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Hold Me Jesus 2

北海道在住のジーザスフォロワー・taikaのブログ。CFNJ聖書学院にて研がれる日々。

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★毎日連続してブログを書き続けて、とうとうひと月目だ。
前にも言ったとおり、別に書くことが偉いわけじゃない。
だから自慢にもなんない。

好きでやっているだけなんだからね(笑)

でも何か、生まれてたぶん初めて、あることを毎日続けられたのが、嬉しい。
誰に強制されるでもなく、自発的に。
それほど義務感もなく。

神様、書くことを与えてくれて、ありがとう。
残しておきたいと思える体験をさせてくれて、ありがとう。
おかげで、1月のカレンダー、全部うまりました。

…ささやかな達成ではあるんだけど、僕の内側でそれは、希望になる。
まだまだ、できそうなことはあるかもしれないって。

それはもちろん、これを読んでくれている方にも言えることだ。
自分で自分を値踏みすることなんかない。
見切りをつける必要もないんだ。きっと。

僕らの価値は神様が決めるのだから。


…まあ、いつまで日刊ペースが続くかはわからない。
だけど、書けるうちはどんどん、
僕のありのままの姿を残していこうと思う。



【へなちょこ兄さんのバイブル行脚記録・3】

新約聖書、マタイ1-2。
あらら、旧約だけじゃなかったんだねえ(はじめにちゃんと表を見ようよ)。
でもいいです!まんべんなく読めるなら、それで^^

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★神様に委ねる、あけわたす…ぜひそうしたいと願っていながら、
その方法は今ひとつわかっていない気がする。
「自分で人生を運転しようとするのを止めて、
ハンドルはイエス様に握ってもらうようにしましょう」と、
ものの本にも書いてあるけれど、じゃあどうしたらいいものか(笑)

黙って、寝そべっていたらいいわけじゃない。

この肉体、頭脳、心はそれぞれ神様から与えられたものだから、
使ってこそ価値があるはずだ。
それであれこれ動くわけだけど、
それって、結局「自分」がやっているんじゃないか?

ロボットのように盲目的に従うのでもなく、クリアな意識を保ちながら、
なおかつ「あけわたす」ことはできるんだろうか。

結論から言ったら、できる、みたいだ。
バイブルを読んでいると、やはりイエス様はそのお手本なんだよね。
最初から最後まで、他者のためにその命を費やしている。
誰かの顔色を窺うでもなく、父なる神様に従い、
自分の使命をしっかり把握して、堂々とそれを果たしているんだ。

「あけわたす」って、神様の想いと、
自分の想いを一致させることなんだろうか。

そして、イエス様が神様の子でありながら、
人の姿になってくれたように、僕らに与えられた肉体も、
目に見えない神様が、この地上で目に見える働きをするために、
使われるのかもしれない。

ううむ、難しい^^;
これからもこのことは考えていく必要がありそうだねー。



「へなちょこ兄さんのバイブル行脚記録」

金曜日はどれどれ…どわー、イザヤ書1-6ですか。
イザヤファンの僕だけれど、けっこうな分量(笑)がんばりまっす!


イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
とはどういう意味か、行って学びなさい。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
罪人を招くためである。
(マタイ9:12-13)



★仕事場で、新しく入った方の教育係を仰せつかっている。

そのスタッフさんも一生懸命頑張ってくれているけれど、
なにぶん、デイの仕事内容は多岐にわたるので、
一進一退しながら、一緒に進んでいるところだ。

「教える立場」には、高慢への危なっかしい罠が含まれていると思う。
特に根拠もないのに、自分が上の立場になったような錯覚を起こしそうになる。

僕は人を見下すのが本当に嫌いだ。どんな理由であれ。

でもあれこれ指導しているうちに、
つい上から目線で人を見てしまうことがあり、愕然とする。
「なんでこんなこともできないの」なんてさ。
自分も初めて介護の仕事に入った頃は、何にもできなかったくせに^^;

神様が人を造られた以上、基本的に、人には上も下もないと思う。
どんぐりの背比べ。

そして「教える」っていうのは、相手が知らないことをわかるまで伝えて、
そこで得た知識や技術や発想を使って、
自立していくのを助ける、ということじゃないかな、と思う。本来は。

決してえばるための道具じゃないよね。
だから、履き違えないようにしたい。与えられている立場を。

…ある物事が「できる」人は、自分をどこかで正しいと思ってしまう。
できない人が悪いんだと、簡単に責めてしまうことも、あるのかもしれない。

イエス様は、「できない人」を憐れんでくれている。
イエス様ぐらい、あらゆることが「できる」方はいないはずなのに。
上から裁くのではなくて、同じ目線まで下りてくれて、
「あなただって、頑張っている。いいところがある」と、励ましてくれている。

病を患う人にとっての、医者となってくれている。
自分に力があって、誰かがそれを必要としているなら、
惜しみなく与えようとしている。

そのやり方に少しでも倣おうとするなら、
僕も、人を簡単には責められないはずだ。


★右側のリンク集に、「キリストの香り」を追加させてもらいました。
ガラス工芸の仕事をされているgrapevineさんのブログだ。
ひとつひとつの記事の、話題が「ぴっ」と立っていて、
わかりやすく読みやすい。

クリスチャンライフにまつわる、雑学的な回も多く、
僕も更新を楽しみにしている。

ぜひご覧になってみてくださいね^^



【へなちょこ兄さんのバイブル通読記録】

今晩はヨブ記の1-2を読みますー。よろしく!(誰に?)

この人と結婚していいの? (新潮文庫)この人と結婚していいの? (新潮文庫)
(2002/11)
石井 希尚

商品詳細を見る



★石井希尚さんの『この人と結婚していいの?』(新潮文庫)を読む。
今のところ、特にそう尋ねたい「この人」はいないわけだけれど(しょぼーん)、
男性と女性の思考や行動の違いがわかりやすく書かれていて、
読み物としてすごく面白かった。

著者の石井さんは、牧師兼、結婚カウンセラーもされている方。
通称、マレさん。

例えが絶妙だと思う。「男性が裁判官だとしたら、女性は体温計」とか。
確かに言えている。
男性はおおむね、事実・理性に基づいてその場をジャッジすることが多いし、
女性は、今、自分が温かい気持なのか、冷たい気持なのかといった
「理屈抜きの感情」を重視することが多いと思う。

あと、「男はウルトラマン、女はシンデレラ」も妙に納得がいく。

確かにウルトラマン的なんですよ。自分に置き換えても。

基本的に、頼られたいという気持が強いし、
誰かがピンチの時、問題解決に携わって、
それがうまく運んだらめっちゃ嬉しいし。

おまけに褒められたら、天にも昇る気持ちになる。

ただ逆に、「正義の味方」なばっかりに、相手に責められたら弱かったり、
長く問題に関わっていると集中力が切れてくる部分もある。
何しろ、ウルトラマンは3分間でカタをつけるわけだからね。


…対して、女性はシンデレラ的なんだそうだ。
世界でたった一人の王子様から、誰よりも愛されたいと願う、シンデレラ。

そんな女性陣が特に重要視するのが「セキュリティー」、安心感。
自分が大切にされているという、実感らしい。

どうしたらその実感が得られるかは、
先にも書いた感情のメーターによっても異なるから、
一概にマニュアル化はできないけれど、
基本的に、それを求めているんだって。

女の人の、理屈じゃない、「その時の気持」を大切にする。
具体的に、安心感を与えられるような行動をする。
それが、大切。

ふうん。なるほど。男のはしくれとして、わきまえておかなきゃね。
(女性の皆様、ほんとにそうですか??)

僕なんて仕事場では華道家の仮屋崎さんに似てると言われてみたりで、
どちらかといえば、「そっち方面の人」に
受け止められがちな人生だけれど(笑)、
こうして見てみたら、意外と、男なのだった。

と、僕のもうひとつわかりにくい感想は置いといて、
この本、とても面白かったですよ^^
もちろん、この区分けが絶対でないことは当たり前なんだけどさ。

お勧めします。既婚者にも未婚者にも。


★旧約聖書にもう一回、チャレンジ開始しようと思う。

まささんの言っていた、曜日ごとにジャンル分けされている通読表を
ネットで手に入れたので、それを使ってみる。
読んだところはブログに書く、ということにする。

追い込むなあ自分を(笑)

今日は水曜日…詩篇1-2章から、再スタートだ。
読みやすいところで良かったー。足ならしというか。
と、固い決意とは縁遠いへなちょこぶりで、開始。



★朝、あることで誤解を招き、一人の利用者さんを怒らせてしまう。
スタッフ間の連絡ミスが高じた結果、とうとう火の手が上がってしまった。
呼ばれて、すぐにボヤを消し止めに向かう。
直接、僕が招いたことではないけれど。

いやしかし、どんな理由であれ、怒られるのはきついですね^^;
三十路を過ぎて、かつては釣り糸より細かった僕の神経も
少しは太くなったかと思いきや、全くそんなことない。
心の中で「主よぉーーーー」と叫びながら、厳しい叱責の数分間をやり過ごす。

それから利用者さんに経緯の説明をし、
誤解も解けて何とかその場は収まった。ふうう。

…それから持ち場に戻り、慌ただしく入浴介助をしているうちに、
「こんなのって理不尽だ!」という想いが、急に広がってきた。
僕は悪いことなんかしていないのに、
何でこんな目に合わないといけないんだ?

