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Hold Me Jesus 2

北海道在住のジーザスフォロワー・taikaのブログ。CFNJ聖書学院にて研がれる日々。

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★お休みの日。先週は外出レクに伴って連続6勤だったため、今週は金曜日にも休みがある。とあるスタッフさんからユニクロのバーゲンの話を聞いたので、午前中は喜び勇んで買い物へ。ドルアーガの塔Tモチーフ、キース・ヘリング、バスキアのTシャツを格安で手に入れる。
それから歯医者の予約もした。左上の臼歯が何かの渓谷みたいにべこんとへこんでいて、そろそろどげんかせんといかん状態だ(笑)
国政も大事だけど、臼歯も大事。

午後は思い立って松崎先生に連絡し、教会に顔を出した。一画で壮年会主催の古本バザーがやっていて、喜び勇んで16冊ほど買い占める。なんと全て1冊50円という、ブックオフ顔負けの価格だ。小説『聖書』の分厚いハードカバーも50円。嘘やろ?しかも購入の際は、先生のお勧めブックガイド付きで贅沢きわまりない。この収益は神学生のための献金になる。

先生が手ずからおとしてくれたコーヒーを飲みながら、あれこれ話をする。ついこの間まで神学生だった先生から、学校生活についてたくさん聞けた。僕の中でも密かに芽生えている神学校への想いに水が与えられる。新しい環境へ飛び込むかもしれない境目にいて、期待も大きい反面、とても怖いことも伝えた。それは10メートルの飛び込み台に上がって、下のプールを見つめるような気持だ。一匹オオカミの立場で過ごしてきた僕が、ここへきてようやく繋がれるようになった職場やら教会を離れ、別の環境へ向かうことへの、小さな恐れ。先生はそれも当然だと言ってくれたし、受け止めてくれた。それでだいぶ安心した。

今までなら1人でベッドに横たわり、ひたすら考えていたこんな思いを、実際に真剣に聞いてくれる人がいるのが、嬉しい。もちろん神様にもずっと問いかけている。この先の道を。自分を通して何をしてくださるのかを。

…神学校に行く。「本当に僕が?」とも思う。献身するだけが、熱心さを測る度合いにはならない、それもわかる。

ただそのことが、頭からどうしても離れない。不思議だなあ。

でも、選ぶのは僕じゃない。キリストの体で、僕がどの役目を果たすかは、神様だけが知っている。
神様に包まれながら、ある意味でとらえられながら、先へ進むしかない。


こんなヒビの入った土の器にも使い道があるなら、用いてほしい。




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★教会へは思い切り寝過してしまって、行けなかった~。不覚もいいところ。うう。



…またぼちぼち、ブログモードに入れたらと思っている。今年はなるべくストイックに文章を書いていくつもりだったけれど、6月は仕事場の行事がらみもあって怒涛の忙しさで、ぐだぐだになってしまった。でも、仕切り直してもう一度。いつでも神様に立ち返って、リスタートできるのが、クリスチャンの特権だね。

このブログはもんぶらん曰く、「あまり動きがみられない」のだそうだ。特に悪い意味合いではなく、前にそう言っていた。確かにその通りで、僕の基本的な行動範囲は、仕事場、家、教会、図書館だから地味な日々といえる。毎日、新しい場所へ行って、新しい人々に会っているわけじゃない。それはまだ、僕の身に起きていない。

…ただ、内側の動きは、特に心の動きは常にある。巻き起こる信頼、揺らぎ、嬉しさや悲しさのひとつひとつを通して、それをよく確かめることで、僕は神様を感じようとしている。ある意味、熟成期間だと受け止めている。寝かせすぎて腐らないようにしないといけないけれど(笑)

外へ向かう気持ちはいつもある。神様のことを、まだ知らない人に伝えたいという想い。だから祈ろうと思う。それが御心にかなうものならば、神様がそうさせてくれると。


…まあまずは、ちゃんと教会に足を運ばないとね(笑)


