surrender:
「引き渡す。明け渡す。降参する。身を任せる」
これから書くことは全部、ほんとのこと。
…心に抱えてきた重い荷物を、天の父の前に降ろすことに決めたのは、
随分、前からだったと思う。機会を、待っていた。
ずっとそれを求めてきた。何年も。
神様を、もっともっと近くに感じたかった。
意志の力の頑張りじゃなくて、心で、信じたかった。
先週の月曜日、仕事が休みの日。
荷物を降ろす祈りをしに、僕は1人で教会に向かった。
何となく、すぐに祈るのを躊躇して、ドラムを叩く。
それでも、想いは自然と祈りへと向かっていく。
意を決して、会堂の脇のテーブルに座る。
目の前にバイブルと、祈りのための資料と、お茶を置く。
バイブルの、ローマ書を読んだ。
神様から離れて、かたくなでいた、罪を抱えた僕らのために、
ジーザスが命をかけてしてくれたこと。
十字架で、その罪を拭い去ってくれて、神様の前で、
咎めるところのない者にしてくれたこと。
神様自身が命をかけてくれた。
それほどまで、神様が僕らを愛してくれた。
そこから僕らを隔てるものは、もう何もない。
目に見える物事が、状況が、どれほどそれを遮ろうとしても。
なぜか、かつてないぐらい、そのことが胸に染みてきた。
頭では理解していたつもりだった。
でも、心でわかってなかった。
自分のことだと、本心では思ってなかったんだ。
それから。
資料にそって、抱えてきた重い荷物の名前を、ひとつひとつ挙げていった。
神様を知る前に。そして知った後にも。
どれだけ自分が神様以外のものに自分自身を譲り渡してきたか、
受け入れるべきではないイメージを、心に蓄えて
そのままにしてきたかを知った。
高慢や、無関心、高ぶり、諦め、情欲、怒り、孤独、盗み…。
神様を知る前、知らずに天の父以外のものを礼拝していたこと。
重さの強弱はあるにしても、ずらずらと出てきた。
「こんなにあるのかよ俺!?」とか思ってけっこうつらかったっすよ(笑)
見栄っ張りの僕には耐えられないぐらいだった。
神様を知ったあとでも、これだけの荷物をあれこれ積んだままにしていたら、
それは動きにくくなるのも当たり前だよね。重いんだもの。
できたリストに従って、神様に話しかけた。
「今からこの荷物を外に出します。あなたの光に照らしてください。
どうなるか全然わかんないけど、どうしてもそうしたいんです」
祈りはじめてしばらくしたら、何故か吐き気が襲ってきた。
それはいったん高まって、じわじわと治まっていった。
「ひえ〜、何これ?」と思いつつ、それでも祈ってみる。
この荷物は、もうジーザスが十字架で引き受けてくれたんですよね?
それを信じていいんですよね?
「俺は人を見下していました。表には出さないように。
俺は諦めていました。人に対しても、あなたに対しても。どこかで。
あなたのことも、信じたいけど信じきれてなかった。
もうそういうの嫌なんです。ほんと。まじで」
etc.etc………。
正確にはわかんないけど、2時間くらいそんな風に取っ組みあってた。
それほど項目は多かった。お恥ずかしい。
その時間のうちに、今まで感じなかった感覚があったんだ。2回ぐらい。
CTスキャンって知ってるよね?