もう、大人の分別もあったもんじゃない。悔しくてたまらない。
ちょうど風呂場で汗をかいているのをいいことに、
泣いてしまおうかとさえ思った(笑)


それでも昼休み(何かたいていの問題をこの時間に考えている気がするけど)、
僕の心に何故か浮かんできたのは、イエス様の十字架のことだった。
それはイエス様にとって、どれだけ”理不尽な”出来事だったろう。

一つも罪を犯さなかった方が、僕らの罪を代わりに購うために、
これ以上ないほどの極刑に処せられる。
こんなにきつい肩代わりがあるだろうか。

些細なトラブルでさえ、悔しくて受け止めきれない僕には、
こんなことができるはずがない。
他人の償いのために、自分の命まで捧げるなんて。

できないよ。

…なぜ、イエス様はそうしてくれたんだろう。
激しい理不尽を超えるくらい、僕らのことを「好きだった」からだと思う。
自分に怒りを覚え、罵り、死に至らせようとしている者さえ包み込むほどに、
その想いは強かった。

今日のトラブルも、そのことを気づかせるために起きたのだとしたら、
なんだか、少しは納得できそうな気がする。



★今日は髪様の話ではなく、神様の話^^

バイブル…特に旧約の方って、みんなどうやって読んでますか?
仮にもクリスチャンを名乗っているなら一度は通読してみたいと、
僕も何度かチャレンジしているんだけど、旧約…討ち死にする(笑)

新約は胸に響くし、それなりに全部読めているのに。
(「ヨハネの黙示録」には、わからないところもあるけれど)

旧約との、このギャップは何だろう。

世の中には便利なものが出回っていて、
毎日程よい分量でバイブルを読むための「通読表」ってものがある。
以前はそれにのっとって読んでいたんだけど、
こう、最後まで貫けないんすよ。途中で、こむらがえりが起きてくる。

旧約でも、詩篇やイザヤ書からは、
「神様すげえ!絶対に僕らを身放さないんだ!」と直球のメッセージを受け取れる。
まるきり全部、駄目というわけじゃない。

僕がつまづくのは、系図がたくさん出てくるところだ。
よく知らない人の名前がこれでもかと続いたりすると、
前の人と後の人の違いがわからず、ぼんやりしてくる^^;

あと、歴史もそれほど得意ではないから、
余計に苦手意識が高まるのかもしれない。

みんなどう読んでいるのかなあ?
登場人物や、時代背景なんかを、ある程度学んでおいた方が
取っつきやすいんだろうか。

分量も、少しずつがいいのか、まとまった量の方がいいのか。

…バイブルは神様から僕らへのラブレターみたいなもので、
語りたいことがたっぷり詰まっているからこそ、あの厚さになっていると、
以前聞いたことがある。

だから、読みたい。ラブレターなら読みたいじゃん。
でも、読み切れない。

ううむ、悩ましい。

★風邪っ気プラス、何だかわからない悪寒で、朝、起き上がれず。
結局、今日は礼拝をお休みしてしまう。すいません。

午後から少しだけ体調が戻ってきたので、意を決して美容室へ向かった。
もう髪が伸びも伸びたりで、
このままでは週末の休みまでカリフラワーのような頭で
過ごすことになりそうだったから。

しかし僕は髪を切るのがとにかく苦手だ。
もうひとつ気心の知れない美容師さんと、
30分余りをどう過ごしたらいいかわからない。

あと、希望のヘアスタイルをどう伝えたらいいのか、毎回悩む。
イメージはもちろんあるのだけれど、それを言葉にすると、
「あの、短めで、といっても刈り上げなくていいんですけど、
あんまりぴっしり揃えず、どこかぼさっとした感じで、
ジェルをつけて無造作にセットできるようにしてください」となってしまうんだ(笑)
どんな髪型なんでしょうそれは。

そんなことなら潔く丸刈りにしてしまえば、あれこれ考える必要もない、
とは思うけれど、ちょっと踏み切れずにいる。
なんだか、「別ジャンルの人」になってしまいそうで。

足首の辺りまで積もった雪の中を歩き、
なんとか美容室に辿り着く。いろんな意味でふらふら。
道すがら、「負けるな俺よ、ただ髪を切るだけじゃないか。大丈夫。Yes, I can!」
とパクりも交えて自分を励ました。
数回続けて通えているその美容室は、マスターの腕も確かで、
とても丁寧に仕事をしてくれる。
僕の拙い説明を技術でカバーしてくれて、
かなり希望に近く仕上げてくれるんだ。

じゃあ、いいじゃん。

でも、なかなか足が向かないのは、ひとえに僕の気遅れと
無駄に過剰な自意識のせい。
今日も30分の間、椅子の上でてるてる坊主みたいな格好になりつつ、
「あー、何を話そう。雪か。雪降ってるよな。
よしいくぞ…、あらら、マスター向こう行っちゃったよ」
とか思い惑っているうちに終了した。
床にはこんもりと髪の毛が落ちている。

さっぱりしたー。頭が軽い。これであとひと月半は持ちこたえられる。
それにも安堵した(笑)

しかしデイの女性スタッフさんたちはパーマをかけたり色を染めたりで、
行けば数時間は美容室にいるらしいけれど、とても信じられないよ^^;



★帰ってきてからはひたすら横になる。明日までに体を戻しておかないと…。


★仕事場で、突如として巻き起こった漢字の読み方クイズブーム。
いつもやっている頭の体操の一環として取り入れられて、
皆して首をひねったり納得したりしている。

さてここで問題。
難読名前の読みなんだけど、「小鳥遊さん」は、何と読むでしょう?
本当にある苗字らしい。

ものすごくとんちを利かせてお考えください。
答えは一週間後に、ってどこまで引っ張りますか。


…あっさり正解を言うと、「たかなしさん」って言うんだって。
鷹、無し。
恐ろしい鷹のいないところでは、小鳥も安心して遊べる、
というところから来た名前だそうだ。ひねり過ぎー。

それから、中国語の問題。「大熊猫」は、どんな意味でしょう?
これは誰でも知っている動物だけど、どこでも見られるものではありません。
答えは一週…もうええわ(笑)

答えは…「パンダ」なんだって。
見た目からてっきり「白黒熊」かと思っていたら、猫が入っていた。
猫をかぶってました。

…というような問題を出し合って、日中、すごく頭を使っている。

こうしてブログにも書かせてもらえて、一石二鳥だね。


★仕事終りに皆で向かったのは新年会。

うちのスタッフは職業柄、サービス精神旺盛なので、
めちゃくちゃな盛り上がりだった。
場所は秋田風の居酒屋で、
テーブルではきりたんぽ鍋が美味しそうに煮えていた。

宴が佳境に入ると、壁に飾ってあったなまはげのお面を被ろうとする人あり、
持っていたバンダナを次々と皆の頭に被せようとする人ありと、
よくわからない空気になって爆笑だった。
僕も頼まれていない特派員として、写真を撮りまくったよ。

いや、笑い疲れたのでへとへとだ。
というか、風邪っ気も少し忍び寄ってきているような^^;

今日はこのくらいにしますー。


★あることでボタンをかけ違ってしまい、あるところで誤解を招いてしまった。
午前中にそれがわかって、気恥かしいような、
自分を少しだけ責めたくなるような気持になる。
昼食前、利用者さんのトランプの相手をしながら、
意識はどこかでそのことの方へ向いている。

イエス様を知るまでの、自意識過剰のくせに自信のない僕だったら、
この手の失敗が起きた瞬間に重油を飲んだような苦い心もちとなり、
簡単に打ちのめされてしまっていたと思う。
いたたまれなくて、仕事にも手がつかなかっただろう。

「ああどうせこんな結果を招くぐらいなら、
はじめからやんなけりゃ良かったじゃん」とか思って、
簡単に諦めの方角へひた走っていたはずだ。

そんなことをしても、何にもならないのに。

…イエス様と関わりを持つようになってから、
イエス様は僕のそんな悪癖を、少しずつ取り扱ってくれている。

休み時間に入ってから、休憩室のパネルヒーターに背中をつけて、
僕はその失敗をじっくり見つめてみた。
猛烈に、恥ずかしい気持がふき出してきたけれど、それでも。
どこでボタンをかけ違ったかを探しだそうとして。
今回の場合は、具体的に書けないけど、はっきりそれがわかった。