ところで最近の収穫は、大変だと感じたとき、祈れるようになってきたことだ。これがずっとできなかった。苦しいとき、ついこの間まで結局自分で何とかしようとしていた。癖みたいに。今は手を離すように心がけている。責任を放り出すのではなくて、葛藤があればそれを神様に伝えるようにしている。一緒にあなたも苦しんでくださっているんですよね、と問いかけている。そして助けは必ず神様からやってくると思い返す。

理不尽な出来事は、クリスチャンの身にだって起こる。その意味を問うても、僕には答えが見つけられない。でも、必ず意味はあるのだろうし、おかげで神様に向き合うしかない状況にもなっているから、それはありがたいことなのかもしれないよね。

…これが、今の僕の、信仰だ。



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今週、仕事場は怒涛の外出レクレーション週間で、毎日午後から利用者さんとドライブしていた。目的地は中札内にある花畑牧場だ。田中義剛が経営するこの牧場は、ご存じの通り生キャラメルでつとに有名。入口のあたりにキャラメル製造工房があり、ガラス張りになっていて外から見学できる。そこで来る日も来る日もスタッフさんが釜をかき混ぜていた。魔法学校を思わせる光景だった。

帯広--中札内までは高速道路に乗っていった。これぞ北海道という感じの田園地帯を飛ばして、ストレス解消できた(笑)空は贅沢に広くて、遠くまで見渡せた。

…観光客のひしめく売店で、利用者さんの手を握りしめて歩いたり、砂利道で車いすを押す必要もあったりと、なかなか難易度の高いイベントだったけれど、久しぶりのお出かけを皆喜んでくれて、良かった。準備のどたばたで休憩15分とかの日もあり、寝しなにこれを書いている今もへろへろながら、報われた気がする。

神様に護られて、何とか乗り切った一週間だった。

今度はDLCの仲間と、豚丼でも食べに行こうかなあ(笑)



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かわいい馬


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かわいい牛


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かわいい豚…豚?



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★iPhoneの内部ソフトがアップグレードされたと、デイの女性スタッフさんから昼休み聞いた。旦那さんが使っていて、さっそく無料で切り替えたそうだ。いと嬉し、と思いつつ、家に帰ってさっそく僕も試してみる。100種類もある新機能の大半は使いこなせないけど、メールなどで文章を打つとき、まとめて選択したり、コピー&貼り付けができるようになっている。本体を横向きにすると、大きめのキーボードが出てきて、コンピュータ同様に文字が打てる。感動。

メールといえば今までは受信の際も奥ゆかしく、時折ホームボタンを押して確認しないと届いていることにさえ気がつかないほどだった。誰かが手紙を置いてそっと立ち去るような印象だった。ちょっと不便だったその点も改善されていた。試しにコンピュータからiPhoneにメールを送ってみると、すぐに受信音と共に到着の表示が出た。自分で送った文面は「おためしめーるだよ」。何て安直なんだろう(笑)



★パウロさんの映画を観てから、改めて「使徒言行録」と「ローマの信徒への手紙」を読み返している。聖書の御言葉はまじで宝だ。そう思った。

特にローマ書の方は、心の芯にヒットする言葉がたくさん出てきた。

どれほど律法、ルールを順守したとしても、神様の前に正しい人は、いない。人間の側に、完全ということはあり得ないんだ。たとえクリスチャンであっても、肉から出る人間的な想いや欲望、と内側に留まってくれる神様の清い霊との狭間で、葛藤する。しばしば、しようとすることが出来ずに、したくないことをしてしまう。抱くべきではない想いを、抱いてしまう。

それにいたずらに凹むより、主を見上げた方がずっと良いんだ。

神様はそんな僕らを、良しとしてくれたからだ。不完全なままでも、愛してくれることを示してくれた。イエス様の十字架の死と復活を受け入れる、僕らの信仰を通して。ただそれだけで。それは本当に、恵みとしか言いようのない、本来なら絶対にあり得ないことなんだ。何の努力も、修行も必要はない。救いは神様からの無償の贈り物だし、全ての人に開かれている。なんてすごいんだろう。

