Hold Me Jesus 2

北海道在住のジーザスフォロワー・taikaのブログ。CFNJ聖書学院にて研がれる日々。

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☆ さて学院を内部から紹介する記事の後編です。
特に誰から頼まれたわけでもないんだけど、
もし、かつての僕のように、
「クリスチャンとして成長したいけど方法が
わからない!」とか、
「生きた神様を体験したい!」と
願っている方がいるなら、
何かの参考になるかと思います。

勿論、「人生をイエス様に捧げたい!」と
熱く思っている方にも、お勧めです。

後半は、ちょうど昨日の晩ご飯の際、
何人かの学院生、卒業生に一言もらえたので、
それを載せますね。
色んな角度から魅力を伝えられれば嬉しいです。


まず、2学期で一緒の部屋だった、ゆー君(2年生)
からいきます。


Q:「ゆー君にとって、学院はどんなところ?」
A:「霊的な成長ができる場所。自分のペースに合った
訓練をされますね。あと、素の自分を出せる場所でも
あります」

Q:「入学を考えている方に、一言!」
A:「『収穫は多いが、働き手は少ない』。
共に働き手として神様を知る良い機会なので、
一緒に楽しみましょう~」


続いて、3年の上級コースを終えた卒業生、
Mやん先輩からのお言葉です。

Q:「先輩にとって、学院はどんなところですか?」
A:「神様と深く向き合える場所」

Q:「入学を考えている方に、一言!」
A:「まずは、一歩踏み出そう!」


最後に、現在僕と同棲中の(笑)、
キムミンソン宣教師様からのありがたい一言。




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「どこ見てんのよ!」by青木さやか



Q:「学院ってどんな感じ?」
A:「今現在、感じている神様よりも、もっと、
それ以上の神様が感じられるところだよ。
神様の助けが無いと、一日も過ごせないって、
よく分かる~」

Q:「入学を考えている方に、一言!」
A:「迷わず、一度入ってね!!
ボクもいるからね!(笑)」



…皆、サクラかと思う程、素敵な回答ばかりで、
こちらとしてはありがたい限りです。

でも、それぞれが神様とじっくり向き合って、
日々歩んでいるのが伝わってきます。

よく考えてみれば、これだけの覆いの中、
時間をかけて、神様のことを知ることができる
この学院生活は、とても贅沢だと思いました。

それぞれの事情や、神様のプランがあるから、
今すぐカモーン!とは言いませんが、
そんな豊かな時間を味わいたい方は、
体験入学など、考えてみてはいかがでしょうか?

いつでも大歓迎です!






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2011.01.27 10:15 | CFNJ聖書学院 | トラックバック(-) | コメント(-) |


☆しばらく雪は降っていないけれど、
石狩の今はこんな感じですー。




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2011.01.26 13:30 | 写真生活 | トラックバック(-) | コメント(-) |

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☆ 上は最近、学院生皆が集まって撮った写真だ。
ちょうど12人。イエス様の弟子と同じ数。
12弟子にも驚く程、それぞれの個性があったように、
学院生も色とりどりの人たちが揃ってる。

この最終学期は、岐路に立つ時期でもある。
3月の4日、この中のある人は学院から巣立ち、
ある人は2年生に、さらに上級クラスへ進む
人もいる。

僕は、2年目進学を望むことにした。
求めて、祈ることにした。
現実的な状況だけを見れば、
なかなか厳しいものがある。
けれど、ここで信仰が試され、鍛えられている
のだと思う。不可能を可能にするのが信仰だ。

と、大きなことを言いつつ。
4月の新学期に、もしかしたら出会うかもしれない
皆さんのために、学院の魅力を紹介したい。
ものすごく個人的な視点だけれど。

さて、口調も改めていきましょう。



魅力①生きた信仰の訓練ができます。




もちろん、学院では午前中、たくさんの角度から
聖書の学びをしています。それもすばらしいです。
加えて、生活、奉仕、過去に負った傷(心の問題)、
人間関係、経済…その他、あらゆる領域において
信仰と自分自身が取り扱われます。
僕は、心身共にぎりぎりの状態に、何度もなりました。
「もう辞めたーい!」と叫ぶように思ったことも、
一度や二度ではありません。
それでも、その波をくぐって進むと、
少しずつ、先に広がる風景があるのが
わかってきました。
それは今まで見たことの無いような場所です。