今度はそれを「行動」に移す。
自分の言い方が間違っていたことを、誤解を招いた方に伝えられるように、
僕は連絡をとった。

イエス様が教えてくれた、失敗への対処法。
まずは光の中で、問題をはっきりさせる。
辛いけど、イエス様が一緒にいてくれるから、それができる。
つぎにその状況の中で一番必要な「行動」をとる。
説明だったり、謝罪だったり。諸々の。

一番大切なのは、「とりあえず逃げない」ことなんじゃないかと思う。
あとは、とりつくろわないこと。
布団をかぶっていても、自己嫌悪にさいなまれるばかりだし、
嘘を重ねても、大抵、良いことはない。

傷つきたくないから、逃げたくなる気持はよくわかるけれど(僕もそうだし)、
逃げない方を選ぶようにする。


何より素晴らしいのは、失敗しようが何しようが、
イエス様が僕らを好いてくれる気持には、何一つ変わりないということだ。
幻滅なんか、しない。
僕らが不完全で弱さも抱えた存在だと、イエス様は120%わかってる。

だって自分が捕まると知るやいなや、裏切って、
ケツをまくって逃げ出した弟子たちを、彼は赦したぐらいだから。

神様を信じているのに、なぜ失敗するんだろう、負荷がかかるんだろう。
そう思うことがある。
何かのご利益めいたものを、まだ心のどこかで期待しているらしい。
違うのに。そんな神様じゃないのに。

…僕らに降りかかる負荷の理由、それは、バイブルにこう書いてある。


「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはならない。
主から懲らしめられても、力を落としてはならない。
なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」

(ヘブライ人への手紙12:5~6)


「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、
悲しいものと思われるのですが、
後になるとそれで鍛え上げられた人々に、
義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」

(ヘブライ人への手紙12:11)


…すっと腑に落ちる気がする。

これは鍛練なんだね。
育児に例えるなら、「しつけ」とも言える。
神様は僕らを愛しているからこそ、子どもとして認めているからこそ、
しっかり鍛えて(しつけて)くれようとしているんだ。

どうでもいいと思っているとしたら、そんなことわざわざしないよね?

その時は、「なんでこんな恥ずかしい、嫌な想いを?」と
思ってしまうかもしれないことでも、必ず神様のプランにおいては意味がある。

むちゃくちゃに理不尽としか思えない出来事の中にだって、きっと。

それを通して整えられる、何かがある。
ささいな問題でも、大きな問題でも。

そしてその全てに、いつでも、神様は、イエス様は寄り添ってくれている。

だから、失敗しても…おしまいなんかじゃないんだと、改めて思った。

★今年に入って、ブログが続いているなあと思う。
別に続けていることが偉いわけじゃないんだけど、
飽き性の僕としては本当に珍しい。初めてかもしれない。

もともと、2009年の目標を「ストイック」に設定したとき、
何かひとつだけでも「継続」してみたいと思ったんだ。
途中で何でも投げ出す癖を克服したいって。

蓋を開けてみたらそれが、ブログだった。
前にも話した、10年来web日記を書いてきた
知り合いの兄さんに触発されたこともある。

…冷静に自分の文章を見たら、たいしたことは書いてない(笑)
メッセージ性に乏しい、いわゆる身辺雑記のようなものだからさ。
筋道たった話題もないしね。

ただ、日々過ごしているなかで、生きて働かれる神様の業は、
しっかり見つけて、記録していきたいと思う。

へなちょこな部分も多々ある一個人が、
神様とどう向き合っているか。

そうして、ささやかな気づきを積み重ねて、
静かに自分の価値観を、神様のそれに、入れ替えていきたい。

洗脳だとか、理性を失うだとかいう、しょうもないことではなくて。

せっかく信じているんだから、
神様が考えていることを、僕も考えてみたいんだ。
神様が感じていることを、僕も感じてみたいんだ。
世の中の”常識”と呼ばれているものを超えて。
過去に背負った重荷を捨てて。
曇った心のフィルターを磨き直して。

…僕はきっと、世の中では寄留者であり続けると思う。
かすかな違和感を抱えたまま、これからもやっていくはずだ。
どこへ行くにしても。

でも、そういう担当部署にあることで、
感じられる何かがあるのなら、
神様はそこにもきちんと意味を与えてくれるだろう。

時には休んでしまうこともあるかもしれないけれど、
書けるうちは、ブログを書き続けようと、思う。

がんばりすぎずに、がんばろう。

★お休みの一日。完全リフレッシュデーと銘打ち、仕事のことは考えずに過ごす。
まずは休日の定番、図書館散策をこなし、日野原重明先生の本など借りてきた。

昼からは崖っぷちのポニョこと、もんぶらんと落ち合って、カフェへと向かう。
Yシャツにネクタイ、ジャケットをはおり颯爽と現れた彼だったが、
車のハンドルを握る手につけているのは軍手(笑)
理由は寒いから、とのこと。ごもっとも。


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今日伺ったカフェはフランス人のご主人と日本人の奥様とが営まれている、
minou minou(ミノーミノー)というところ。
映画『かもめ食堂』ファンの僕には琴線直撃の、落ち着いたお店だ。
各種クレープがメインメニュー。
僕らはガレットという、そば粉を使った甘くないクレープを、
お昼ごはんに注文する。
待つ間、もんぶらんが少し席を離れた時に、
ご主人とお話したら、同い年だと判明しお互いびっくりする。


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サーモンと水菜ののったガレット、初めて食べたけれど、
程よい塩気と少しの苦味を、クレープの生地が中和してくれて、美味しかった。
ご覧のとおり、もんちゃんの頼んだ卵入りのやつもいいよね。
食後のデザートに、甘いクレープも注文する。
こちらもチョコがたっぷりからまっていてうまかったよー。


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…食事しつつ、もんぶらんと怒涛の神様トークを交わしていると、
厨房からご主人が出てきてくれて、にわかフランス語講座が始まる。
実はもんぶらんはフランス語が堪能なので、
あれこれご主人と話していたが、こちらはちんぷんかんぷんだ。
せめて韓国語で喋ってくんないかなあと思う^^;

でも僕も簡単な挨拶なんかを教えてもらって、喜んで使った。
ここが帯広だってことも忘れて。
ボンジュール、ジュマペル、タイカ。こんにちは、タイカっていいます。

すっかり寛いで、夕方に席を立つ。
僕の誰にも頼まれていない報道魂が燃え上がり、最後に記念撮影した。
ちなみにご夫妻に「『かもめ食堂』観たことありますか?」と尋ねたところ、
「何回観たかわからないです」とのこと。やっぱりねー^^


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↑ご主人。さすがにきまってるね!


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↑店主ご夫妻、そしてもんちゃん

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↑置かれた小物もセンス良しです


初めて会ったお客さん同士も、不思議と親しくなれそうな雰囲気のお店です。
市内にお住まいの方、機会があったら行ってみてくださいね!




cafe creperie minou minou

住所:北海道北海道帯広市西五条南21-2-1
電話:0155-67-6909
営業時間:11:00〜20:00
休業日:火曜日

※ちなみに、1/22から2/7までは冬休みとのことです。

★余力と空元気で乗り切る、仕事終りの楽しい残業タイム。
今年成人式を迎えた二十歳の娘さんと並んで、
レクレーションの得点板をつくった。彼女がすごい。
マジックを動かしながら、ひっきりなしに独り言を呟いている。
「あちゃあ、このペン出ない」とか、「はみ出しちゃったー」とか。

たまらず僕は問いかける。

僕「何でそんなに独り言多いの?独り言ファン?」
新成人ちゃん「いやあ、よくわからないけど、つい言っちゃうんですよ」
僕「ああ、それは若さの象徴だねー。誰でも一度は通る道。
  俺も二十歳の頃はずっと独り言を言ってたよ。
  部屋に一人でいるときは、もっぱら九九を呟いていたさ…」
新成人ちゃん「嘘でしょ」
僕「すいません」

…結局、独り言の謎は解明されず、
得点板だけが騒々しいなか完成したのでした(笑)


★それから新人さんに、お風呂場でリフト浴のやり方も教える。
電動式のリフトで、専用の車いすを持ち上げ、
お風呂に浸かっていただくための方法だ。
口だけ言っても伝わりにくいと、僕が利用者さん役になり、
実際に手順を一から踏んで覚えてもらった。