よく、理想と現実のあまりのギャップに、「なんで自分はこんなにへなちょこなんだ~!」と思ってしまう僕だけれど、改めて強くこのことを信じたいと思った。もちろん、救われているからといって、不完全なままでずっといられるわけじゃない。少しでも成長できるように先へ向かうのも大切だ。でも、それは努力でなし得ることでなく、こんな僕の内側にもいてくれる、聖霊様の導きに寄り添って進もうとするとき、初めて外に表れてくるものなんだと思う。

大変さや葛藤を感じるのはしょっちゅうだけれど、それも「込み」で、神様は僕を導いてくれるだろう。



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ローマ帝国に挑んだ男 -パウロ- [DVD]ローマ帝国に挑んだ男 -パウロ- [DVD]
(2009/06/03)
ヨハネス・ブランドラップトーマス・ロックヤー

商品詳細を見る




★お休みの昨日、昼前に携帯料金を支払うべく近くのコンビニへ散歩する。調子にのってiPhoneのネット閲覧機能を使いまくっていたら、以前auだったころの倍の金額が来てしまいおののいた^^;これからは自粛っすね。

このところ、また「繋がり」について考えていた。特に、キリストの体としてのクリスチャンの繋がりについてだ。信仰を通して、ひとつになるとはどういうことだろう?不器用な自分は、例え信仰を通してでも深く誰かと繋がっていけるんだろうか。考えながら中通りを歩いていると、後ろから車が近づいてきた。そしていきなり、運転席から声をかけられた。「タイカくん?」

…振り返れば何と、運転していたのは帯広E教会のイケメン・ヒカルくんだった。久しぶりに会う他教会の知り合い。すぐ目の前が務めている会社だった。本気でびっくりした。タイムリーすぎて笑えた。普通あり得ない。

近く食事でもしようと約束して別れる。


泣く泣く携帯料金を支払って、今度はTUTAYAに行く。前から眼をつけていたDVDがあった。『僕の彼女はサイボーグ』……じゃなくて『ローマ帝国に挑んだ男-パウロ』だ。全然ちゃうやん。こちらは喜んで新作料金を支払い、すぐさま家に帰る。

映画は3時間あまりの大作で、前編と後篇に分かれている。タイトルの通りパウロが中心に取り上げられているわけだけれど、聖書の「使徒言行録」をまとめたものと言っていいと思う。

かつてはクリスチャン迫害の急先鋒だった若者サウロ(パウロ)。彼の劇的な回心は、さらに主の弟子を捕えようと向かった、ダマスコという場所の近くで起こった。突然、天からの光が彼を照らし、彼は馬から転げ落ちる。そして主の声を聴いた。「なぜわたしを迫害するのか」と。

サウロの目は、その時から3日の間、見えなくなった。結局、主が示した幻に導かれて、アナニアという弟子が彼のもとを訪ね、その目を再び開く。心の目も同時に開かれて、絶対に受け入れられなかったイエス様を、自分の救い主として、サウロは信じるようになる。

すぐさま彼は洗礼、バプテスマを受けた。新約聖書の中で最も大きな伝道者・パウロが誕生する。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生まれる。


映画の全編を通して流れるのは、復活のイエス様を告げ知らせる者たちへのすさまじい迫害だ。何しろ当時の律法を重んじる人々にとって、イエス様は律法の破壊者、異端もいいところだったわけだから。弟子たちに加えられる石打ち、投獄、鞭打ち…。命さえ落とす者も出てくる。神様信じたら何か良いことがある、そんなご利益信仰とは真っ向から違う。

それでも彼らは伝え続ける。集まった人々に語りかける。主が生きていることを。なぜなら彼らにとっては、それが「本当のこと」だったからだ。告げずにはいられなかった。

パウロも同じだ。たくさんの無理解と困難に囲まれ、時に群衆に身を隠し、かつての親友・祭司ルベンに命を狙われながら、福音を告げ知らせる。権力を振りかざす王、大祭司になど全く媚びない。

