのない財産になりそう。でも熱しやすく冷めやすいB型さん、どこまで続きますでしょうか。


今日は、神戸バイブルフェローシップのオンラインメッセージを聞いて、「結婚」についてまとめてみた。まだ僕にとっては地平線の彼方にあるテーマだけれど(笑)、指針を持つのは良いことだと思ったんだ。ロブ先生のスタディーはわかりやすくて、しっかりとバイブルの価値観にも根ざしていた。

せっかくなので、ノートからブログにも転載します~。断わっておくけれど、ここに挙げられた項目は、決して絶対の決まりごとではないと思う。誰かを裁いたり、罪悪感を植えつけたりするものではなく、指針として抱えるものだと思う。



まずは、「結婚を考えるうえでの、誤った動機」から、話は始まる。それは…、

(1)セックスが目的…結婚後、感情的にも霊的にも、ひどい痛みとなる。
(2)家族を喜ばせたいから。「適齢期だから」など、周りの圧力に負けてする結婚。これも後に痛み・葛藤を生んでしまうようだ。
(3)自分が抱える問題を、パートナーに解決してほしい…これはパートナーにある種の完全さを求めるわけだから、結婚後に幻滅することになる。完璧な人間は、いないから。
(4)自分が働かなくても済むように…怠惰な理由なので、これはアウト。

こうしてみると、上に挙げた動機には、”相手の姿”があんまり無い気がする。自分本位というか、ニーズを満たしたいがための結婚というか。

では、神様から見た結婚のイメージは、どんなものだろう?

三位一体の神様は、ただひとりの方でありながら、関係性を内側に持つ、稀有な存在だ。父・御子・聖霊の3つの関係。僕らは、神様にかたどられて造られた(と、僕は信じる)。だから、父・母・その子供、というように家族の関係を通して、神の愛を目に見える形であらわすんだって。

それを求めるのが、結婚に対してのイメージ・土台になる。


…そして話は、具体的にパートナーを探し求める時のチェックポイントへ移る。けっこう、項目があるんだよね(笑)一緒に見ていきましょう~。



《パートナーを探すうえで重要なこと》

(1)神様に対して強い愛を持っている人を探す。

→その人が持つ愛や、温かい気持が、そのまま結婚にも流れる。ひるがえって、自分自身は神様への愛情を抱き飢え渇いているかも、考える。

(2)男性女性それぞれ、異性に対するリスペクトがあるかどうか?

→異性の肉親に対して、相手はどう振る舞っているだろうか。ぞんざいな扱いをしているようなら、それが結婚後、自分への態度として表れてくるかもしれない。

(3)自己中心的じゃない生活をしている人を探す。

→日常生活の中で、与える者となっているかどうか。

(4)神様の力により、感情的に安定している人を探す。

→全ての人に、感情の波はあるけれど、神様と繋がってそれを安定させる方法を学んでいるのが望ましい。

(5)ユーモアを持っている人を探す。

→それでなくても、生活には困難がつきもの。それを笑ってしのげるくらいのユーモアを持つのが大切。深刻にならないこと。

(6)お互いの間に、良い共通点がある人を探す。

→たとえば、音楽だったり、バイブルスタディーだったり、良い共通点があるとお互いを高めあえる。逆に過去の傷やネガティブな価値観をシェアするのは危険だそうです。

(7)人生の目的を共有できる人を探す。

(8)神様を信じて、求めること。全能の力を過小評価しないこと!