それで途中、リフトも最大限に上げてもらったんだけど、
これが想像以上に高い。
はっきり言って…怖いっす。
手足の自由が利かない方なら余計だろう。

利用者さんは普段、この位置から下を見ているんだ。

相手の立場に立つっていうのは、案外難しいよね。
わかっているつもりが、意外とひとりよがりになっていたりする。
リフトを上げている僕らスタッフが、
この程度の高さならきちんと支えているし大丈夫だろうと思っていても、
実際に椅子に座っている利用者さんが感じる風景は違う。

そこのところにもっと配慮しないとね。よくわかりました。

僕が下りたあと、新人さんにもリフトに乗ってもらった。
やはり「思ったより高い」と感じたみたいだ。
その実感が大事。他人事じゃなくなるっていうのが。

そこから、利用者さんを不安にさせないための工夫が生まれるから。

★昨日の晩からとんでもなく雪が降った。
今朝は、ふくらはぎの半分まで埋まりながら
小学生の集団に交じって通勤した。

東北の人には甘ちゃんだと叱られそうだけど、
犬ぞりか、かんじきが欲しいよー。
あるいは自家用ヘリ(何さまだ!・笑)


★本人の顔がしっかり見える人は、かっこいいと、ふと思う。

ここで言う”顔”は、飾らない本心を指す。
そこには、裏も表も見栄も立ち位置もない。

僕が勝手に心のメンターだと思っているKBFのロブ先生や、
ICBCのジョシーも、そんな人たちだ。
ネットでメッセージを聴いているだけでもそれを感じられる。

二人とも、体験談を語ってくれるんだ。
うまくいったことにしても、失敗したことにしても。
生きた神様と、どう関わっているか。
言っていることに、行いが伴っているから説得力が半端ない。

弱さをオープンにできるところも素晴らしいと思う。
ロブ先生は過去に自分がそれほど熱心なクリスチャンで
無かったことを挙げて、失敗から何を学んだかを伝えてくれるし、
ジョシーも昔、牧会に熱心になり過ぎて、
足もとの家族をどこかないがしろにしてしまったことを、
隠さずに話してくれている。

ここまでリスペクトできる人たちが、
弱さや失敗をありのままで神様の前に差し出しているんだから、
僕もできる限り等身大でいたいと思わされる。

オープンになるのは、別に怖いことじゃないんだって。
神様に受け入れられ、赦されているからこそ、そうできるんだって。

そんなお二人がリスペクトしているのが、イエス様だ。
イエス様ほど飾らない人はいない。

地位ばかり偉いやつの顔色をうかがいもしなかったし、
逆に周りの人々に威張り散らすこともなかった。
立場を守ることに何の興味もなく、
いつでも彼は彼のままでありつづけた。

かっこいいー!

僕がイエス様を信じるのは、かっこいいからだなー。
男の中の男だから。憧れているから。

僕の見た目はマッチョとは程遠い。
ただの痩せぽっちの草食系男子だけど、
せめて内側は、飾らない、顔の見える男でいたいよね。


★どうでもいいようなプチ喜びシリーズ。
今日、昼休みスタッフルームでナースさんとご飯を食べている最中、
血液型の話になった。
そこでわたくし、O型だと間違われました。いえーい。

あのO型さんのおっとり加減、
他の人への寛容さに憧れつづけて苦節十数年…(嘘)
多少なりとも、ようやくそのような雰囲気を醸し出せたかと思うと嬉しい。
実はばりばりのB型男子だけど(笑)

まあ血液型はともかく、「おっとり」は僕のこれからのテーマだなー。


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★朝から外は猛烈に冷えている。
歩いて教会に向かったもののむき出しの素手がじんじんしてきたので、
急きょ途中の薬局で手袋購入。全然違うね。

教会近くにある公園の温度計は、-8℃を指していた。

今日の礼拝には、札幌バプテスト教会副牧師の石橋先生ご夫妻と、
ユースの皆が十数名も来てくれた。
会堂を埋め尽くす人々。
祝福の度合いは数でだけ測れるものではないけれど、
大勢で神様を讃美できるのは嬉しい。

賛美といえば、札幌ユースの皆が前に出て歌ってくれたのがすごく良かった。
若者だけのクワイヤがあって、
週に集まっては練習しているというからうまいのは当然だね。

石橋先生のメッセージは旧約聖書の「エステル記」から、献身について。
年齢、性別、その時の状況に関わらず、
神様の招きに応じて歩む者がいることで、
その想いが周りに連鎖し、いろんな物事を変えていく力になる。

神様は「変えられた人」を用いて、他の人を変えていくんだね。

礼拝後、カレーとジンギスカンの昼食をとる。札幌の皆は、
午後早くに出発しなくてはいけないので、少し慌ただしかったけれど、
何人かの方とお話できて良かった。
バプテスト連盟には、最近新しく北海道全体を見据えたユースの会
「スタンダップ」というのができたんだけど、
そのスタッフのOさんにも初めて会えた。
あとは天然系ナイスキャラの男の子がいて、速攻でメアドを交換した。
友達になれたらいいなー。

しかし札幌の皆さんは、専任牧師のいないうちの教会を支援するために、
わざわざバスまでチャーターし、朝の五時から向こうを出て、
やってきてくれたわけで、本当にありがたい話だ。
だって自分が札幌行くこと考えたらさ、そんなに簡単じゃないもの。

皆さん、どうもありがとうございました!(ぺこり)
写真は載せる許可がいただけたら、改めてアップします。
石橋先生夫妻が男前&美人カップルで驚きまっせ。
一緒にいた赤ちゃんも可愛かった。
いや、来てくれたからお世辞言ってるわけじゃなくてさ^^

あと、本日一番嬉しかったのは、バスの運転手さんが、
初めて教会の礼拝に参加してくれたことだ。
神様ファミリーと賛美を捧げるのも喜びだけど、
神様知らない方に少しでも教会の雰囲気や、
クリスチャンの姿を見てもらえた。

種まき種まきー。



★ちなみにユースの会「スタンダップ」では、
三月終わり頃に修養会を企画中!
修養会とはいえ、堅苦しい雰囲気じゃないと思う。
皆で繋がりをつくり、賛美の集会をもち、
楽しく過ごせるはずだから、期待していきたい。
詳しくはまた告知しますね。
バプテスト連盟以外の人も大歓迎らしいです。

しかしグロといい、このスタンダップといい、札幌、元気だよなあー。

できた繋がりや流れを、神様がどう用いられるか、超楽しみ。
僕もできそうなことは、じゃんじゃん手伝ってくつもり。

★デイサービスの仕事を、大変ながらもそれなりに楽しんで出来ているのは、
「ものづくり」に関わる時間が案外多いからかもしれない。
ここはただお風呂に入ってもらって、食事を提供して、体操して…
といった流れ作業の工場めいた場所ではなく、
「楽しみ」をつくり出す所だと思う。

僕はずっと創作に強い興味を持っているけれど、
つくるものはまだまだ中途半端。
それでも、デイの余暇活動でやっている、塗り絵のカレンダーや
貼り絵の下描き、バースデーカード用の記念写真、
利用者さんのカラオケで、箸休め的に歌わせてもらう歌で、
少しずつ表現の楽しみを教えてもらっている。
仕事をしながら所々で修行しているようなものだ。

そのうえ、ささやかながら自分のつくったものが
人に使ってもらえる喜びもある。
基本的にそんなに自信満々じゃないから、外からの評価って嬉しい。
心が温められます。

…きっと、僕が本当にしたいことは、こういうことなんだろうな。

既成概念に捉われずに、新しい「意味」を創り出すこと。

今も来月の節分の時、壁に飾る貼り絵を、皆で制作中。
クリスチャンのくせに鬼のイラストなんか描いて
神様にすいませんって感じだね。
でも、めちゃめちゃポップにしてお茶を濁しました^^;

仕事で一番手ごたえを感じる部分が、
介護のど真ん中な部分じゃなくてなんだかちょっとアレだけど、
神様がくれた修行の場がデイで良かったと思ってる。


★とか何とか言いつつ、やっぱり無理しているんだと思う。
アーサー・ホーランドさんが「忙しいって字は心を亡ぼすと書く」と言っていた。
当たってる。

もともと僕は完ぺきな自己チュウ野郎で、好きなことしかしたくない性質だから、
こうして他の人のことばかり考えていると、実はけっこう荒んでくるんだ。
もちろん単純にリフレッシュも必要だけど、
この部分は、まじで神様に変えてほしいと願っているところ。

イエス様は自分を見失わず、誰の顔色もうかがわずに、
他者のために尽くせた。
僕らのために命まで賭けてくれたんだから半端なさすぎる。

その秘密が知りたいよなあ。

マザー・テレサにしても、どう自分の自己中心性と
折り合いをつけていたんだろう?

怒涛の忙しさの中で、心を亡ぼさずにいられた秘訣は、何だろう??