生きた主の、御手の業を体験する所です。
「イエス様なしにはやっぱり駄目なんだ」と
痛感します。

頭だけに留まっていた僕の信仰は、
学院でのこの10ヶ月でかなり変わりました。

あなたが主に対して、本気で飢え渇いて、
変わりたいと思っているなら、
この学院はそれを可能にしてくれます。
自分自身を見つめ直せます。

陶器師である神様によって、
自分も他の人たちも形が整えられていくのを、
目の当たりにできます。


「鉄は鉄によってとがれ、
人はその友によってとがれる」
(箴言27:17)



魅力②本気のクリスチャンに出会える。



勿論、学院生それぞれは僕も含めて成長中です。
迷いもあれば悩みもあります。

その中でも、「本気で主に仕えたい!知りたい!」
という気持が感じられます。

学院長ご夫妻を始め、学院スタッフ、
講師の牧師先生たちも、本気です。
そして皆、実際に主に従って「動いて」いる
人たちばかりです。

だから、常に生きた情報が流れてきます。
ダイレクトに、です。

僕はそれに、随分励まされました。



③賛美の素晴らしさを再発見できます。



学院では月曜から木曜まで、朝の30分、
欠かさず賛美礼拝が捧げられています。

最近、この素晴らしさと恵みを再確認してます。
何の留保もなく、日々、神様に思い切り賛美が
できること、これは学院ならではの、
特権だと思います。

僕は人目を気にして、最初は手を挙げるのも
おずおずしてましたが、今はもう、
気にしないでやってます(笑)。
がんがん歌って、ハモってます。

学院に来て初めて、
「賛美に油が注がれている状態」を、
知ることができました。

楽器ができる人は、奏楽のチャンスも
巡ってきて場数を踏めますよー。


と、書き出したらどんどん出てきたので、
続きは後編で。

…書きながら、ようするに僕は、
昔に充分得られなかった“学生時代”というものを、
早回しで体験しているんだな、と
思いました。

取り返せないと思っていたものが、
返ってきています。

全てはイエス様の導きのおかげです。

多くの皆さんにも、その導きがあり、
学院に招かれることを心から願います!




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2011.01.26 13:24 | CFNJ聖書学院 | トラックバック(-) | コメント(-) |


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☆CFNJ聖書学院では、ただ今、新入生募集中です!
4月から、是非是非一緒に学びをしましょう!

詳しい情報は下のサイトからご覧下さい。
告知でした~~。



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2011.01.23 10:37 | CFNJ聖書学院 | トラックバック(-) | コメント(-) |
☆ 今日、説教学の授業で話したメッセージ、
できたてほやほやのやつを載せます。
長いのでお暇な時にでもどうぞ!

寮生も、皆、夜中近くまで準備に
頑張っていたみたいだ。

…しかし、人前でする話は緊張しますねー。









唐突ですが、金子みすずという詩人の詩を、
ひとつ紹介させてもらいたいと思います。
「わたしと小鳥とすずと」という作品です。

「わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんの歌は知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。」


皆さんは、他の人との“違い”を寛容に
受け入れることができますか?
僕は、時々それが難しいことがあります。
特に神様の家族に対して、
つい自分の理想ばかりを押しつけたり、
勝手に相手との違いを感じて
距離を置いたりしてきました。
古い生き方のパターンから、
どうしても抜け出せずにいたように思います。
どこかでそれを自分の個性、
性格だと、思い込んでいたのです。

どうしたら、神様に創られた様々な色を持つ、
他のクリスチャンを受け入れていくことが
できるのでしょうか。
互いを認めあう、その入り口となるのが、
次の御言葉です。第一コリント12:20-21。

「しかしこういうわけで、器官は多くありますが、
からだは一つなのです。そこで、
目が手に向かって、『私はあなたを必要としない』
と言うことはできないし、頭が足に向かって、
『私はあなたを必要としない』と
言うこともできません」。