観ながらずっと、心が震えっぱなしだった。折々に台詞として挟まれる御言葉も響いた。僕が今置かれている困難は、困難というのも恥ずかしいぐらいのへなちょこ加減だと思った。パウロは命がけだもんな。

映画を観終わって、またもう一度「使徒言行録」を読み返そうとも思ったよ。

皆さんにもぜひ、お勧めしたいです!よかったらご覧ください。3時間だけど(笑)



…夕方、教会の祈り会にも行ったんだけど、それはまた次回にでも。
ここで取り上げられたのも実は「繋がり」についてで、最後まで驚きの日だった^^



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★いやはや先週は山積みの業務に押し流され、
雨が続いて気温も低く、後半は風邪にやられてしまった。不覚。

昨日は教会もお休みさせてもらい、
手傷を負った動物のようにひたすらじっとして過ごした。
一日を通しての感想は、一言で「よく寝た」に尽きる。


…今、岐路に立っている。職場を離れるかもしれないのだ。

理由はこんがらがっているけれど、
それをほどいて単純な言葉に直せば、
フロアリーダーとしての経験不足、ということになる。
介護の仕事を始めてまだ2年半の僕には、
現場での判断で迷うことも多々ある。
皆が聴きたいのはあくまで「どうしたらいいか」なので、
他の、わかるスタッフに尋ねに行くことになる。

そんな細かなことが積み重なり、
結局、フロアリーダーという役目が空回りしてしまっている現状だ。
僕としてもできる限りそれを挽回しようとしてきたのだけれど、
どうしても追いつかなくなってきた。あえぎながら走っていた。



他にも職場を去ろうとしている理由はいくつかある。
でもここには書かない。愚痴を言いたいわけではないんだ。

もっと言うと、僕はそれほど悩んでもいない。
神様の流れに任せることにした。
僕に分かるのは、神様が底の底ではいつも、
必ず助けてくれることだけだ。
耐えられないような試練には、合わせない。
でも、そこへ行きつくまで、かなり追い込まれるんだけどね(笑)


「責任から逃げるのか?」そんな声が心の奥から聴こえる。
もう一人の僕が僕を責める。
その声を認めるしかない部分もある。
前より大きくなった責任に、
ある意味で押しつぶされそうになっているのは否定しない。

ただ全然、自分を卑下する気持にならないんだ。
以前ならそれにどっぷり浸かって駄目人間を気取ってたのに。
そんなことに何の意味も無いのが、
神様を信じるようになってからわかった。
悩んでも何をしても、目の前に現実がある。
これは夢じゃない。

だから先を見据えるしかない。
こんな僕にも与えられているはずの、神様のプランを信じるしかない。

追い込まれて初めて、それに気づいた。
(ただの正当化かな?)

この心境…、こんな気持になれること自体が、
もう、主からの恵みなんだろうと思う。


そう、思いたい。



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★こないだ描いたイラスト塗り絵を、利用者さんの1人が塗ってくれた。
僕のでたらめな世界に、息が吹き込まれた感じがする。嬉しい。
基礎ができているって、いいよね~。


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★さて1週間が過ぎ、再びオンラインに接続する。

ブログは、1日だけどうしても書けなかったけれど、他は何とか大丈夫だった。今日、まとめて放流する。あくまで個人的に書いていて、改行もしてないから読みにくいかもしれないけれど、よろしくです。

お休み期間をとったのは、いつものごとく大袈裟ながら「自分のしていることに意味はあるのか」を、再確認するためだった。ネットで、こうして浮き沈みも含めて自然な姿を公開することで、本当に神様について知ってもらえるのか。オフラインで手を動かす方が先じゃないか?僕は多くのことを突き詰めて考えてしまう。だからしょっちゅう、壁にぶつかっている。でもブログにしても、ランキングにしても、「それをする意味」をどうしても納得いくまで追及したいのだった。ただの独り言にはしたくないから。