そんなことを考えている。

★昨日書いたエントリーに、好意的なコメントを頂けてとても嬉しかった。
僕は褒められてなんぼのタイプだし、自分が書いたものを通して、
たった一人の人にでも神様のことが流れていくなんて感動するし。

ありがとうとしか言いようないっす。
神様に、コメントくれた方に。

ただ…僕には褒められるとつけ上がるという悪い癖がある。
良くも悪くもハイとローが過剰なんだ。

今回みたいなことがあると、
「よし、この正直者路線で行こう。
そうしたら少しでもたくさんの人に見てもらえるかも」
とか思って、訳のわからない自己プロデュースを始め、
するすると神様から離れてしまいそうになる。

それはあまりに本末転倒なので、気をつけなくては。

気をつけながら、自分を取り繕わない練習を、この場所でしていこう。

つくづく、見栄なんか張っても仕方ないと思う。
主は僕らの全てを知ってくれていて、なおかつ、
「それでいい。そこから始めればいい」と言ってくれているんだから。

幻滅するでも、見放すでもなく。

もちろん「そのままでいい」というメッセージは、
怠惰でいることの言い訳にはならないはずだ。

神様は僕ら一人一人を通して、ご自分の生きた働きを示そうとしているわけで、
それは、黙って尻をかいていたら実現するビジョンじゃない。

行いや、神様に向かっていく姿勢は大切だと思う。

でも…それは、恐れや条件づけに駆り立てられながらすることではないよね。

そういったものに、「させられる」のではなくて、
「したいからする」んだ。そうだよね?

だって自分を条件なしで受け入れてくれる人がいたら、嬉しいじゃん。
その人と仲良くなりたいし、その人を喜ばせたいじゃん。

イエス様と僕らの関わりって、そんな感じだと思う。

また理想を語っているだけかもしれないけれど、
その実感を、これからも追い求めていきたいと思う。



★記事のタイトルは、いつも文章を書き終えてからつけている。
今日は、脈絡ないから難しいねー(笑)

★今日は朝・夕の送迎、プラス日中に、早退する利用者さんを送ったこともあり、
計三時間ばかり車に揺られてきた。しかも夕方からは社員会議。

少し前に帰り…くらんくらんになっております。って、誰に報告していますか。

最近は疲れのせいかいつもより早めに寝つけている気もする。
これは良いようなそうでもないような。


「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」

これはイエス様が山の上で、集まった弟子たちに語った最初の教えだ。
イエス様はとことん、僕らのことをわかってくれていると思う。

右下のブログパーツ、KiTTくんは、
僕に「あんた清い感じ」とお世辞を言ってくれる。
でも全然そんなことはない。僕はいびつだし、心は貧しい。

いろんな物事に勝手な理想を抱いては、うまくいかないとすぐに幻滅する。
頻度こそがっつり減ったものの、時折、エロの誘惑に屈することがある。
To Doリストを作ったはいいが、リストごと忘れてる。
めんどくさいことは他人にやってほしいし、
自分は上澄みの良いところだけ味わっていたい気持ちも、ある。

神様を呼び求めながら、この体たらくは何だろう。
ストイックが聞いて呆れます^^;

「心が貧しい人」、これを僕の言葉で言いかえると、
「こんなことじゃ愛されないと、どこかで思っている人」になる。

自分は完璧でも何でもないし、誰かに愛されるような値打ちなんか
たいして無いと思っている人。

でもイエス様は言ってくれる。そこまでわかっているなら十分だよ。
それでも私は、あなたたちを好きだよと。

鼻高々に、変に威張るよりいいじゃないか、って。

天の国とは、いずれ僕らが向かうことになるところだ。
神様と何にも遮られることなく、直に、ずっと一緒にいられるところ。

それを、僕らに下さるとイエス様は言う。

それはいびつで不完全な僕らと、いつまでも一緒にいてくれるという、約束だ。

個人的な話だけど、例えば肩書きやら、スキルやらを全部はぎとったときに、
僕に何が残るかというと、「自分が至らないという焦り」なんだ。

まだまだ駄目だ、あれもしなくちゃ、これをうまく出来なくちゃ、
神様にも人にも受け入れられない、と本心では思っているみたい。

でもイエス様は、焦らなくていいよって言ってくれてる。
あなたを変えるのは、わたしだって。

ちょっと思っただけでも、すげえ嬉しいなー。
本当にそれを受け入れたいよ。実感したい。


本心が安心したところから、本当の成長は始まるのかもしれない。

★今日は仕事帰りに教会に顔を出してきた。
ウォークマンを聴きながら、がびがびの雪道を歩いていく。

7時半からの祈り会。
ユースのnanoとも入れ違いで会えたし、
久しぶりに、若き文士・もんぶらんとも顔合わせ。
バイト先の仕事はけっこうハードらしいけれど、元気そうでなによりだ。

さすが正月から向こう、
主食はミカンで暮らしていただけのことはあるね。

祈り会では、「集中して祈る」ことをみんなで学んだ。
一人がいろいろな課題を挙げて祈ることも勿論大切なんだけど、
課題を一人一つに絞って、ぐるぐる回しながら祈ると、
よりシンプルに、集中して神様に想いを馳せることができる。

実際やってみたら、「あれも言わなきゃ、これも言わなきゃ」といった
義務感みたいなのがなくて、今の自分の願いがそのまま出てくる感じだ。

なかなか良いと思います^^

祈りの中で出てきた、僕らの願い。

神様をもっと、直に知りたいということ。
新しく3月から赴任してくださるM先生について。
18日に教会に来てくれる、札幌のユースの方たちへの感謝。
今日、共に祈れたことへの感謝。
新しく教会に足を運んでくださった方が、ますます神様に触れられるように…。


会が終わってからは、もんぶらんと、これから制作予定の
ワーシップミニアルバムの打ち合わせをする。

人間ジュークボックス・もんぶらんがギターをかき鳴らす中で相談し、
いろんなジャンルで賛美しようと決定。

既成のパターンにとらわれずに、いきます。

僕は楽器も弾けないし、もんぶらんにおんぶに抱っこだけど、
神様への想いを形にしていきたいと思ってる。

完成の暁にはこのブログで公開…も出来たらいいなあ^^

★今日、スタッフを通じて、うちの利用者さんが急に亡くなられたのを知った。
先週の終りに、「じゃあまた待ってますからねー」と
握手して見送ったばかりだった。

まだ若い方だった。

茶目っ気があって、会える日はいつもお互い小さないたずらをしあって、
笑ったりしていた。

…この、ぽかんとした気持は何だろう。

こういう仕事をしている以上、今までだって同じことはあった。何回も。

でも、全然慣れることはない。

やっぱり、「一緒に過ごせているその時」が、大切なんだと思いかえす。
その最中は、思うに任せなかったり、
自分の状態によっては、めんどくさかったりさえするかもしれないけれど。

時間は絶え間なく流れていくし、
会える機会そのものが、こうして無くなってしまうことだって、あるんだから。


そしてデイサービスという、この仕事って、
大袈裟に言うなら、誰かの人生の終わりの、
とても楽しかった想い出になり得るんだ、とも思った。


神様。

ただの感傷なのかもしれないって、わかってはいるけれど。

願わくばあなたの大きな御手の中に、
その方が招き入れられますように。

★昨日横になりつつ聴いた、KBFのロブ先生のメッセージが、
「新しい人になりたい」という僕の今の気持とばっちり合っていた。
タイムリー過ぎて驚いた。

ロブ先生が言っていたのは、
「罪の意識や、恥を打ち破ることで、僕らは神様の前に成長できる」ということ。

前にもこのブログで言ったとおり、
僕らは意外と、過去に抱いていた価値観から、抜け出せない。

両親が、親としての務めを果たさない人だったから、わたしは○○できない。
以前、つきあってはならない人と、関係を持ってしまっていたから、
わたしは結婚なんかできない。
わたしは無能だから、容貌だってたいしたことないから、○○してはいけない。

捨てたつもりでも心の奥底に残ってしまった罪の意識、恥。

でも、「過去」はイエス様の十字架によって、清算されているんだ。
そんなご都合主義あるわけないじゃんと、思ってみても。

今は過去の価値観が重すぎて、立っていられないくらいで、
暗いトンネルの中にうずくまってしまうような気持かもしれない。
けれど、トンネルには出口がある、とロブ先生は言う。