私たちクリスチャンはそれぞれ、
キリストを頭とする体、一つの体を
形づくるための大切な器官だと気づかされます。
違いはあっても、欠かすことのできない
役割を担っているのです。
まさに最初の詩にあるとおり、
「みんな違って、みんな良い」のです。

また13節には「すべての者が一つの
御霊を飲む者とされた」
とあります。
私たちはイエス様から、
等しく聖霊様を頂いています。
体と魂の領域では違っても、
霊の領域を突き詰めていけば、
一つに溶け合っていると思います。

人間的に見ればかけ離れていると
思う相手の中に、自分と全く同じ方を見いだす。
変わらないイエス様を見いだす。
それはどれだけ大きな共通点かわかりません。
皆さんも、僕も、イエス様が命がけで
購ってくださった、尊い存在です。
そこに、優劣はありません。

…と、気づきは大きかったものの、
なかなか具体的な行動には繋がりません(笑)。
霊が、肉と魂に働きかけ、
私たちを変えていくのには時間が必要です。

何から始めたら良いのでしょうか。

個人的には、相手から「聞くこと」、
少しでも相手を知ろうとする姿勢を
これからは持ちたいと思います。
信仰もイエス様の言葉を聞くことから
始まるように、相手の想い、賜物、
生きてきた道のりを知ることで、
神様が何故、相手を自分の近くに
置いてくださったのか、
その意味を探していけるはずです。

マザー・テレサは「愛の反対は“無関心”」
だと言いました。この部分で、
僕は悔い改めが必要だと感じます。

次にできるのは「祈ること」です。
これは霊の領域に属することです。
私たちが同じ一つの御霊を受けているなら、
自分の祈りは、必ずイエス様、神様を通して、
相手にも届くと信じられます。
そして祈りは、相手を「想う」ことでもあります。
無関心なままでは決して、祈ることはできません。

そうして、私たちが繋がり始めた先に、
大きな希望が待っています。

エペソ4:16、この御言葉こそが、
これからキリストの体を建て上げて
いこうとする私たちへの励ましの言葉です。

「キリストによって、からだ全体は、
一つ一つの部分がその力量にふさわしく
働く力により、また、備えられたあらゆる
結び目によって、しっかりと組み合わされ、
結び合わされて、成長して、愛のうちに
建てられるのです」。


私たちは、人と関わりあっていくうえで、
思うに任せないこともたくさんあります。
でも、私たちはそれぞれ、どれだけ違っていても、
キリストの体にとって、
欠かすことのできない存在です。

そのことをいつでも心に置いておきたいと思います。






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2011.01.21 13:44 | CFNJ聖書学院 | トラックバック(-) | コメント(-) |

☆先ほど、礼拝を皆で捧げたところだ。
司会は、前より断然緊張せずに済んだ。
やはり、自分の力じゃないんだなあ。
礼拝を導くのはイエス様だ、と改めて思った。

今日は僕の礼拝メッセージデビュー戦でもあった。
都合により、前で語るのではなく、
文書で配る形になってしまったけれど、
ともかくメッセージは伝えられた。

ブログにも全文を転載しますー。
長文なので、お暇な時にでも読んでみてください。







「行いは信仰から生まれる」

CFNJ聖書学院 福井大化


ハレルヤ!キム先生ご一家が旅行中、
今日もこうして兄弟姉妹が揃い、
主を礼拝できることを本当に嬉しく思います。
新年早々、何度も驚くほど雪が降りました。
風邪も流行っているみたいです。
これからも神様の家族全員で礼拝に集えるように、
体調にはお互い、気をつけていきましょう。
体も魂も霊も、健やかでいられるように祈ります。

さて、私たちクリスチャンはイエス様を仰ぎ、
付き従っていきたいと願う者ですが、
なかなか具体的にそのような歩みをすることは難しいものです。
特に「行う」こと。これはなかなか思うに任せません。
先ほどの風邪の話ではないですが、
風邪をひいてしまった人に薬や食べ物を
差し入れようと思っても、
つい「あの人の好みは何だったっけ?」と考えて
あれこれとためらってしまう。
そうして足踏みを繰り返しているうちに、
その人の風邪もいつしか治ってしまっていたりします(笑)。