あの、頭の先から足の先まで、トンネルみたいな機械にくぐらす、例のやつ。
あんな感じで、”圧”の中をくぐるような、感覚。
それは全然、嫌な感じはしなかった。
ただそこに、自然な流れで起きていることに思えた。
そして僕は祈り終わった。息をつく。
まずは終わって、ほっとした。
とりあえず、神様に任せられた、良かった、と本当に思った。
この日を境に。
僕が急にホーリーになったとか、そんなことじゃないんだ。
全て解き放たれてルンルンとかじゃなくて。
まだ重すぎて外へ持ち出せなかった荷物は残ってるし。
まだまだまだまだ成長の道のりの中だし。
この先、無数の失敗もするだろうしね。
ただこれから感じるあらゆることを、
神様にはそのまま見せていいんだって、ようやく思えた。
あほのまんまで、行く。
お父さんと思って、神様に甘えていいんだと気づけた。
その姿がどんだけみっともなくても、神様なら受けとめてくれるって。
バイブルも、ちょっとずつ今までと違う目で読めているように思う。
「父さんが話しかけてくれてる」そんな感じで。
おっかない雷親父じゃなくて、優しい父さん。
クリスチャンになって4年目で、やっとこれがスタートラインになったのかな。
えらい長い助走だったわ(笑)、よくぶっ倒れなかったよな。
こんなことを書いてるとさ、正直、「お客さまドン引きになるかも…」とか、
「これって生活感のないただの自分ワールドかも…」とか、
いらんこと思ったりするわけですが(笑)、
でも、この身に起きた本当のことを、やっぱりどうしても書きたくなったんだ。
読んでくれた人、ありがとう。
天のお父さんは、優しいよ。
怒ってなんかいないし、
重い荷物を、引き受けてくれるよ。
だから預けて、いいんだと思う。
委ねて、任せて、いいんだと思う。
いつでも手を広げて、待っててくれるから。
それをただの弱さだと、誰かが責めるとしても。
そんなことは、もう、いいんだ。
いいじゃん、弱くて。
「自分」を握りしめていた手を放して、
びびりながらでも、飛び込んでいこう。

※愛の思想家・とものブログ、このエントリー必見です!
ぜひ読んでみてください!
シェフの気まぐれ風blog 「日本人クリスチャンの現実」
「引き渡す。明け渡す。降参する。身を任せる」
これから書くことは全部、ほんとのこと。
…心に抱えてきた重い荷物を、天の父の前に降ろすことに決めたのは、
随分、前からだったと思う。機会を、待っていた。
ずっとそれを求めてきた。何年も。
神様を、もっともっと近くに感じたかった。
意志の力の頑張りじゃなくて、心で、信じたかった。
先週の月曜日、仕事が休みの日。
荷物を降ろす祈りをしに、僕は1人で教会に向かった。
何となく、すぐに祈るのを躊躇して、ドラムを叩く。
それでも、想いは自然と祈りへと向かっていく。
意を決して、会堂の脇のテーブルに座る。
目の前にバイブルと、祈りのための資料と、お茶を置く。
バイブルの、ローマ書を読んだ。
神様から離れて、かたくなでいた、罪を抱えた僕らのために、
ジーザスが命をかけてしてくれたこと。
十字架で、その罪を拭い去ってくれて、神様の前で、
咎めるところのない者にしてくれたこと。
神様自身が命をかけてくれた。
それほどまで、神様が僕らを愛してくれた。
そこから僕らを隔てるものは、もう何もない。
目に見える物事が、状況が、どれほどそれを遮ろうとしても。
なぜか、かつてないぐらい、そのことが胸に染みてきた。
頭では理解していたつもりだった。
でも、心でわかってなかった。
自分のことだと、本心では思ってなかったんだ。
それから。
資料にそって、抱えてきた重い荷物の名前を、ひとつひとつ挙げていった。
神様を知る前に。そして知った後にも。
どれだけ自分が神様以外のものに自分自身を譲り渡してきたか、
受け入れるべきではないイメージを、心に蓄えて
そのままにしてきたかを知った。
高慢や、無関心、高ぶり、諦め、情欲、怒り、孤独、盗み…。
神様を知る前、知らずに天の父以外のものを礼拝していたこと。
重さの強弱はあるにしても、ずらずらと出てきた。
「こんなにあるのかよ俺!?」とか思ってけっこうつらかったっすよ(笑)
見栄っ張りの僕には耐えられないぐらいだった。
神様を知ったあとでも、これだけの荷物をあれこれ積んだままにしていたら、
それは動きにくくなるのも当たり前だよね。重いんだもの。
できたリストに従って、神様に話しかけた。
「今からこの荷物を外に出します。あなたの光に照らしてください。
どうなるか全然わかんないけど、どうしてもそうしたいんです」
祈りはじめてしばらくしたら、何故か吐き気が襲ってきた。
それはいったん高まって、じわじわと治まっていった。
「ひえ〜、何これ?」と思いつつ、それでも祈ってみる。
この荷物は、もうジーザスが十字架で引き受けてくれたんですよね?