イエス様という、光に向って、進んだらいいんだって。


もうひとつ、ロブ先生が寝る前に実践していることで、
とても参考になりそうなものがあった。

それは、「夢をみること」
寝ている最中の夢ではなくて、想像の助けも借りて広げる、ビジョンのことだ。

そのビジョンの中で、ロブ先生は森にいるという。
四方を木々に囲まれた中で、先生はイエス様の臨在を強く感じる。
これ以上ないほど強く。

そして、抱いてきた罪の意識や、恥を、イエス様の前に差しだすんだ。
圧倒的な、解き放たれた、気持。

…さらにロブ先生は想像する。

自分の周りの、イエス様を知らない人たちが、
この解放感を本当の意味で実感できる日が来るのを。

何千人もの人たちが、喜びに満たされるのを。


もちろん、イエス様は現実の方だ。
僕はそれを信じている。

だから、「想像の助けを借りるなんておかしいじゃん」という意見が
出そうなのもわかる。

ロブ先生もそれはわかっていると思う。

ただ、主がリアルな方であっても、
その働きがあまりにも大きすぎて、僕らのキャパにはおさまりきらないことが
あると思うんだ。

それを埋めるのが、ビジョンなんだと思う。

主への大きな信頼というか。

そして、それを諦めずに握っていたら、
主ご自身が、ほんとに実現してくださるはず。

そう、信じよう。少なくとも、信じないより、信じて賭ける方が、
個人的には、ずううっと、幸せ。


いや…良いメッセージを聴きました^^


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★朝、真っ白な道を歩いて教会に向かう。
角を曲がるごとに、誰かが雪かきしていた。

水をふくんだ雪が少し固まって、道路はつるつると滑る。
Wii Fitも顔負けのバランス感覚で進んでいった。

礼拝メッセージは、テモテへの手紙2:20から、「器」の話。

「さて、大きな家には金や銀の器だけではなく、木や土の器もあります。
一方は貴いことに、他方は普通のことに用いられます。
だから、今述べた諸悪から自分を清める人は、貴いことに用いられる
器になり、聖なるもの、主人に役立つもの、あらゆる善い業のために
備えられたものとなるのです」


大きな家=神様の家の中には、いろいろな器がある。
僕はつい、材質をみて、あれは立派な器だとか、
あれは二束三文だとか言ってしまうけれど。

本当に大切なのは、どう用いられるか、なんだよね。

外側だけに気をとられる必要はないんだ。
内側に、神様が何を注ぎ、何の目的のために使われるか。

その方が、大事。


★家に帰ってからは、三時頃に起きた地震に驚かされたりしつつ、
仕事場で新しく始まる企画の資料をつくる。
PCで写真を加工しているうちに、ふと、架空のものづくりユニットを
立ち上げようという気になった。また例によっての、ごっこ遊び(笑)

名前はぽかんと頭に浮かんだ。
「レイルウェイ」なんてどうですか福井さん。

レイルウェイ。線路。ひかれた二本のレール。
その上を、一輪車が通るはずもないわけで、
必ず、二つの車輪が廻っている。

一方はイエス様、一方は自分。
線路はただ、神様へと向かう。

そんな意味合いで名乗ってみたい。
鉄道とはあんまり関係のない感じだけど。

後づけの理屈ながらなかなかのもの、とか思って、
今後しばらく、「レイルウェイ」として活動します。
って、誰に宣言してるんだか^^

もんぶらんにも混ざってもらって、いろいろやってみようっと。

★天の扉が開かれて、降ってきたのは雪でした。
朝から晩まで休みなく。
仕事も終わり、センターを出てみれば辺り一面真っ白で、空はほのかに明るかった。
ふくらはぎの半分ぐらいが埋まってしまうほど、雪は積もってた。
こういうときは、車道の端を歩くのがお勧めだ。
車が通って、比較的、道がならされているから。

沖縄の人にはあんまりピンとこない、ちょっとした北国生活の知恵。


★最近のお悩み。

寝れないんすよ。正確に言うと寝つきがめっちゃ悪い。
横になってから寝入るまで1、2時間とか、平気でかかってしまう^^;
ベッドには湯たんぽをしこんであるから、環境としては快適だし、
仕事のうえで気の重くなることも、今はない。なのに、何故??

眠れぬ子羊は、音楽や礼拝メッセージを聴いたり、眠りについて考えたり、
祈ったりして、この若干ちゅうぶらりんな時間を過ごしている。

床についたらすぐ爆睡の、のび太くんが羨ましい。
僕も鼻ちょうちん出して眠りたいんだ。

さて今晩は、どんなもんだろう。


★こうして文章を書いていると、いつももどかしい想いがする。
通り抜けた日々の実感や、感じたことを、ありありと描けていないから。

このブログの根っこに流れる目標は、神様を伝えていくことだ。

そのために、もっと文章がうまくなりたい。
武器を磨きたい。

おもしろかったことを、おもしろいままに。
うれしかったことを、うれしいままに。
切なかったことを、切ないままに、書けるようになりたい。

そして血の通った神様の話がしたいんだ。

現状を見ると悔しくてたまらないけど、悔しいままで、
出来る限り続けて、たくさん文章を書いていくしかないよね。

前に読んだ斎藤孝さんの本に、
「物事はひたすら数をこなしていくと、ある時を境に
質が飛躍的に伸びていく」と書いてあった。

だからひたすら、取り組んでみよう。

誰に読まれても、読まれなくても。
★去年のEC08。

これは年末にアメリカで行われた、
外国に住む日本人クリスチャンを励ます集会なんだけど、
ツトムのブログにアップされている映像を見せてもらったら、
いや本当に楽しそうだし、熱気に満ちている。
ツトムや、旅を共にしたみちやくんたちは、若き使徒みたいだね。
あちこちの集まりに加わり、その場をさらに活性化させ、
絆をつくりながら次の場所へと向かっていく。

ひるがえって、ナチュラルボーンネットワーカー・にっちのブログを見れば、
そのEC08の年末カウントダウンと、
グロの集会が中継で結ばれ、
一緒に喜びを分かち合っているではないですか。

何ちゅうか、21世紀版、使徒言行録を見るような感じ^^
聖霊の風が吹きまくってるねー!

居場所は違っても、この大きな働きを起こしている、
同じ神様を信じられているなんて、嬉しくてたまらない。
神様には思った以上のことを期待してもいいんだと、改めて感じた。



★思ってた以上のこと、といえば。

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」
(第二コリント5:17)

バイブルのこの箇所を、本気で受け取ってきていなかったと、
最近強く感じてるんだ。
神様を知るまで築いてきた価値観にしがみつく必要はもうないはずなのに、
それが意外と根深く自分の内側に残っているのに気づく。
しかも、そうした価値観はたいていネガティブだったりするから厄介だ。

例えば、僕は自分で「人見しり」だと思って過ごしてきた。
心の基本方針がそんな具合だから、いきおい、
人と接する時の態度にも気おくれが出てきちゃう。
でもそれ、本当にそうなのかな。
ただ、「接し方がわからない」だけかもしれないじゃん。

神様が、人と繋がることも贈り物として下さっていたはずなのに、
受け止めきれてなかったのかもしれない。もったいないね。


得られないものを諦めていくのが、生きていくことだと、どこかで思っていた。
その考えをイエス様がひっくり返してくれた。
僕はこの先に、希望を持っていいし、
重い荷物はイエス様の前に降ろして構わないんだ。

そのことが、あまりに凄すぎるから、逆に受け入れにくいのかもしれないね。
自分が新しく変われるなんて、そんな自由が得られるなんて、
思ってもいなかったわけだから。
厚かましいとさえ思えてしまう。

でも。

イエス様に繋がった僕らは、新しい人になる。
過去に、どれほど辛い出来事、虚しい出来事、
傷ついた出来事があったとしても、
それは、過ぎ去るんだ。気休めじゃなく。

手を放しさえすれば。

そして現状がどうあれ、これからは神様の配慮の中で、
新しい人生を歩んでいける。
変化はほんの少しずつかもしれないけれど、諦めなければ必ず、
神様が僕らを造りかえてくれる。


…年末から最近にかけて、神様のことが知りたくてたまらなかった。
でも気づいたんだけど、僕が求めているのって、”体験”だったんだよね。
そのことによって確信したかったんだと思う。

ただもっと大切なのは、約束にしがみつくことだ。
神様を信頼すること。

もちろん、体験だって素晴らしい贈り物だけど。


「人生なんてこんなもの」という、悪魔くんの嘘に飼いならされたくはない。
「これが現実だ」とか言って、うつむいていたくない。

思い通りにならないからって、いろんなことを諦めるのは、簡単だ。
でも神様は僕らのことを諦めてはいない。


もう一度、声を大にして自分に言い聞かせておく。
「イエス様に繋がっていたら、新しい人になれるよ。
それ、神様の約束だから間違いないぜ!」


★午後の新年会、とうとうスタッフ寄せ集めバンドによる演奏で、
3曲ばかり披露した。
「涙そうそう」「明日があるさ」「空も飛べるはず」。
メンバーそれぞれ昼休みにまで自主練をし、
本業が何だかわからなくなった頃に本番を迎える。緊張した。
出来は70点ぐらいかなあ^^;
皆自分のパートがいっぱいいっぱいで、
他の人と足並みを揃えるところまで意識がいかなかった。