これは、クリスチャン同士の結婚、ってことになるんだろうけれど、なかなか、難しいよね~(笑)
僕なんか全然、ふさわしくない気さえする。それでも、先へ向けて心に留めておこうと思ってる。
それって大きな希望になるし。

別のメッセージで、ロブ先生が言っていた。クリスチャンにとっての希望は「神様が善きことをしてくださると、信じて生きること」。そうだ、神様はいつだって僕らに良いものを与えたいと願っている方だ。状況に惑わされずに、せめて希望は抱いていこう。





午前中、教会で礼拝を捧げながら、前とは違う感覚になっていた。「人」に対して向かう意識がちょっとずつ薄れて、神様に想いを馳せるようになってきた。前はメッセージ中の皆の反応だとか、賛美中に「音程外れてないかな」と気にしたりだとか、とにかく周りばかりに集中していた。

一週間前に、自分の動機の大半は「認めてほしい。人からすごいと思われたい」ことにあると気づいた。正直、そうわかってから、気持はけっこう不安定になった。今まで信じ込んできて、ある意味で(間違った動機にせよ)基盤にしていたことが揺らぐんだから、当然といえば当然だよね。

でももう、自分に嘘つくのは嫌だと思って、揺れながら今日を迎えた。

そしたら今日のS先生のメッセージで、目から鱗が落ちた。
話の途中、先生はプリントアウトした用紙を見せてくれた。
そこにはこう書かれていた。

Heaven is nowhere.

天国は、どこにもない。
教会のメッセージなのに不穏当と思うでしょ?(笑)でもその先があるんだ。

先生は用紙をめくった。2枚目には、こう書かれている。違い、わかりますか?

Heaven is now here.

天国は、今ここにある。
「nowhere」に、半角のスペースを入れるだけで、鮮やかに文章の意味は変わり、そこに天国が現れる。

…精神的、肉体的にキツい状況にあるとき、つい僕らは捨て鉢になって、「天国なんかどこにもない」と呟いてしまいそうになる。僕もこの一週間、「神様、なんでこんな気持にさせるんですか~~?いつまで続くの??」と大声で問いかけたくなるような気持に、時折なった。

でも最後にはそこに、半角スペースが入る。それは、諦めきれない想いというか、本当にささやかな神様への信頼というか。ぎりぎりのところでね。

それだけで、置かれている状況は同じでも、自分の気持は少し変わる。

天国=神様と、ジーザスとずっと一緒にいられる場所。僕はそう認識している。
それが、今、ここにある。
僕らがどんな状況にいたとしても、ジーザスは一緒にいてくれる。彼だけは、僕らを見捨てない。彼への信頼は、ほんの少しだけでもいいんだって、バイブルに書かれている。それこそ、半角スペースの信仰で。

それを信じられるのって、すごい、幸せだと改めて思った。




もう一つ幸せといえば、先日帯広に来てくださった神学生のMさんが、うちの教会の専任牧師になることを承諾してくださった^^礼拝後に皆で感謝の祈りを捧げたっす。僕が迷って教会に行ったり行かなかったりし、それから栄光教会の皆さんにも迷惑かけてみたりしている間に、神様は着実に次のステップに向けて備えていてくれたようだ。

神様の時がある、って本当だよなあ。なんで今まで焦って、あれこれ結果を追い求めていたんだろう。それも周りに認めてもらうためだったのかもしれない。神様がじっくり行こうとしているときに、僕だけ尻から煙出して焦る必要なんてなかったんだ。

天国は、いつでも共にある。僕がそう信じられない時にも、そこにある。

だからゆっくり、行こう。



ここ数か月…自分が本来所属しているチャーチから遠ざかっていた。理由をずっと探していたんだけど、最近までもやもやしたままで、見いだせずにいた。その期間も、友人のヒカルがいるチャーチに出入りさせてもらい、おかげでsistersのコンサートにも関われたし、若い人が多くて、活気のある雰囲気の中、また違った角度から神様ファミリーの側面が見れたと思う。良かった。


でも何日か前、ある本を読んでいたら、自分の心を深く深く探るモードに入ったんだ。そして、問題…というか、まだ神様の光が当たってない部分が見つかった。蓋をして隠してたつもりのことが、出てきた。本当のことっていうのは、時に、痛いよね。だから今だって、心がちょっぴり痛い。それは、傷口に消毒液を吹きつけるようなもので、治っていくために必要なプロセスだ。