さて、心の片隅にそんな命題に、何か当座の答えを見出せたか。月曜日、いきなりずるっとそれが出てきた。ここに繰り返すのもしつこいので、時間があったら読んで頂けると嬉しいです。たぶん奥底ではずっとそのことを考えていたんだと思う。

「なぜ僕は書いているんだろう」


これからも、拙いながら文章を書けるだけ書いていこう。
どんな形であれ、神様を追い求めていこう。

…ランキングにこのまま参加し続けるかは、また改めて考えます。
今日の礼拝メッセージも、改めて。



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★釧路のベーシスト、Rくんからmixiにてバトンを受け取る。
mixi内で、ナウなヤングに馬鹿受けのバトン、
そして外部ブログを使っているおじさんは、
どう扱っていいかわからないバトン(笑)。

それこそ、勝手に外に流出などしたら、
鉄拳制裁が待っているかもしれないと、
持ったままスタートラインで考えることしばし。
でも、やってみよう。運動会シーズンだから。

おそらく紅白帽のゴム紐が緩みっぱなしの
僕から余所へは繋がらないので、
アンカーのつもりでひとまず答えてみる。
「何のこっちゃ」と思われるかもしれないが、
質問を消して答えのみ書くという、
血の掟があるらしいので許されたし。

それから、コメントをくれたら質問をお送りする
システムにもなっているとのことだ。
それもまた、血の掟。


バトン「大好きだよ」


1.大きくても小さくても、その人がその人であれば全然オッケイ。

2.その時の流れにお任せします(笑)

3.気だて優先。いやそれは、顔の好みも多少はありますけどね。

4.難しいっすね。図書館で押し黙りデート?(笑)

5.絶対に嫌です。

6.ふさわしければ何でも。

7.お互いが着たいものを着ましょう^^

8.人を見下さない。おっとりした感じ。

9.絶対に嫌です。人の気持を想像できないのは完全アウト。

10.こちらも論外です。

11.苦手だなあ。そういう人とずっと一緒にはいたいと思わないっしょ(笑)

12.僕より神様が優先な人。
世の中の常識にがんじがらめにされていない、”自分”を持っている人。

13.その人がその人であれば年齢は関係ないです。

14.相手の自由を束縛するタイプ。細かなことをあげつらうタイプ。

15.それ聞かれると酷な32歳の遅い春(笑)

16.幼稚園の頃です。美人でした。でも中学でヤンキーになったとのこと。

17.は、はい…、一応。

18.2人。残念ながら良き思い出とはならず。

19.あります。

20.無いなあ。そういうモテには縁がなし。

21.あります。女性観が完全に変わるところでした。

22.あります。凄まじかった。

23.今は地平線の彼方にも見えないっす。

24.いないので付き合えない~。

25.いないので言えない~。


…以上、けっこう楽しんで答えられました^^
Rくん、ありがとう~!


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★今日、とてもショックだったのは、僕の仕事が”業務”になっているという指摘を受けたことだった。夕方、小さな社員会議を開いて話し合ったときに、ある利用者さんの言葉として伝えられた。
”業務”とはつまり、目の前にいる利用者さんに、仕事以上に、必要以上に関わらない態度で接する姿勢だ。自分ではその対極を目指しているつもりだった。ただデイという場所だけを提供して、後は利用者さんをほったらかしにするような真似はしたくなかったから、自分なりに、つむじ風のようなスケジュールの中、関わりを持とうとしてきた。

「これ以上どうしたらいいんですか?」と思わずセンター長に言ってしまったけれど、確かによくよく考えてみたら、フロアリーダー(仮)として全体の日程を何とか終えるのに必死で、個々の利用者さんに細かく目配りできていなかったと思った。やるべきことや突発事態の対応に追われて、1人1人にちょっと声をかけ、笑い顔を向ける余裕もなかった。指摘してくれた利用者さんの求める水準は、確かに高い。情はついつい置き忘れがちになる。でも、デイに来てくれるのが「人」であるのを、改めて思い起こさせてくれた。胸はすごく痛むけれど、明日へ繋げよう。