ヤコブ書の2:14に
「私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、
その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう」

とあります。確かにイエス様は行動の人でした。
各地を巡って宣教し、人々の病を癒し、
数々の奇跡を行いました。
決して口だけで終わる方では無かったのです。
父なる神様の御心に完全に従い、
それを実際に行いました。
その最も大きな従順が、十字架ではないでしょうか。

私たちがその荷姿に近づいていくために
必要なものは何でしょうか。
背中を押してくれるのは何でしょうか。
それが「信仰」なのです。
そこから見いだす、「自由」です。
ローマ書3:24にこうあります。
罪を犯した全ての人は
「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる
購いのゆえに、値なしに義と認められるのです」

また、ガラテヤ5:1にはこうあります。
「キリストは、自由を得させるために、
私たちを解放してくださいました」



この、イエス様による十字架の購い、
一切の条件なしに赦しを得て、
父なる神様との和解をさせて頂いたこと。
これが、行動を始めるための出発点です。
どんな行いによっても“救い”を得ることはできません。
ただ主の十字架のみがそれをなし得るのです。
そのことを私も含め、しっかりと
受け止めていきたいと思います。

そして無償の救いを受けた私たちは、
既に自由な者となっています。
私たちを縛りつけていた鎖は、しがらみは、
罪は、イエス様によって完全に解き放たれました。

行いとは、そのイエス様に自由な者として
従うことから生まれてくるのではないでしょうか。
私たちの人間的な欲望から出る、
人に見せびらかしたり、自分を満足させるための
行動ではなく、人の顔色をうかがうものでもなく、
信仰から出る行い。
それは、まず私たちが恵みを実感する
ことから始まります。
ガソリンの入っていない車が動き出さないように、
無条件でイエス様の愛を受けていることを、
祈りを通して、教会の交わりを通して、
御言葉を通して、私たちの奥底に住まわれる
聖霊様により感じていきましょう。
そうしてイエス様からしっかりと受け入れられている
実感が溢れる時、それが行いへと変わっていきます。
イエス様のために動きたいと願うようになります。

…繰り返しますが、信仰の表れが行いです。
この二つは自転車の前輪と後輪と
言ってもいいでしょう。互いに相働くものなのです。
「イエス様なら一体この時、どうされるだろうか」、
それを羅針盤にし、本当に些細なことから
始めていけたらと思います。
風邪をひいている人に、一声だけでもかける。
神の家族同士、一言でも祈る。
私たちの父なる神様は、隠れたことを
ご覧になっている方です。どれほど小さな従順でも、
主に向かって行われるなら、
喜んで覚えてくださるでしょう。
それらの、からし種のような小さい行為を積むことで、
私たちの自由は、そして教会の働きは、
大きく広がっていくと信じます。



信仰と行動の人といって、
私がすぐに思い起こすのがマザー・テレサです。
カトリックの信仰についてはここでは触れませんが、
彼女の貧しい人々、打ち捨てられ誰からも
見放されているような人々への愛の行いは、
まさに信仰によって始まりました。
彼女を単身、カルカッタのスラム街へ送り出したのは、
神様から与えられた啓示でした。
貧しい人々の中にイエス様を見いだしたからこそ、
彼女はその生涯の全てを捧げて、
彼らに仕えることができたのです。
ただのヒューマニズムではなかったのです。
信仰こそが、人間の思惑では考えられない
ほどの奇跡を生み出しました。

私たちは勿論、まだそこまで至る者では
ないかもしれません。
しかし、イエス様を本当に愛したいと願うなら、
イエス様に付き従うことから出てくる行いが、
必ず表れてくるはずです。


最後に、第二コリント8:11-12より、
この御言葉を分かち合いたいと思います。
パウロが献金について語っている箇所ですが、
「行い」そのものについても、
大きな励ましとなると思います。

「ですから、今、それをし遂げなさい。
喜んでしようと思ったのですから、
持っている物で、それをし遂げることができるはずです。
もし熱意があるならば、持たない物によってではなく、
持っている程度に応じて、それは受納されるのです」。