チャーチの活動や、デイでの仕事、写真や、イラスト塗り絵づくりや、このブログ。

本当の、奥底の動機は、神様を伝えることじゃなかったんだわ。きっと。実は。
割合としては半分も無かったのかもしれない。

動機の大半を占める根っこの想いは、「こっちを見てほしい。俺を見てくれ」だった。
ああ、言っちゃったね(笑)
こっ恥ずかしい。


それを踏まえて、チャーチに行けなくなった理由、今なら特定できる。
しばらく前に行われた、横浜のユースの皆との、賛美集会だ。僕はそこで司会を担当し、歌い、さして上手くもないドラムを叩いた。集会そのものは和やかな空気で行われていたんだけど、途中でショックな出来事があった。新しく来てくれた方が、途中、一斉に席を立って帰ってしまったこと。全然関わりのないグループ同士が、示し合わせたかのように。

集会の後、たくさんの想いが渦巻いた。「神様。皆あれだけ頑張って、俺も、ものすごいプレッシャーの中でフロントに立っていたのに…どうして伝えたい人を去らせてしまったんですか?俺、独りよがりの馬鹿みたいじゃないですか。恥かきましたよ!」

僕は勘違いしていた。誰かから「すごいと称賛されること」「ちやほやされること」が神様からの祝福だと思っていた。自意識ばかりがやたらと大きくて、でもそれは自信のなさの裏返しで、人からの反響がいまいちだと、結局、いじけてヘロヘロになった。

わざわざ遠く横浜から来てくれたユースの子たちや、牧師先生。
集会に携わってくれた他の仲間。
一切、見えなくなってた。自分のことばっかし。

そうだったんだ。
そんな些細なことがきっかけで、チャーチから遠ざかってしまっていたんだ。

あほだなあ。なんてあほなんだろう。


「こっち見てくれ、俺を認めてくれ~」
子供の頃から、そんな動機で動いていた。思い返せば。そのままじゃ駄目だ。まだまだ至らないんだ。何か、人目を引くことをしなくちゃ。両親は厳しい人ではなかったけれど、無言の期待値が高かったと思う。いつも、勝手にそれをひしひしと感じてた。だから現状に安心できずに、せっつかれるように走っていた。「したい」っていう内側の湧き出るような動機で始めていないから、結局、息切れして足が止まり、していたことを放り出す。そのうち、また追い立てられるような気持になり、走りだす。その繰り返し。


なんだか、自分が神様を激しく求める理由が、わかった気がする。

何もできなくても、そのままで、受け止められたかったんだわ。
世界にあなたしかいないっていうぐらいに、しっかりと自分を見つめてくれるまなざしを、感じたかったんだわ。実感したかった。だって、それが神様なんだから。

言葉では理解できるんだ。「あなたは値高く、尊い」とか「あなたを決して見捨てない」とか。
バイブルの、神様の言葉。

ただ長年、心に染みついてきた嘘情報も、しぶといしぶとい(笑)
なかなか撤去されないんです。疑ってる。「神様、ほんとにほんとにほんとにそうですか??」なんて。

ある意味「嘘情報込みで、自分」とか思い込んでるから、変わるのも怖いのかもしれない。

だからしばらくは、大変だろうと思う。わかっちゃいるけど人の評価を気にしたり、自然体でいられなくなったり、上っ面の自分と奥底の本心との間で葛藤したり、するだろう。

でも問題ははっきりとわかった。だから良かった。神様はまじで良い方。ゴッド イズ グッド!時に適った形で、方法で、僕らに真実を示してくれる。

思い込みよ、とっとと無くなれ~~~~い!
重たい荷物は、降ろしたいよ!