つくづく、デイは特殊訓練の場だね(笑)そして、ただのサービス業に留まらない、人との関わりの場所だ。それだけに理不尽な板挟みも毎日起こるし、そのたびに半端ない葛藤に襲われるけれど、だからこそ神様を呼び求められる面もある。助けて下さいと叫んでいる。正直言って、心身共にいつまで保つのかはわからない。でも、神様は道を拓いてくれる方だと信じて、しばし、待っている。



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★2連休の前編。とはいえ明日の夕方には仕事場で会議があるので、全面的に気は抜けない。何かを振り切るように午前中は図書館へ向かう。10時前には着いてしまい、エントランスでシャッターが開くのを待つ。パチンコ好きの人の気持がよくわかる。
子供の頃、字が読めるようになった瞬間から、ほぼ毎日本を読んできた。自慢ではなくて、本を読むことは息をすることと同じだった。膨大な本を通して何かを蓄えたかったわけでもない。ただ読みたかった。だから今、こうして書く文章のどこにも、蓄積したものがあらわれていないのがすごい(笑)

昼からは腐れ縁ボーイのもんぶらんと合流して、教会へ行く。このところ僕らの間には神様がくれた自由を巡って少し行き違いができていた。顔を合わせて、松崎先生も交えてゆっくり話ができて良かった。最初、僕がヒートアップしかかったのを、先生がうまく抑えてくれて、さらに僕の言いたかったことをまとめてくれた。感謝だ。

神様は僕らに自由を回復させてくれた方だ。けれど自由は、何でもありの無法地帯というわけではない。ふさわしい行いは、聖書やそれぞれの信仰、教会生活において、見出していかなくてはならない。
そして神様は、義なる方、聖なる方だ。罪とは本来、相容れない。元々の罪を抱えている僕たちは、どうしても神様にふさわしくない行いをしてしまう。だからこそ、その罪に寄り添い、拭い、神様と僕たちを近づけてくれるために、イエス様が十字架にかかってくれたんだ。

3人でコーヒーを飲みながら語っているうちに、釈然としない気持がだんだん薄らいできた。自分が、もんぶらんを生身の青年というより、理想のフィルターを通して見ていたのにも気づいた。僕が年上ということで威張りたくはなかったから、なるべく平らに接してこようとしてきたけれど、彼は僕より10歳下なんだ。まだまだ、若いんだ。いくら大事な信仰の問題とはいえ、そのことを忘れてくってかかろうとした自分が、恥ずかしくなった。

…誤解も解けたので、久々にRailwayの3人で曲作りもした。『Never say good bye』という切ない歌だ。合間に近所のローソン視察も忘れずに行う。メンバーの誰か1人は必ず「つくね棒」を買うのは何故だろう。


夜、家に帰ってしみじみと、自分が大人になっていないと考えた。
この振り返りはま後日まとめようと思う。



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★一昨日の日曜、礼拝で聴いたS先生のメッセージ。「御霊による一致」について。今年の5月31日は教会歴のうえで、ペンテコステ(聖霊降臨日)にあたる。これは教会の誕生を記念する日だ。

五旬祭の日、主を信ずる者たちが集まって祈っていると、そこに聖霊が注がれた。激しい風のような音と、炎のように分かれた舌が伴って。一同は聖霊に満たされ、他の国の言葉で語り出し、その時を境に、力強く確信を持って主を証するようになった。初代教会の誕生だ。

聖霊…神様の御霊は、旧約の時代、特殊な人に注がれていた。預言者や王など、神に選ばれ用いられた人に。しかしこのペンテコステの後からは、全ての人々に、時代を超えて、空間を超えて注がれている。

ペンテコステの日、聖霊に満たされた人々は、口々に他国の言葉で語った、とある。S先生はここに注目する。他国、つまりあまねく世界中に、神の国のことを分かりやすく告げ知らせるための翻訳が始まったということになるのではないか。それは今、聖書の翻訳・普及の働きにも表れている。なんと3000近い国や地域、方言、部族の言葉に聖書は翻訳されつつあるらしい。これは聖霊の働き以外の何物でもない。