私たちが今、持っているもの。
実際の物品であれ、湧き出る気持であれ、
どれほどそれが少なくとも、小さくとも、
私たちは与えられているものから始められます。
一歩ずつ踏み出す時、聖霊様が豊かに、
自由に働いてくださることを信じて、
私たちの信仰を、行いに変えてもらいましょう。

それは必ず、まだイエス様を知らない方への
確かな証となっていくはずです。





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2011.01.16 14:39 | CFNJ聖書学院 | トラックバック(-) | コメント(-) |

☆2011/1/6に書いた記事です。


「愛する人たち、あなたがたに勧めます。
いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、
魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」

(ペテロの手紙1:11-12)

「幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、
幼子のように想い、幼子のように考えていた。
成人した今、幼子のことを棄てた。」

(第一コリント13:11)




昨日の昼過ぎ、寮の舎監のYさんご夫妻の部屋に招かれ、
コーヒーをご馳走になった。卒業生のMやんさんも一緒だった。
何故か話は、僕が韓国留学中にイエス様に救われた時のことに
なった。熱心に聞いてもらえたおかげで、
その時の気持を追体験しながら、話せた。

アイデンティティーを求めに、祖国と呼ばれる国に渡ったものの、
そこで感じたのは、自分が現地で生まれた韓国人ではないという
事実だった。全ての在日韓国人がそのような気持を味わうわけ
ではないけれど、僕には、そうだった。

自分の軸をどこに置いたらいいか、わからない。
いつも心の奥に違和感を感じてしまう。
本当に途方に暮れていたそんな時、イエス様に出会った。

…それから7年が経って、今、僕は聖書学院にいる。

あの頃の荒れた生活からは、じわじわと立ち直ってこれた。
イエス様は少しずつ、僕を変えてくれている。
ただ、心の違和感だけは、どうしてもうっすらと残っている。

冒頭に挙げた聖書の言葉を改めて読み、
その違和感の理由がわかった気がした。
今、生きているこの世は、ある意味では旅の途中なのだ。
僕は寄留者だ。

帰るべきところには、天国という名前がついている。
そこへ辿り着く時、はじめて本来の居場所を見いだすのだ。

新しい年が始まって、新しい旅路の一歩を踏み出した。
「旅人として成長したい。大人になりたい」と思う。

この世で、クリスチャンとして生きていくための、
知恵を求めたい。頭でっかちの知識だけではなく、
生きていることと密接に繋がった、知恵を求める。
行いを伴う信仰。

それを、できればイエス様と人のために用いたい。


…しだいに”牧会”への想いが湧いてきている。
疲れた人が、重荷をおろせる場所、
素顔でいられる場所がつくれたらいい。

同じ旅なら、同じ時間を過ごすなら、
イエス様に賭けてみたいと思う。


そして大人になって、様々な物事や想いを、
自分とイエス様との間で決済できるようになって、
少しでも人とイエス様を繋げる役割が果たせたら、
もうそれでいいんじゃないかとさえ思う。

僭越だろうか、そんな考えは。

…というより、具体的じゃないね(笑)。


導かれている方向はあるわけだから、
ともかく地道に進んでいこう。
焦点を絞り、そこに力を目一杯、注ぐ。
学院での学び、奉仕、バイト、IJCCでの活動、
3学期はそれをこなすだけでなく、丁寧に味わって
いくつもりだ。全部に何かしらの滋養があるはずだ。

はっきりいって、僕にはあんまり一般常識がない。
今までの生活の中で、知らずに来たことがいっぱいある。
それこそ、ゴミの出し方から税金の払い方まで。
だから他の人にとやかく言える立場じゃない。

ひとつひとつ、覚えていこう。

…まだ人の顔色を見たり、場の空気に振り回されたりといった
弱さもあるけれど。これは一番の弱さだと思うけれど。
周りに揺り動かされる「幼子」の心から抜け出して、
成人(大人)を目指そう。






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2011.01.07 10:04 | 信仰・想い | トラックバック(-) | コメント(-) |