というわけで…放蕩息子は、また元のチャーチに戻ってみようと思っているところです。こっそり、ね(笑)皆、身勝手すぎるわたくしを許してくださるのでしょうか^^;

そして神様から受け入れられてる~、って実感の中で、伸び伸びと皆で動いていきたい。



って、大丈夫かな?このブログそのものが、単なる独りよがりだったりして(笑)



仕事や、表現の活動、チャーチにまつわる出来事であたふたしていると、少しずつ自分が、軸からずれていくのが分かる。与えられた課題を「すること」だけに追われて、それを「何のために」しているのかを、見失ってしまいそうになる。そんなときは、気持も忙しい。喜び、不安、焦り、期待が、浮かんでは消えていく。
自分も含めた”人”にだけ焦点が当たっているから、他者の顔色をどこかでうかがってしまう。反応が気になる。

今日、この文章を書きながら、ゆっくりと、僕にとっての軸に立ち帰ることができて、嬉しい。軸。それは神様だ。神様を信じられるから、今起きているさまざまな出来事が、ただの偶然ではなく、与えられた大切な課題だと思える。世間一般から見ればたいしたことない生活水準の中で、たいした不満もなく生活できる。自信の無さに押しつぶされそうになる時、それでも1人の人間として生かされてると思える。

だから、何回でも戻ろう。この社会にあって、どれほどマイノリティーであっても、神なんかいないという、多数決の声に吹きさらされても、はじめの愛に留まろう。それを求めよう。世界そのものを創り、すべてのものに染み透る、神様を日々、見出していこう。なぜならそれは、僕にとってのリアルだから。

大げさな営みじゃない。きっと、ねじり鉢巻きで取り組むようなことでも、ない。頭だけでまわる観念でもない。そのリアルは、むしろごくささやかな、手に取れる生活のうちに根ざしている。念入りに仕事をする。誰かと話す。季節を感じる。食べ物を味わう。部屋を片付ける。趣味を楽しむ。花を見つめる。子どもと遊ぶ。僕が自然な僕であり、あなたが自然なあなたであること。

神様が、変わらない軸なのだから、これらのすべてに、神様も共にいてくれるはず。その土台を支えてくれているはず。
僕らが意識していないだけで。

…書きながら思った。じゃあ、「いつも一緒にいる」のを意識しよう、と。自分を取り巻く出来事を、神様と分かち合えば、いいんだ。喜びであれ、不愉快なことであれ、何であれ。隠さないで。

バイブルを開くのも、祈るのも大切だ。けれどその根底にあるのは、「何があるにしても、あなたとずっと一緒にいたい」という、シンプルな、神様からの願いなんだと思う。ご利益やら修行やらを超えて、とにかく、僕らの存在そのものを肯定してくれる、神様からの願い。

なんだか新婚さんみたいな結論ですけどね(笑)

この願いを、受け止めるも受け止めないも、本当に自由だ。僕にも、押し付ける気持はまるきりない。だって選択の自由そのものが天から与えられたプレゼントなんだからさ。お節介はあんまりできないよね。

ただもしこれを読んでいてくれる誰かが、自分の生きる軸を求めていたり、置かれている状況の意味を問いかけていたりしているなら。神様を知ることで、それが見いだせると、僕は信じている。

状況や、人の顔色や、自分の思いさえも超えて、神様が尺度になってくれる。
それってすごい、解放感だ。(僕もまだちゃんとは実感してないけどさ)

なんでかわからないけれど、そんな風に、なっちゃった^^;

そんなことわざわざ声高に言わなくていいじゃん、生き方で示せば、と思われる方もいるだろう。でもこうして、僕が軸についてはっきり話すことで、もしかしたら他の誰かにとっての気づきに繋がるかもしれないと思うと、言わずにいるのはもったいないっす。

そんなわけで今日も、1人でワーワー言うとります(笑)




元クラスメイト・ありとの記念すべき初写真展、今日から開催中だ。
仕事に行っている間も、なんだか夢うつつの不思議な気持になっていた。
有頂天になるでもなく、かといっていたずらに不安になるでもなく。
ただ、今起きている流れを喜ぶような。

ひと月ちょっと前、知り合いの島さんからいきなりの連絡を受けて、
展示の話はスタートを切った。
それからの準備期間…これはかなりのチャレンジになった。
まず、心の葛藤だ。生来の自信のなさが噴き出してきて、
自分の写真など、人様にお見せするに足るんだろうかなんて疑問が浮かんでくる。
だから、出す写真が選べない(笑)