でも利用者さんからは「よく練習したねえ」なんてお言葉を頂いて嬉しかった。

…他の人と何かをするのって、難しい。大抵、思うにまかせない。
けれど、流れがうまくはまった時の達成感は素晴らしいよね。

例えば仕事場の業務でいうなら、入浴介助。
脱衣室の着脱係1人、中の浴室2人で1日平均20名ほどの
利用者さんに入浴してもらっているけど、
洗面台に空きをつくらず、
常に人が埋まっているぐらいのペースで進めないと、
こなしきれない人数だ。
だからといって芋を洗うような適当なことは絶対にしたくないから、
そこはもう、スタッフ同士の連携でカバーしている。

入浴介助は、慣れているスタッフ同士でやると、
終わった後、スポーツの試合をしたような爽快さがある。
利用者さんが体を洗っているうちに、
着脱係が次の人を連れてきて、服を脱いでいてもらう。
で、洗身を終えた方が浴槽へ向かったら、
すぐに次の方が空いた席に入る…って具合に。

利用者さんの体の状態、脱衣の速さ、湯温の好みなんかを
把握していないと、こう綺麗にはまわせないわけで、
いつも他のスタッフに感心してしまう。

あと、スタッフ3人がそれぞれ、テレパシーのように
お互いのやることを予測できたりするのも面白い。
あ、もうそろそろ車椅子を持ってくる頃、と思ったら本当に来たりね。

連携の大変さ、喜びを感じながら、毎日仕事をこなしております。

クリスチャンの繋がりも同じようなものかもしれない。
1人1人性格も違えば、出来ることも違う。
神様はそれぞれに異なるプレゼントを下さっている。

それをうまく連携させて、同じ目的のために働くとき、
とてつもない広がりとパワーが生まれると思う。
仕事の時でさえこんなに達成感があるんだから、
神様の働きだったら、なおさらだよね。


★明日はお休み。だけど夕方に会議ありで結局完全休養ならず^^;
昼間は年明け初の図書館行きだ~。嬉しい!


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★仕事場での新年会行事は続いている。

お昼には、お刺身や茶わん蒸しといったちょっと豪勢なメニューが出た。
午後のレクレーションは、牛や餅、獅子舞など
正月にちなんだイラストをダーツに貼り付けて、
好きなものに賭けてもらうゲームをする。
おもちゃのお金を使ったら、皆の眼の色がちょっぴり変わってた(笑)

可笑しかったのはある利用者さんで、
「牛に関わる商売をしていたから」と牛に賭けてくれたら、
3回連続ぐらい見事に矢が当たってしまい、10万円ほど儲けてしまったんだ。

まだ牛で稼いでいるよ^^

余興でスタッフ同士の羽子板対決もした。
よせばいいのに羽を落とした人には
本物の墨で顔にいたずら描きをするという、ハードコアな演出があった。
みんな本物の羽子板なんかしたことがないから、ぼろぼろと羽を落とす。
サーブに失敗して自滅してみたり(それは僕か^^;)

数回の試合の後、おもしろフェイスがフロアに並んだ。

先の賭けダーツで優勝した利用者さんは、
後ろにいたずら描きをされたスタッフを従えて、
記念写真を撮れることになっていた。

本日、誇らしげな利用者さんを囲んだのは、
額に楷書で”肉”と書かれた妙齢の女の子、
実写版ボヤッキー(これはセンター長)、
今年成人式を迎えるはずなのに今は泥棒髭のヤングガール、
そして眼鏡をはずしても、その下に墨でキテレツ君みたいな
眼鏡を書かれている僕。
ものすごいシュールさだった。
お見せできないのが残念でならないっす。

いやあ…デイサービスって、本当にいいものですね^^



★3月のあたま、大事な用事ができて札幌に行くことになった。

旅の相方は当ブログでもお馴染みの若き文士、もんぶらん。
この、生まれながらに方向音痴の僕を
助手席に乗せようという心意気が素晴らしい。

先日、2人で市内にあるにっちパパの教会へ行ったんだけど、
僕のあやふやナビのおかげで道に迷い、
えらい目にあったばかりだ。
僕は確信に満ちて方向を指示したものの、
いつのまにか、車はどっかの農道に踏み込んでいたりした^^;

今回は市内どころの騒ぎではない。
適当に道を教えまくり、
気がついたら夜明け前、レインボーブリッジを渡っていた
なんてことにならないか心配している。

でも、珍道中をとても楽しみにしている。


★仕事場での夕方。
ミーティングも終わってそれぞれが残りの仕事を片付けているとき、
スタッフさんの一人が明日のレクレーションのリハをしていた。
模造紙に書かれた的を使ったカーリングだ。

両手にのるくらいの台車を床に滑らせては、
「軽過ぎてどこまでも進んじゃうね~。的にのらない~」などと言っている。
で、バランスとるために「何か重いもの載せようかな」と
彼女が持ってきたのが鏡餅。笑った。

しかも台車にぴったりはまってるし。

100点とか書かれた的に向かって、餅が静かに滑って行く。
ものすごいシュールな光景だった(笑)


★ICBCのジョシー(石原良人さん)の礼拝メッセージを、
更新のたびに欠かさず聴いている。
昨晩横になりながら聴いた去年の12/28分も火の出るような言葉だった。
この人には建前が一切ない。そこが好きなんだ。

心を裸にしよう。世間の名誉だとか肩書だとかは、
本質的には僕らに何の関係もない。
この世での生を終えるとき、地位を持っていけるわけじゃない。
そんなタイトルで着ぶくれするのではなく、
正直な心に、ただイエス様という上着をはおろう。

そしてへりくだろう。
王の王、イエス様は威張ろうと思えばどこまでも威張れるほどの
肩書きを持っていた。でもそんなものをかなぐり捨てて、
僕らのような小さな者の救いのために、同じ目線まで降りてきてくれた。
それに続こう。そこに本当のインパクトがある。

肩書きの魔力って、ある。
僕は今、仕事場で”副主任”なんて呼ばれている。
実力はまだまだなのに、そう呼ばれることで、
何かひとかどのスタッフになったような錯覚に陥って、
時折、周りの人たちを上から見てしまいそうな感じになってしまう。

僕はそういうのがとにかく大嫌いなはずなのに。恐ろしい。

だからこのメッセージを聴けて良かった。
つまらない見栄はゴミ箱に叩き込んで、心を裸にしていこうと思った。
僕は僕でしかない。
神様に創られた、ただの僕でしかない。

そしてもう一つ、とても響いた言葉は、
「口から出る言葉を、”生きる”のは難しい」というもの。
例えば「本音と建前の使い分けなんて、もう金輪際やめよう!」とか言うのは簡単だ。
でも実際に現実の中でそういう風に過ごしていけるかといったら、
これはもう、めっちゃ難しいよね。

特にこの日本では。

だからといって、甘んじているわけにはいかない。
それが人生、とか言ってお茶を濁したくはない。

だってイエス様が、自分の言葉と行いを裏切ってないんだからさ。
フォロワーとしても、それに付いていきたいじゃないですか。


★と熱く語って、さてこれから、木曜に決まった仕事場での演奏に向けて、
シンセベースの自主練しまっす^^

★今日から仕事始めだった。
年末年始、6日間の長きにわたってのんびり過ごさせてもらったおかげで、
身も心も餅と同じくらい伸びきっていた。
まあでも、餅のままではいられない。

日中、流れについていけるか不安だったけれど、
体が動きを覚えていて何とか入浴業務終了。
数はこなしておくもんだね。

新年なので、お風呂には柚子の入浴剤が入っていた。


★昨日の礼拝で捧げた賛美、
今になって改めて楽しかったと思い起こす。
牛のように反すうしております^^
想いのたけを、大きな声で神様に向かって歌えるのって、
こんなに嬉しいことだったんだ。

はっきり言って人前で歌うのは得意じゃない。
(どこ見たらいいかわからないんすよ^^;)
けれど、前で歌おうが座りながら歌おうが、
場の気持が一体となっていくあの感じは、
ちょっと震えがくるほどだった。体験できて良かった。

ただ僕は未熟で、「ここ間違えたらどうしよう」とか、
「声でも裏返ったら赤っ恥」とか歌っている最中に
しょうもないことを考えがちだ。
賛美なのに、心を神様にだけ向けるのは難しい。


★仕事場でも妙に音楽づいている。

今日から一週間ばかし午後に新年会をすることになったんだけど、
週の後半、余興でやる歌のシンセベース係を仰せつかり練習中だ。
鍵盤で「空も飛べるはず」とかね。これまた楽しい。

家で1人で地味に自主練しているときは、
特にベースなので「これいったいどうなっちゃうんだろう」と
思ってしまってた。
でも今日の夕方、ギター、ピアノと合わせたら、
上手くはないんだけど”音楽”になった。
おもしれ~~。

音楽。聴くのは昔から大好きだった。
弾くのもこれから大好きになれたらいいと思う。
基礎練に飽きちゃわないようにしないと。
ここでも「ストイック」っすね。


★それから今日、つらつらとネットを巡回していたら、
偶然、まじでかっこいいシンセを見つけた!
microKORGというのです。紹介します(笑)
小さくて、サンプルを聴いてみればテクノっ子の魂直撃の電子音で、
ボコーダーまでついてる。お値段約四万円。
前のめりになってしまった(笑)
これはいつかの夢にとっておこう。

でも僕が欲しがるのって、何百円のものか数万円のものと、
極端に分かれる。なぜだろう?