☆去年の12/12に書いた記事です。






☆12月はクリスチャンにとっては、
忙しくも嬉しい月だ。

何よりも、イエス様が生まれた。
神の独り子が人となって地上に来られた。
それを覚える月。

聖書学院生としても奉仕の機会にたくさん恵まれた。

まず11日には、とある教会での
子供クリスマス会に呼んで頂いた。
参加メンバーはJ1君、ゆー君と僕。

ゲームと賛美、それからケーキ作りも一緒にできた。
集まったのは3歳から中学生まで、30人ほどだった。
皆、素朴でかわいい。

ケーキ作りはそれぞれ、学年に分かれてやっていたが、
中学組が思春期らしい暴走ぶりを見せてくれた。
できあがった作品がこれだ。



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↑「………」





「ちなみにタイトルは?」と尋ねてみると、
「チョコマウンテン」だって(笑)。
良い球、投げてくるなあー。


…個人的に、学院生としては、先輩のJ1君、ゆー君の
奉仕ぶりにとても胸が熱くなった。

学期終わり、2人は共に疲れと風邪でダウンしていたのに、
病み上がりのそぶりは一切見せずに、
子供達と楽しんでいた。

年下だとかに関係なく、その姿を誇りに思った。




☆そして返す刀で、次の日は我らがIJCCでの
ファミリークリスマス会が行われた。

朝から雪が降っていた。でも早朝の祈り会で祈り倒し、
お客様が来る頃には、ぴたりと止んだ。
天のお父さんは粋だなあ。

…第一部の礼拝では、キャンドルサービスもあり、
クリスマスの雰囲気が溢れていた。
二部のゲーム、出し物も盛り上がり、
こじんまりながらも家庭的な、温かい集まりになったと思う。

新しく来て下さった方に、楽しさだけでなく、
本物の救い主の誕生を知ってもらえて、
クリスマスの本当の意味を伝えられて、良かった。



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↑持ち寄りの食事には、いかにもなチキンまで!



クリスマス。
それは、ただのイベントデーじゃない。
確かに嬉しいけれど。
確かに喜びだけれど。



…僕らの唯一の救い主、イエス様が来られた日。
彼が生まれたのは王宮でも産婦人科でもなく、
家畜小屋の中でだった。
世界の全部を創られた天のお父さんの独り子が、
どこまでへりくだって、無防備な姿で、
この世に来てくれたか。それを思う。

浮ついた気持が、「しん」となる。


ひっそりと、目立たない所から、
救いの道は始まった。

その一点からは、離れないでおこう。






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2011.01.05 12:40 | CFNJ聖書学院 | トラックバック(-) | コメント(-) |


☆去年の12/20に書いた記事です。






☆タイトルに深い意味はありません(笑)。
ようやく石狩にも本格的な冬がやってきたので、
撮りためた雪景色を載せますー。





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2011.01.05 12:37 | 写真生活 | トラックバック(-) | コメント(-) |



☆去年の12月4日に書いた記事です。




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☆今日は午後2時から学院で
クリスマスゴスペルコンサートが開かれた。
僕らにとっても、実習最後にして最大のイベントである。
当日は雨の予報が出ていたが、
皆の祈りで、せいぜい曇り程度に天候も守られた。

僕は午前中は水産部にかり出され、魚と戯れ、
昼から何とか準備に潜り込んだ。


本番。集まったお客様は、何と総勢……147人!
ホールがいっぱいになったよー。

学院生の数は過去最小といっていいのに、
来場者は過去最高。これが父なる神様の逆転劇。
弱いとき、強い僕らです。

ダンス、漫才、ハンドベル、ゴスペルに演劇と、
あらゆる表現を用いて、イエス様の誕生を祝えた。讃えた。



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来場者のほとんどが女性陣、というのも興味深かった。





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↑オープニングは女子高生HipHopダンスユニット、J-souLの登場で湧いた。




そして大阪からは、関西ゴスペル漫才の大御所、
「余分三兄弟」がまたまた駆けつけてくれました。
学生寮の部屋から(笑)。





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↑「一郎でーす」「次郎でーす」「三郎でーす」もはや円熟の域。





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↑もはやお家芸の”お馬さん、パッカパッカ”も、勿論披露!