聖霊の働きで重要なものは他にもある。イエス様を主と告白する力だ。特に、十字架のイエス様を思い起こさせてくれる。十字架。神の子であるイエス様が最も無力な姿をさらけ出してくれた場面。共に大切な時間を共有した弟子たちも、恐れをなして逃げ出し、イエス様は究極に近い弱さに対峙することになった。なぜそこまでのことをしてくれたんだろう。それは僕らの抱える弱さを、イエス様がこれ以上ないほどの形で共有しようとしてくれたからだ。弱さを通して、僕らに出会おうとされたからだ。どうすることもできない、人の無力さを肩代わりするために、全然罪の無い方が、十字架にかけられた。

その、最も大切な働きを、聖霊は僕らに刻みつけてくれる。

御霊による一致。さまざまな個性や考えが与えられた僕らが、なぜ一致することができるのか。それは、ただイエス様による。聖霊が忘れないようにしてくれている、主の十字架と復活が、僕らをつなぐくさびとなってくれている。クリスチャンの一致は、皆で同じ声を出すのではなく、いろいろな種類の声が重なり合わさって生まれる、ハーモニーに似ている。

ハーモニーは、1人でつくり出すことは、基本的に出来ない。
だから、皆で声と声を合わせていくことが、大切なんだと思う。

たくさんのハーモニーが生まれるのを、聴きたい。



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★さて、久しぶりに人目を気にしないで、文章をつむいでいる。今までのブログにもなるべく嘘は書かないようにしてきたから、気持にそれほどの違和感はないのが嬉しい。

決して上手ではないけれど、自分に「書くこと」が残されていて、本当に良かったと思う。少し前にエアポケットに入ったとき、神様が僕らに与えられた自由があまりに大きすぎて、戸惑ってしまった。あらゆることが許されているのなら、もう何でもありじゃないかって。そんな目眩がするような時期、壁に頭をぶつけながら考えを書くことで、僕は再び神様に足場を見出せた。もやもやした考えをはっきりさせて、何度も言葉で宣言した。自分が神様の手の中にいることを。

デイで過ごし、利用者さんやスタッフなど、たくさんの人々に接していると、それぞれの考え、思惑、理想、気分が流れ込んでくる。ちょっとしたしぐさや物言いから、テレパシーのように想いが伝わってくる。
だから僕は神様にしがみついて、押し流されないように踏みとどまる。一日が終わると、頭や心に、誰かの想いが溜まっている。

書くことは濾過(ろか)に似ていると今思いついた。貯水池に溜まった水を、神様というフィルターで濾す作業。できるだけ純度を保って。そうして残るのは、本気の信仰なのだろうか。それとも、夢見がちな青年おじさんの、ただの理想なのだろうか。

どちらにしても、今回のエアポケットは、書くことで抜けられたとはっきり感じる。神様が与えてくれた、言葉の力に驚くし、感謝する。言葉はどこまでも空虚になれるはずなのに。愛。希望。義。神様が息吹を吹き込んでくれなければ、あっという間にはりぼてと化してしまいかねない。だからこうして文章をつむぎながら、いつでも僕は祈っていようと思う。願わくば、そこに命が吹き込まれるように。

僕の文章は大抵、きれいごとにしか聞こえない。でも本当のことに近づこうと思い、できるだけ正確に描き残そうとすると、それはきれいごとに聞こえてしまうんだ。だからといって諦めて、「なあなあ」にしたいとも思わない。いつでも本当のことに近づきたいし、希求したい。神を知りたい。

おかげさまで現実的には泥にまみれて、ぎりぎりのところで何とか立っている。仕事場でへたりこみそうになることもある。思うにまかせない状況に溢れる中で、だからこそ神様を見上げる。文章の形で声をあげる。叫んでいる。

自分を御手で包んでいてほしいと。そのことを信じさせてほしいと。

神様ありがとう。まずは自分がなぜ「書く」かを、はっきりさせておきたかったんです。



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