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今日の礼拝はパワー全開で捧げられた。
賛美&証の特別礼拝だ。
新年初ということもあって、会堂がぎっしりになった。
マッシュの皆もいてくれたし、新しい方も足を運んでくれた。

始めの方で、うちのユースが前に立って、
「今ここに」というグロの名曲を歌わせてもらったんだけど、
それを作ったタカさんが同じ空間にいてくれて、
一緒にギターまで弾いてくれるのに、不思議な気持になった。

これはつまり、「ものまね王座決定戦においてタレントが
無難なものまねを披露した後、ステージ後方よりご本人登場、
びっくりして振り向く」…みたいなものだから(笑)
違うか。

歌う前のそんな戸惑いはともかく、とても一体感のある賛美を
させてもらえて嬉しかった。

賛美を挟んで、うちの教会メンバーとマッシュの皆の証が聞けた。
同じ神様信じられて良かった、と思った。




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礼拝後、参加者一同うどんをすすってから、マッシュの皆と散歩に出る。
彼らは夕方に帰るので、待ち時間を使う意味もある。

冬の路上に繰り出す、若きクリスチャン集団。
この中でおいらが一番年上であることを噛みしめながら歩いていると、
突然はっちゃけだす彼ら。いきなり駆けだしていき…、










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なぜ道路に寝ますか(笑)
そして「車来た!やべえ~~~!」とか言いつつ戻ってきますか(笑)
第一発見者の気持でシャッターを切る。

他にも道路標識の完コピ形態模写だとか、雪に突っ込むだとか、
その辺の柵に皆でよじ登るだとか、
なんだかおもしろエネルギーを行く先々で炸裂させながら、進んだのだった^^

僕もげらげら笑ってカメラを構えられた。



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↑標識を完コピ


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…教会に戻って、スイートポテトなど食してから(ポテト繋がりで)、
僕は先においとましたんだけど、
いや、マッシュ見てるだけで楽しかったっすよ。

本当に帯広に来てくれて、ありがとう!!


※いや筆にまかせて書いちゃったけど、大丈夫かなあ^^;ちと心配。


潜入なんていうと「寝起きリポート」みたいだけど、
晩にマッシュの集会に顔を出してきました。
さっそくご報告です。なにその、報道魂(笑)


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★夜に差しかかり、ふと思いついた。
「せっかくマッシュの皆が教会に来てるんだから、
挨拶しにいったらいいじゃん」

我ながら名案で、すぐに教会のN先生と連絡を取り、
マッシュのスケジュールを教えてもらう。
この時間帯は…ちょうど賛美集会。
きましたよまじで(笑)

しかしこの自称特派員は極度の人見しりときてる。大丈夫か??
まずは祈って、神様ファミリーに会うんだから緊張することないんだと思い返し、
父の車を借りた。

つるつるの雪道を走って教会に着けば…あれれ、誰もいましぇーん^^;

しばらく会堂で静かにしていると、皆が外から戻ってきた。
濡れた髪だ。銭湯に行ってたみたい。

顔見知りの姿もあったよ。E教会のコウキくん。
そして去年、グロの集会で会った、タカさん。

全員合わせたら、15人くらいになるだろうか。
こんなに、若きクリスチャン見るのは久しぶりで、
それだけで自称ユースは感激っす。

タカさんと話しているうちに、集会が始まった。
まずは3チームに分かれてスキット(短い劇)を披露しあう。
これにお互いに得点をつけあうんだ。


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これがそれぞれよく練られたネタ…いや違うか脚本で面白かった。
去年E教会であったイーストロードキャンプでも感じたけど、
どうしてユースのクリスチャンはこんなに芝居がうまいのか(笑)
小劇団みたいな人がたくさんいた。


謎は解明されないままスキットコーナーは終了、
今度はタカさんのリードで賛美が始まる。
皆で、円になって座って。

やはり賛美は、ただの歌じゃない。
どこかへ持っていかれそうな感じがする。

それからそれぞれの証に移ったあたりで、僕は失礼したんだけど、
とても良い時間を過ごしてるみたいだったよ^^

初めて会った人たちもいたようなので、少しまだ、
照れも見受けられたけど、それはこれからどんどん消えて、
絆が深まっていくはずだ。

まずは繋がること。そこから始まる。

マッシュポテトに祝福あれ~!

【今日の書き初め】

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↑文句のつけようがない楷書で、ホタテの文字



★お休み5日目。こんなにゆっくりさせてもらって何だか申し訳ないくらいだ。
中身といえばいつもの休日の拡大版で、
本を読み、バイブル開き、音楽や礼拝メッセージを聴き、ネット巡回し、
ひらすらものを考える…×5。

なんで毎回、隠者みたくなるのかわからないけど、
ほっとくとどこまでも続く自主軟禁状態になるので気をつけよう(笑)

外へ出ること。受けたものを外へ出すこと。大切だ。

「ストイック」に続く2009年の目標は、「出力」だね。
目標ばかり増えてくけど、「出馬」とかじゃなくて良かった^^;


★昼間、つらつらと、働いているデイサービスのことを考えていた。
普段は渦中にいるからよくわからないけれど、
こうして立ち止まって考えると、僕はけっこう変わった仕事をしている。

「ひたすら毎日、お年寄りと会う」。
それだけでも何だか、不思議だよね(笑)

この仕事は、人に仕えるだとか奉仕について教えてくれるために、
神様が与えてくれたと思っている。
とにかく実践で覚えていくために。

元・ひきこもり君の僕が、ここまで濃密にいろんな人と関わるようになるとは、
想像もしてなかった。しかもそれぞれに個性溢れるお年寄りだ。

最初は大変としか言いようがなかった。
”人”としっかり話したり関わったりすること自体、馴染みがなかったから。
あと、他の人から支えてもらいっぱなしの人生だったので、
誰かを支える方法も、全く知らなかった。

はじめの一年、忍耐力ほぼ皆無の僕は、何度も「もう無理、限界!」と思った。
なんでカラオケの順番ごときで間に挟まれて怒られなくちゃならないんだ、って。
トイレの手伝いなんかやってらんないよ、って。
例えばそんなことで。

でも奇跡的に続いた。3年目に入る。なぜんだろう。

何個か理由はある。
デイは一日の中で役割がどんどん変わる。送迎なら添乗員、
入浴係、レクレーションでは芸人の要素さえあるし、
食事中はウェイター役になる。
飽きっぽくひとつのこと続けられない僕には、この早変わりが向いていた。

それから、スタッフさんもそれぞれ笑っちゃうほど個性派ぞろいながら、
くだらない派閥とかもそれほどなく、まとまっていたのも良かった。
僕にも「居場所」があると思えた。

あとは利用者さんが、だんだん他人ではなくなっていったのも大きい。
家族と他人の中間ぐらいの、不思議な間柄になっている。
ありがたいことに、結構、孫風味の兄ちゃんとして可愛がってもらっている。

唐突に思ったけど、結局、この場所で「一人の人として受け入れてもらえた」から、
仕事を続けられているのかもしれない。きっとそうだ。

「受け入れられること」って、計り知れない力を生むね。

はっきりいって、介護の仕事はめちゃめちゃ体と神経使う。
日中、軍事レーダーみたいに気をはって、
時には自分より体重のある利用者さんを抱えたりしてるんだから
当たり前だ。
僕も去年の暮くらいから白髪まで出てきちゃってる(笑)
(失礼、なんか苦労話みたくなりましたね^^;)

でも、神様が「今のところこれだよ」と言うなら、従うよ。
力も助けも、主から来るんだから。

そして、次の舞台を用意してくださるまで、頑張っていこう。


なんて…心の奥には「聖書学院行きてえ~~」って想いも、
少しあったりしますけどね^^



★1月2日からうちの教会に、「マッシュポテト」の皆さんが来てるらしい。
牧師や宣教師のお子さんたちで結成されたこの会は、
教会の枠をこえて成長の場となるように、若者が集まって活動中とのこと。

グロの母体になってるはず、だよね確か??

明日の礼拝では、一緒に賛美集会ができるみたい。嬉しいね~^^


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