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↑そして今回は色んな意味で沁みる歌まで……。ダバダ~~~。





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↑カナンチャーチのゴスペルクワイア。個人的には大好きな賛美、
「トータルプレイズ」が聴けて嬉しかった。




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↑続いてはH女子中学、高等科によるハンドベル。
ベルにこんなにグルーヴ感があるとは思わなかった。
余韻が最高です。曲が例え「崖の上のポニョ」であっても。





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↑ドラマクラスによる演劇「救い主の誕生」。
たった4人の出演者が、一人二役でドラマの厚みを増していた。
皆、本番で最高に実力を出していたが、
特にミンちゃんが聖書の長い暗唱までする素晴らしい成長ぶりだった。
これは処女マリアが御使いと出会うシーン。





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↑サインダンス。「君は愛されるため生まれた」
手話のダンスも勿論、大貫妙子似のボーカルが素敵だった。





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↑ミカちゃんは漫才に演劇のピアノ伴奏、サインダンスにと大活躍!





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↑プログラム、一通り終了後の美女軍団^^





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↑「taikaさん、仕事してるような雰囲気で一枚」との要望に応えて(笑)。
どう見ても選挙活動だよこれ…。





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↑クリスマスレナさん





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↑けいさん作成の花は相変わらずきれいだー。





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↑久しぶりに僕も撮ってもらいました。痩せた??





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↑皆、本当にお疲れさまでした!
神様が一人一人のギフト、才能を存分に用いてくれました。
たくさんのノンクリスチャンに、福音の種蒔きができたよ。





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↑何故か最後は学院生全員の「やーーーー!!!!」で締め。



…しかし、こうして見ると、つくづく聖書学院というか、
芸能学院ですねえ^^;
でも、全てはイエス様の喜びと栄光を返すためにしてますよー。


大成功で終わって、良かった。へとへとながらも、ハレルヤ!!





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2011.01.02 07:54 | CFNJ聖書学院 | トラックバック(-) | コメント(-) |

☆去年の12月14日に書いた記事です。




☆ネット断ち生活も2週間が過ぎた。
とはいえ、どうしても必要なメールチェックはしたり、
ブログのプロフィール写真を貼り替えたり、
ついふらふらとmixiに立ち寄ってしまったりもしたけれど、
禁断症状はそれほど無く過ごしている。


…人は、と言うよりは僕は、
簡単に偶像をつくってしまうのだと、改めて思った。
目に見えるものの”引き”はかなり強い。
そして僕には、繋がりに対しての飢えが、
まだどこかに根強くある。
それが、ネットや携帯にどこかで依存してしまう
一因になっていた。全面的にではないにせよ。


イエス様と繋がる以上のことは無いはずなのに、
目に見えないその繋がりが、この現実の中で
ふと薄れそうになることがある。

大きな声で叫ぶ者が好き勝手に定めた、
多数決に流されそうになる。


それでも、僕はイエス様のもとに立ち返ろうと、
ネットを断ちながら思った。

最優先するものは何なのか、もう一度見直そうと。


僕の自己実現のために主がおられるわけではない。
…このままブログを休止しようかとも考えたけれど、
文章や写真で表現することを通して、
イエス様を伝えたいという気持も
ぜーんぜん薄れない。

だから、これからは立ち位置を少しばかり変えることにした。


まず、ブログランキング参加を取りやめる。
そして、コメント欄はしばらく設けない。
これは勿論、引きこもる為ではなく、
「イエス様」という軸をぶらさない為だ。

ランクの上下に一喜一憂したり、
記事にコメントがつくかどうかを気にするのは、
どう考えてもこのブログの主旨ではない。
真っ先に、人から認められることを求めるべきでもない。
僕の弱さがそこに表れてしまうのなら、カットである。


…今、僕が色々なチャレンジで揺れながらも、
イエス様とどう向き合っているのか、
それを伝えるために、これからも書こうと思う。

あと、なるべく”クリスチャン用語”も使わないように
気をつけよう。教会が「業界」になってしまわないように。
誰にもわからない業界用語で、
人を締め出したくない。

本質はずらさず、後は柔軟に。


というわけで、偏屈度がさらにアップした当ブログですが(笑)、
今後とも気長にお付き合い願えると嬉しいです。


僕はいつも、ここで何かを語っています。





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2011.01.02 07:35 | 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-) |
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