それから一生懸命準備しているつもりだったのに、
島さんや、展示の手伝いをしてくださった消しゴム版画のYさんへの連絡が滞り、
心配をおかけすることにもなってしまった。これぞ空回り^^;

自分ひとりの力では到底なしえなかった、この準備期間。
神様がくれたのは、”人”だった。

全く至らない僕を叱り飛ばすでもなく、
地元新聞の取材まで手配してくれた、島さん。

パネルの作り方や、レイアウトの手法、
展示にまつわるノウハウを惜しげもなく教えてくれたYさん。
写真を入れる額も、ほぼ全てお借りした。

A1サイズという、特大の写真を何枚もプリントしてくれた、
教会のN先生。お店に出していたら、とんでもない金額になるところだった。

タイトルを、特技の書道で書いてくれた、
ありの旦那さま。

会場には、毎月つくっている塗り絵カレンダーを、
おまけのように貼らせてもらったんだけど、
その使用を快く許してくれた、利用者さん。

そしてやっぱり、ありだな。
15年もブランクがあって、再び出会えて、お互いが写真をやってた。
それだけならまだしも、思ってもいない形で、
発表の場が与えられ、励ましあいつつ、準備ができた。

僕らはそれぞれ違った個性を持っている。
でも、円の重なる部分も、けっこう大きかった。

会場に互いの写真を貼ってみて、思ったこと。
僕の写真の方が、女性的で、
ありの写真の方が、男性的だった(笑)

ありの視点は、芯が通っている。
旅先の様々な場所で、あるいは日常で、
カメラを向ける対象は違っても、芯が変わらないから、
集めた写真に一貫性があるんだ。堂々としてるよ(笑)

彼女と共に展示できたのは、まじで光栄でした。
刺激受けまくりで、今後も頑張ろうと思わされました。


それから、遠く場所は離れていても、
あるいは直接かかわらなくても、周りで応援してくれたり、
祈ってくれたりした、たくさんの方々がいる。

本当に、全員にありがとう!



実はレイアウトの数日前から、風邪をひいちまって、
おまけに入浴介助が続いたりして、
のっぴきならない状況にもなってたんだ(笑)
これは僕のいつものパターンで、
何か大切な出来事の直前に、必ず体調を崩す。
おかげで気持的にも追い詰められたけれど、
先に挙げた、1人1人の方のサポートもあり、
何とか、切り抜けられた^^

普段の倍は祈り、当日の朝に症状がほぼ消えていたのにはびびった。


この期間…いろいろと自分の弱さ、ルーズさも示された。
つくづくそう思う。へたれだなあ、って^^;
でも、弱点がはっきりわかって良かったんだ。
直せる部分は、これから直していったらいい。

これから、個人的には”表現”という方法で、
神様の価値観を流していきたいと願っているから、
少しずつ、タフになっていかないとね。


と、とりとめないけれど、これが「リユニオンまでの軌跡」です^^



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小、中学のクラスメイト・ありとの2人写真展、
「リユニオン」がとうとう明日から開催するよ。

タイトルに込められた意味、”再会、再結成、同窓会”…、
それをひしひし感じながらの準備期間だった。

初めての写真展が、ありと一緒にできてよかった^^

今日は晩に5時間あまりかけてあれこれ作品をレイアウトしてきたので、
さすがにお疲れっす^^;
ちょっと詳細は明日へ譲るとして、
まずは場所と時間のインフォメーションしておきます!




写真展「リユニオン」

開催期間:10/1より1か月間

【場所】ミュージック カフェ&スナック じゅの

【TEL】0155-26-2322

【住所】帯広市西1南18

【営業時間】
12:00~17:00
19:00~24:00

【定休日】火曜日




僕は期間中、日曜日の午後には顔を出そうと思ってるので、
よかったら感想など聞かせてくださいね~。
お待ちしています^^



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展示の開始にあたって…。

まずは、ありに、感謝。
島さん、消しゴム版画のYさん、
N先生、ありの旦那さまに、感謝。

祈ってくれていた、あるいは応援してくれてた仲間に、感謝。

そして何より、すべてを導いてくれた、神様に特大の感謝です!

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