それを信じていいんですよね?
「俺は人を見下していました。表には出さないように。
俺は諦めていました。人に対しても、あなたに対しても。どこかで。
あなたのことも、信じたいけど信じきれてなかった。
もうそういうの嫌なんです。ほんと。まじで」
etc.etc………。
正確にはわかんないけど、2時間くらいそんな風に取っ組みあってた。
それほど項目は多かった。お恥ずかしい。
その時間のうちに、今まで感じなかった感覚があったんだ。2回ぐらい。
CTスキャンって知ってるよね?
あの、頭の先から足の先まで、トンネルみたいな機械にくぐらす、例のやつ。
あんな感じで、”圧”の中をくぐるような、感覚。
それは全然、嫌な感じはしなかった。
ただそこに、自然な流れで起きていることに思えた。
そして僕は祈り終わった。息をつく。
まずは終わって、ほっとした。
とりあえず、神様に任せられた、良かった、と本当に思った。
この日を境に。
僕が急にホーリーになったとか、そんなことじゃないんだ。
全て解き放たれてルンルンとかじゃなくて。
まだ重すぎて外へ持ち出せなかった荷物は残ってるし。
まだまだまだまだ成長の道のりの中だし。
この先、無数の失敗もするだろうしね。
ただこれから感じるあらゆることを、
神様にはそのまま見せていいんだって、ようやく思えた。
あほのまんまで、行く。
お父さんと思って、神様に甘えていいんだと気づけた。
その姿がどんだけみっともなくても、神様なら受けとめてくれるって。
バイブルも、ちょっとずつ今までと違う目で読めているように思う。
「父さんが話しかけてくれてる」そんな感じで。
おっかない雷親父じゃなくて、優しい父さん。
クリスチャンになって4年目で、やっとこれがスタートラインになったのかな。
えらい長い助走だったわ(笑)、よくぶっ倒れなかったよな。
こんなことを書いてるとさ、正直、「お客さまドン引きになるかも…」とか、
「これって生活感のないただの自分ワールドかも…」とか、
いらんこと思ったりするわけですが(笑)、
でも、この身に起きた本当のことを、やっぱりどうしても書きたくなったんだ。
読んでくれた人、ありがとう。
天のお父さんは、優しいよ。
怒ってなんかいないし、
重い荷物を、引き受けてくれるよ。
だから預けて、いいんだと思う。
委ねて、任せて、いいんだと思う。
いつでも手を広げて、待っててくれるから。
それをただの弱さだと、誰かが責めるとしても。
そんなことは、もう、いいんだ。
いいじゃん、弱くて。
「自分」を握りしめていた手を放して、
びびりながらでも、飛び込んでいこう。
※愛の思想家・とものブログ、このエントリー必見です!
ぜひ読んでみてください!
シェフの気まぐれ風blog 「日本人クリスチャンの現実」
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一緒にいるのが一番。
すべてそこから始まるね。junykuny「リユニオン」までの軌跡>あり
俺の写真の「効能」を教えてくれてありがとう(笑)
自分じゃわからないもんだねえ^^;
俺もありと一緒にいろいろ準備できて、戸惑っている俺らにたくさんtaikaゆるやかに軸に帰る>yumi☆さん
ね〜?そうだよね?taikaゆるやかに軸に帰るほほほ…(●^o^●)
うんうんyumi☆「リユニオン」までの軌跡そんな風に思ってくれてたんだ。。。ありがとう。
タイカ君の写真は、私にはない繊細さとか、柔らかい空気、どこか人に与える安心感、そんなもので溢れてるよね。
そし有ともとうとう、リユニオン!>あり
まだ夢うつつな感じです^^
ほんとに、見てくださる方がいてなんぼなので、遅ればせながら宣伝がんばります。
言うとおり今度、打ち上げしましょうぜ!^taikaとうとう、リユニオン!おめでとう〜〜!
ついにきたね。私も近かったら顔を出すのになぁ。。。えりんぎ