これは年末にアメリカで行われた、
外国に住む日本人クリスチャンを励ます集会なんだけど、
ツトムのブログにアップされている映像を見せてもらったら、
いや本当に楽しそうだし、熱気に満ちている。
ツトムや、旅を共にしたみちやくんたちは、若き使徒みたいだね。
あちこちの集まりに加わり、その場をさらに活性化させ、
絆をつくりながら次の場所へと向かっていく。
ひるがえって、ナチュラルボーンネットワーカー・にっちのブログを見れば、
そのEC08の年末カウントダウンと、
グロの集会が中継で結ばれ、
一緒に喜びを分かち合っているではないですか。
何ちゅうか、21世紀版、使徒言行録を見るような感じ^^
聖霊の風が吹きまくってるねー!
居場所は違っても、この大きな働きを起こしている、
同じ神様を信じられているなんて、嬉しくてたまらない。
神様には思った以上のことを期待してもいいんだと、改めて感じた。
★思ってた以上のこと、といえば。
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(第二コリント5:17)
バイブルのこの箇所を、本気で受け取ってきていなかったと、
最近強く感じてるんだ。
神様を知るまで築いてきた価値観にしがみつく必要はもうないはずなのに、
それが意外と根深く自分の内側に残っているのに気づく。
しかも、そうした価値観はたいていネガティブだったりするから厄介だ。
例えば、僕は自分で「人見しり」だと思って過ごしてきた。
心の基本方針がそんな具合だから、いきおい、
人と接する時の態度にも気おくれが出てきちゃう。
でもそれ、本当にそうなのかな。
ただ、「接し方がわからない」だけかもしれないじゃん。
神様が、人と繋がることも贈り物として下さっていたはずなのに、
受け止めきれてなかったのかもしれない。もったいないね。
得られないものを諦めていくのが、生きていくことだと、どこかで思っていた。
その考えをイエス様がひっくり返してくれた。
僕はこの先に、希望を持っていいし、
重い荷物はイエス様の前に降ろして構わないんだ。
そのことが、あまりに凄すぎるから、逆に受け入れにくいのかもしれないね。
自分が新しく変われるなんて、そんな自由が得られるなんて、
思ってもいなかったわけだから。
厚かましいとさえ思えてしまう。
でも。
イエス様に繋がった僕らは、新しい人になる。
過去に、どれほど辛い出来事、虚しい出来事、
傷ついた出来事があったとしても、
それは、過ぎ去るんだ。気休めじゃなく。
手を放しさえすれば。
そして現状がどうあれ、これからは神様の配慮の中で、
新しい人生を歩んでいける。
変化はほんの少しずつかもしれないけれど、諦めなければ必ず、
神様が僕らを造りかえてくれる。
…年末から最近にかけて、神様のことが知りたくてたまらなかった。
でも気づいたんだけど、僕が求めているのって、”体験”だったんだよね。
そのことによって確信したかったんだと思う。
ただもっと大切なのは、約束にしがみつくことだ。
神様を信頼すること。
もちろん、体験だって素晴らしい贈り物だけど。
「人生なんてこんなもの」という、悪魔くんの嘘に飼いならされたくはない。
「これが現実だ」とか言って、うつむいていたくない。
思い通りにならないからって、いろんなことを諦めるのは、簡単だ。
でも神様は僕らのことを諦めてはいない。
もう一度、声を大にして自分に言い聞かせておく。
「イエス様に繋がっていたら、新しい人になれるよ。
それ、神様の約束だから間違いないぜ!」
いえいえ、的外れとかではないですよ。話すのが苦手なら、聞き上手になればいい。これは本気で神様に願い求めていきたいです。良い面をのばしていくことtaikaクリスチャン、だけどコミュニケーション下手^^;taikaさん、はじめまして。コミュニケーションの得意・不得意というよりも、人間が外向的か内向的かの違いではないかと私は思っています。
外向的な人は他人と群れるこaguaクリスチャン、だけどコミュニケーション下手^^;奉仕をしているときや、聖書の勉強会などの集まりのときは、私も「素」ではないかなぁと思います。
でも空気の調整をしたり、お茶を出したりと“ついサービスをしてしまう”のPapikoお勧め本『人はかならず、やり直せる』進藤龍也:著>進藤先生
お働きにいつも感謝です!これからも世の中にインパクトを与え続けて下さいね!taikaお勧め本『人はかならず、やり直せる』進藤龍也:著自分の名前検索で、ここに来ました。感謝します。ツイートしました(笑)
新刊
未来はだれでも変えられる
も、宜しくです証集です。進藤龍也5分間メッセージ、再び>ピーちゃんさん
今、恵みを頂きすぎて倒れそうになってます(笑)。2学期ももう少しで終わりなので、イエス様と乗り切りたいです。taika